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私が陰キャになった話 pt.1

  母親が言うには、私はものすごく活発な子だったらしい。一瞬目を離せばどこかに走っていって迷子になるし、車が出てくる場所でも平気で飛び出すし、とにかく外で遊ぶのが大好きな子供だった。飛び出すのを止める親の腕を振り切ろうとして、肘を脱臼したこともあった。

 迷子になったことや、肘を脱臼したことは一切覚えていないのだが、私の幼少期の記憶は、親に公園で一緒に遊んでもらったり、自転車の練習に付き合ってもらったり、お盆やお正月の度に旅行に連れていってもらったり、家族と過ごした思い出だけ取り出しても、確かに活発な子だったと思う、小学生になってからも、放課後は一目散に家に帰り、即公園に。DSをやることもあったが、5時のチャイムがなるまで鬼ごっこ、一輪車にブランコ、とにかく元気に動き回っていた。友達もたくさんいて、よく話す子だった。習い事も色々やらせてもらって、暇な時間なんてないくらいアクティブだった。

 それが今はどうだろうか。一日何も予定がなかったら、家から一歩たりとも外に出ない。普段外に出るのは大学やバイトに行く時と、たまに友達と遊ぶ時だけ。家でのんびりすることが一番の幸せ。友達も両手で数えられるくらい。小さい頃の私からしたら、今の姿を想像できないだろう。あまり人を陰と陽で分けたくはないが、そのように分けるなら、小さい頃の私は陽キャで今の私は陰キャ。なぜこんなにも変わってしまったのか。


最初からずれていた

 小さい頃なぜあんなにも活発だったのか、自分の中で考えて出た結論は、単純に能天気に生きていたから、ということである。誰でも小さい頃はそういうものかもしれないが、多くの人は学校という小さな社会で少しずつ外界に適応していくだろう。しかし今思えば、私は最初からずれたままでそれに気づかないままだった。幼稚園のとき、女の子たちと遊ぶこともあったが、よく男の子とプラレールで遊んでいた。かと思えば教室の隅っこで一人で絵本を読み出したりとにかくマイペースであった。小学校でもそのマイペースさは健在であった。それが故に日本特有の団体行動は苦手だった。全校集会で一列に並ぶのも、班で登下校するのも何もかも。私のマイペースさは小さい頃からだったが、当時の私は自覚していなかった。自分が「ずれている」ことに気づかないまま、元気なマイペースとして生きていた。


ずれていることに気づいた中学校時代

 そんなこんなで、ずっと無自覚のままマイペースに生きてきたわけだが、中学校で自分と世の中の基準とのずれを思い知らされることになった。3人組でずっと過ごしていたのだが、ある日突然、仲間はずれにされるようになった。特に無視されるとかはなかったが、2人で遊びにいったり、アイコンをペア画にしたり、お揃いのものを買ったり。当時の私には耐えられなかった。小規模な中学校だったから、その2人以外のコミュニティ(?)はほとんどなかったし、何より周りはずっと3人でいたのを見ていたわけだから、突如自分が仲間はずれにされている様子を見られるのが嫌だった。親に自分から何があったかは話さなかったが、流石に家で泣いたし親も察していただろう。親同士でも繋がりがあったから、2人の親にも伝わったはずだ。だから、ある日から2人が気を遣ってくれるようになった。「気を遣って仲良くする存在」として扱われている感じは、仲間はずれにされるよりも嫌だった。私はこの時、自分が「ずれている」と気づいた。具体的に何が原因で仲間はずれになったのか、真相はわからないが、私は2人と何かがずれていた、それだけは確かである。

 偶然2人はその後親の仕事の都合で全く同じタイミングで転校が決まって、私の地獄の日々は、半年ほどで終わった。しかしその頃にはかつての活発な私はいなかった。一人でいることを正当化するために、一人が好きだと言い聞かせ続ける生活を続けるうちに、少しずつ内向きになり始めていたし、この一件で少し人間不信になった。いつか仲間はずれにされるくらいなら、最初から一人の方がいい、とも思ったが、その後転校してきた子と仲良くなり、幸いその後の中学校生活を一人で過ごすことはなかった。


ずれているから、レールに乗りたくなかった

 高校受験の時に早慶を目指さなかったことも、私が「ずれている」ことを象徴しているかもしれない。それなりに勉強はできたため、ちゃんと受験勉強していれば早慶にも受かっただろう。しかし私は早慶には興味がなかった。世の中のいわゆる勝ち組のレールに乗っかるのがなんとなく嫌だったからである。「〇〇さんの進路が何であっても全力でサポートするよ!!」とか言ってた先生たちも、面談で志望校を伝えた私に受験ギリギリまで早慶の受験を勧めてきた。彼らが望むのは、私が志望校に受かることではなく、早慶への進学実績。早慶という選択肢が手の届くところにあるというのに、敢えてそれを選ばないなんて、側から見たら私は完全に異常だ。

 中学の3年間で、私は自分がいかに世の中のスタンダードからずれているのか認識することになった。そして、それが時に物事を悪い方向に進めることを思い知らされた。だから、私の中で世の中の標準に合っていることこそが正義で、ずれていることは悪だという考えが定着した。ずれたまま外の世界と関わるのは間違っている気がした。だから、私は徐々に外に向いていたエネルギーを内に向けるようになった。その時には、陰と陽の世界があるとするなら、陰の世界に片足は確実に突っ込んでいた。


続く。


 


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