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不登校児の居場所をさがす。その難しさに胸が苦しくなる。
不登校児を子に持つ仲間。
仲間をもう通り越して、ともだちだと思っている。
その悲痛な心の内を察して、遠い場所で涙している私。
突然に不登校になり、理由もわからない、情報も何もない。
でもなんとか子に元気に過ごしてもらいたくて、探して探して、子自身が行ってもいいと思えた『次の居場所』
不登校経験があるご家庭は、皆分かってくれると思うんです。
《場所があったって、その子が通えるとは限らない》
居場所に見学に行くのも、難しい状態が長く続くこと。
家の中で元気であっても、外に出ることを嫌がること。
新しい居場所を本人が受け入れても、意気揚々と通えるようになるまで時間がかかること。
新しい場所に行けていること。
その全てが、奇跡だということに。
そこに至るまでも、もっと何年も時間がかかる家庭もある。
終わりがどこかもわからないまま、不登校仲間からも遠くなっているような気がする。うちはどこまで続くんだろう…。
不登校になっても、次の居場所を見つけられている子はまだいい。
そう思われてることだって、あるだろう。
でも新しい居場所も、、あと何年かしたら通えない年齢になるし。
ボランティアのように頑張ってくれている《第3の居場所》は、いつ終わりをつげてもおかしくない状態だったりもする。
いつ崩れるかわからない居場所に、いつ行けなくなるか分からない我が子を必死の思いで送迎を続けて、月謝を支払い続けている。
それでもなんとか!持ちこたえて欲しい!
我が子がなんとか通えている居場所を守りたい。
我が子が笑える場所を、守りたい!
親なんて、どんな状態になったって。
いつでも子の最高の状態を、願わずにはいられないよ。
それでもね。なにか突然にハプニングが起こることがある。
それでもさ。きっと無駄なことなんて、何も無い。
起こったことには意味がある。
もしかしたらそれは、
その子の、自分への成長のチャンスかもしれない。
忘れていた気持ちを、思い出すためのタイミングだったのかもしれない。
いままでのやり方を変える、必要なきっかけをもらったのかもしれない。
思いがけないハプニングはもう一度、考える時間をくれる。
自分に起こった出来事を発信することで、考えさせられたり、勇気を貰える人が必ずいるからね。
だから、歯を食いしばって、もう一度顔を上げよう。
空を飛ぶ凧のように。
風を受けて、立ち上がろう。
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共に行くよ。
わたしも共に。
あなたがいつも心にいてくれるように。
わたしもいるよ。
あなたの心のなかに。
小さな幸せに感謝できると、大きな幸せを掴むことができる。
当たり前のことがどれだけ幸せなことか、忘れないようにしましょう。
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