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春に想うこと

 ウフィツィ美術館で正面にあるビーナスの誕生。それは想像をはるかに超えた大きさだった。その横に「春」がある。その絵を見た途端に、私はもうこのような若さを失ってしまったことを痛感した。屈託なく踊るその姿に、ある意味の残酷さを感じた。もう若さを失った者には味わうことのできないきらめき。そしてその者たちは、自分の若さに気づいていない。そんなものなんだろう。若さを享受しているものは、周りからわかるのだが、本人にその自覚は無い。ただそれが通り過ぎると、輝く季節を無意味に過ごしてしまったのではないかという後悔に襲われる。


 春にちなんで,もう一つ。シューマンの歌曲に『詩人の恋』がある。第1曲目は「美しき5月に」という曲である。短い曲だが,私は珠玉の名曲だと思っている。

 ごく最近までドイツの春の訪れは、5月であることを知らなかった。暗く長い冬が終わっていっせいに花が咲き、恋の始まりが歌われているのだ。ただその恋の行方を暗示するかのように、ピアノ伴奏は2曲目へといざなう。

私の歌の先生 小玉 晃さんの演奏
 

 ドイツ曲の中には、男性が主人公になっていても女性が歌う曲もある。ただ、この『詩人の恋』に関しては、ほとんどが男性である。内容が深いので、私も歌ってみたいと思って調べてみると、女性歌手の何人かが歌っていることがわかった。
 

    バーバラ ・ボニー(ソプラノ)  詩人の恋全曲 日本語字幕つき


 私はネガティブなことを避けて、意図的に明るい方ばかりを見てきた。そのため書く文章も歌声も何か表層的で、深みが足りない。その原因が数日前,はっきりわかった。
 誰もが持っているであろう、暗い部分、例えば失意や諦め、そういったものものに蓋をしているため、真実が表せないのだ。闇の部分にも目を向けないから
その対極にある希望や光が十分表現できていない。

 私は今まで、何でも白黒はっきりつけてきた。そうすると自分が迷わず、楽だからだ。でも世の中には例えば【正義】か【悪】かなど簡単に判断できないことがいっぱいある。
 これまでのように、負の感情に気づかないふりをするのをやめて、自分の暗い部分にも目を向けていきたい。そうすると闇のような中にも希望の光が見られるかもしれない。そう思ったのは、日本画家の西田俊英さんの作品を見たことがきっかけだ。




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