![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/130613708/rectangle_large_type_2_420662e6d33c23f14b706a12c48ff495.jpeg?width=1200)
北海道の廃線跡探訪 第18回 広尾線(3/4)上更別~大樹間
1.ごあいさつ
ご訪問ありがとうございます。
北海道の廃線跡探訪 第18回 広尾線の第3回です。
今回は上更別を出て、忠類、大樹へと向かいます。田園風景だった今までとちがい、変化が出てくる区間です。
なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.上更別~忠類
![](https://assets.st-note.com/img/1707782296463-cGYVg0ogYS.jpg?width=1200)
上更別は市街の西南端、国道から少し入った突き当たりにあった。
更別と同じ形の記念碑が建てられているが、駅自体の痕跡はない。
旧構内には村営住宅などが建ち、「オーク ヴィレッジ」という宅地が分譲中だった。
![](https://assets.st-note.com/img/1707870630446-SAjBoY0ivQ.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1707712905983-HGJUDyoWgK.jpg?width=1200)
上更別から路盤は、農地のなかにヤブとなったり、農道として使われたりして残っているところが多くなる。
![](https://assets.st-note.com/img/1707713321473-JavTnPYGQd.jpg?width=1200)
広尾線は、幕別町(旧忠類村)に入るあたりから、それまでの平地から一変して丘陵地帯を行くようになる。
![](https://assets.st-note.com/img/1707713373436-kD2qf4kI5O.jpg?width=1200)
路盤は築堤や浅い切り割りとなっているのが国道からも見える。
![](https://assets.st-note.com/img/1707713460590-QqjlWhVSNP.jpg?width=1200)
忠類村は2006(平成18)年2月、幕別町と合併、その結果、現役当時は依田だけだった幕別町内の広尾線の駅(跡)に忠類が加わった。
路盤は忠類へ向かって次第に高度を下げていく。
市街の入口にある当縁川(セオトープイ川)に架かっていたサクウシュトープイ橋梁の痕跡はないが、上ヒチュウルイ川にコンクリート橋が残っている。
![](https://assets.st-note.com/img/1707782519748-XV41uguipR.jpg?width=1200)
3.忠類
旧構内が交通公園となっている忠類には、駅舎や貨車が保存されている。
![](https://assets.st-note.com/img/1707994311364-M37mFuZ1AX.jpg?width=1200)
駅舎は鉄道資料館となっているが、外観・内部ともあまり手が加わっていない。
正面車寄せの駅名板や、待合室の運賃表やポスターも掲げられ、状態よく維持されている。
![](https://assets.st-note.com/img/1707782635348-NS8T8uCXUp.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1707782661002-A8LNyzssrr.jpg?width=1200)
ホームは擁壁が傾いており、危険防止のため線路側に設置された、建築足場用単管の柵が目につくが、こちらも営業当時とさほど変わっていないように思える。
以前はもっと広い範囲が保存されていたが、駅舎を中心とした範囲に縮小されている。
![](https://assets.st-note.com/img/1707782695080-cPwz5vsREb.jpg?width=1200)
大正のように姿を消さなかったのは幸いだったが、廃止から30年以上経ち鉄道の記憶が薄れるとともに、地方自治体の財政難もあり、維持管理が困難になりつつある現実の厳しさを感じさせる。旧幸福駅のように観光地となれば別だが。
![](https://assets.st-note.com/img/1707782962904-UmpMewVFUj.jpg?width=1200)
貨車は本来トビ色のワムを含めいずれも黒色に塗られているが、状態は悪くない。
標記類はいっさいないので番号はわからないが、各種資料によると、ヨ7908・ワム187865・トラ74718とある。
ワムとトラはプレス構造、ヨを含め、いずれも戦後製の、2軸貨車としては比較的新しい形式である。
![](https://assets.st-note.com/img/1707782813889-djVtULXJf3.jpg?width=1200)
4.忠類~十勝東和
![](https://assets.st-note.com/img/1707791902497-v1MLZRxyiq.jpg?width=1200)
忠類の十勝東和方には農業施設が建ち、その先の路盤も宅地化されて痕跡はなくなっている。
![](https://assets.st-note.com/img/1707786032356-Lso80e0KnO.jpg?width=1200)
市街を過ぎると、再び農地のなかを一直線に歴舟川を目指して行く。
路盤は防風林に沿った、農地のなかの低い築堤となって続く。
![](https://assets.st-note.com/img/1707786274189-44dUsMFuTg.jpg?width=1200)
北八線から北四線まで、2015(平成27)年3月開通した帯広広尾自動車道(自動車専用道路 通称「中札内大樹道路」)の一部に転用された。
実際現地を訪れてみると、終点の忠類大樹インターチェンジや忠類インターチェンジの前後を除き、自動車道の築堤と既存の未舗装道の間に路盤が残っているようにも見えるが・・・
![](https://assets.st-note.com/img/1707786383390-bYKrThAOvH.jpg?width=1200)
北四線には小さなコンクリート橋がヤブのなかに見えた。
2023年10月にはまだあったが、自動車道の延長予定上にあるから、今後はどうなることか。
![](https://assets.st-note.com/img/1707786452580-w26OFKOuih.jpg?width=1200)
5.十勝東和~大樹
![](https://assets.st-note.com/img/1707805589404-FQYFPdTe4R.jpg?width=1200)
広尾線は、忠類大樹インターチェンジの先で大樹町に入る。
1960(昭和35)年4月設置された仮乗降場クラスの十勝東和は、農地化され跡形はないが、北二線道路の前後には畑地のなかに築堤が残っている。
![](https://assets.st-note.com/img/1707790524250-Vd6VmkaeGx.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1707790625988-M4R2RfnZeH.jpg?width=1200)
二の沢川にも痕跡はないが、十勝東和方にはヤブに覆われた築堤が残り、大樹方には大きなコンクリート塊が置かれていた。
ここから道道55号までは農地となり路盤は消えるが、道道踏切跡からヤブとなって現れ、丘に沿って高度を下げながら歴舟川まで続いている。
河原へ下りる道の踏切跡近くには、立派な落石避けが残っていた。
![](https://assets.st-note.com/img/1707790853987-kwluHBdOFm.jpg?width=1200)
歴舟川に架かっていた日方川橋梁は撤去され、大樹方の橋台だけがある。
![](https://assets.st-note.com/img/1707790943724-UkYi7N93wc.jpg?width=1200)
河岸の林を抜けた路盤は、住宅地のなかの細長い空き地や道路・遊歩道となっている。
![](https://assets.st-note.com/img/1707792304589-IB2OMfF6hP.jpg?width=1200)
国道との踏切跡はなく、その先は道の駅「コスモール大樹」となる。宇宙開発で有名な大樹町には、宇宙船などの看板などがあちらこちらにある。
道の駅の名も宇宙=コスモにちなんでいる。
6.大樹
大樹構内は、道の駅の裏手の「大樹交通公園」となっている。
![](https://assets.st-note.com/img/1707871259730-IdNogKzK8J.jpg?width=1200)
以前は客車や貨車も保存されていたが、その後撤去され、喰い違っている長い対向式ホームが所在なさげに見える。
線路もなくなったが、構内はよく整備され、保存とは名ばかりの傷んだ車輌があるよりも、かえってすっきりしている。
![](https://assets.st-note.com/img/1707870836168-skFLVWCLYq.jpg?width=1200)
本屋側のホームには錆びた駅名標の枠が残っていたが、2023年に訪れてみると、きれいに修復され表示板も復元されていた。
![](https://assets.st-note.com/img/1707870891689-EZwkH7KjCB.jpg?width=1200)
駅舎は、正面に「大樹駅」と表示されたままになっている。
![](https://assets.st-note.com/img/1707870961816-d7zdOjB0a0.jpg?width=1200)
待合室だったところは改装もされず、改札ラッチもそのままで、ホーム側には信号テコさえあり、廃止後に社屋として再利用されていたとは思えないほど駅舎時代の面影を残している。
![](https://assets.st-note.com/img/1707870990972-UmVTX5rIVI.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1707871016480-luG1bgtCP8.jpg?width=1200)
しかし、もはや用もなくなった駅前ロータリーは道路の片側がふさがれていた。
駅跡の車輌はなくなってしまったが、大樹町役場前の柏林公園には9600形59611号機が保存されている。
![](https://assets.st-note.com/img/1707871052555-1smC9jdGuE.jpg?width=1200)
今回はここまでです。
おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は終点広尾を目指します。