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エウレカ 私は見つけた 第13話
13 ヘラジカとの出会い
昨夜の夕食では、元気のない俺のことをを励ますためか、奥さんが歌を歌ってくれた。そのメロディーにはどこか哀愁があり、初めはこんなに落ち込んでいるのにと思った。サントリーニ島でよく耳にした、明るくアップテンポの曲だったら、きっと元気が出ると感じたのだ。でも、それは間違いだった。伴奏もないその哀しげな歌を聴いているうちに、彼は、自分の切なさが癒されていくのがわかったのだ。
【ありがとう。皆さん、あなた方のさりげない優しさが、私の心に少しずつ染み込んでいくようです】
次の日は、珍しく風も強くない晴天だった。ロドリゴは独りになりたかったので、以前タクレットと訪れた湖へ向かった。そして静かな湖面を眺めながら、ぼんやりした。
ここでは風が山から吹いてくると、湖の表面にさざなみが立つ。いろいろな形にそれらは変化していくが、たぶん、深い湖の底は不動であろう。
ここでの暮らしも1週間以上になった。あの家族と出会って、
『幸せとは自分で感じるもので、物やお金を持っていることではない。そして他人と比べるものでもはない』とわかった。
この場所に来て、サントリーニ島での暮らしはとても幸せだったことに、ロドリゴは気づいた。
『仕事があり、優しい妻がいた。でもそれが幸福だとわからず、俺はいつもいらいらして周りに当たり散らしていた』
『あー、できることならサントリーニ島に戻って、この人生をやり直したい』
この地の静けさが、ロドリゴに人生を振り返る時間を与えた。
しばらくすると、風向きが変わってきた。遠くから何かがやってくる。でも、ロドリゴはとっさに
『今逃げると、かえってそれを刺激し危険だ』と判断した。そこで深く呼吸をして、それが通っていくのをやり過ごすことにした。
まるで森の木がゆっくり移動してくるように見えたが、それは、大きなヘラジカだった。その大きさ、角のみごとさからまるで「森の主」のようだ。
ロドリゴは恐れで固まってしまい、悠然とこちらに歩いてくるヘラジカを凝視した。なぜかヘラジカは、彼の前でピタッと止まり、そしてこちらを向いた。
ロドリゴは一瞬恐怖を感じたが、狩とは違い、相手は見えている。理由はわからないが、なぜだか心は乱れなかった。
ヘラジカの目は、深く厳かで、静かな光をたたえていた。そのとき、ロドリゴはヘラジカの声を聞いたような気がした。
「これから一体どうしたいのか」と。
「えっ!」彼は、密かに抱いていた問題を、不意につかれたような気がして、
もう一度、ヘラジカの顔をまじまじと見た。
しかし、ヘラジカは不動で、ただ彫刻のように、たたずんでいるだけだった。 ロドリゴはその姿から「返事はちゃんとしなければならない。たぶん、俺の心は全てお見通しだろう」となぜか感じた。
しばらく思いを巡らせた後、ロドリゴはきっぱり答えた。
「ここに来て、サントリーニ島での暮らしが幸せだったことに気づきました。
不幸だと思っていたのは、私の考え方のせいです。もし、戻ることができるならば、生まれ変わった気持ちで、周りの人にも感謝を伝えていきたいです」
いつの間にか彼の言葉に熱がこもっていた。すると、湖や森がゆがみ始め、座っていたベンチがぐらぐらとゆれてきた。「あっ」と思って、かろうじて視線を周りに移すと、何もかもが、蜃気楼のように見えてきて、彼は気を失ってしまった。