母のこと
母(92歳)の命の灯火が、今、まさに消えようとしている。
元気だった母の突然の変化。でも年齢を考えれば無理もない。
戦中、戦後の動乱を切り抜けてきた母は、たいていのことでは
動じず、いつも肝がすわっていた。
その一つの要因は、小学生の頃、神戸で何度も死の危険を
かいくぐり、家を二回も焼け出されたこと。
○ 焼夷弾の火の粉が背中の荷物に飛び移ったが、中に入っていた木の
お札に燃え移り、それが半分燃え尽きたところで火が消えていたこと。
○当時50歳位のおばを送って帰る道すがら、空襲警報が鳴ったので川に
降りたかったが、おばは降りることができなかった。「おろして」と
叫んでも誰もおろしてくれなかったので、仕方なく近くの側溝の蓋を
開けて身を隠した。
あたりが静かになったので、恐る恐る外に出てみると、川は全て
亡くなった人の山。母曰く「川を火が走った」と。
戦後は金融封鎖で家族の生活は一変し、年老いた両親の代わりに
家計の大きな部分を背負った。洋裁学校に行き注文服を仕立てたが、
母の服は緩みも少ないのに、手の上げ下げがしやすくしていて疲れない。
「どうして?」と私が尋ねた時、母は「裁断の腕がいいから」と胸をはった。
その母は、お客さんにも言いたい放題で
「そのデザインはあなたに似合わないと思う。こっちの方がいいよ。」
と、ズバズバ遠慮せず言う。それで離れていく人もいたが、結局
「他の店で注文した服を着ても誰も褒めてくれないのに、あなたの
作った服を着ると必ず褒められる。そして何よりも若く見える」
とみんな戻ってきた。
そして80歳まで注文してくれる友達のようなお客様に囲まれた。
そういった自信もあって、母が自分の価値観をどんどん子どもに
押し付けてきた。
〜それに戸惑い、反発した日々〜
でも目の前の母を見ていると、そんなことはどうでもよくなった。
顔が透きとおって、光り輝いている。
私も歳をとり、いろんな経験を経て「唯一絶対のこと」はないと思う。
でも、母の価値観の押し付けは、愛情がねっこにあった。
だから 全てにありがとう
感謝しています
私が【絶対にくじけない心】を持っているのは母のおかげだ。