作詞入門―阿久式ヒット・ソングの技法(岩波現代文庫)を読んで感じた作詞における「時代を読む力」の重要さ
阿久悠に触れるきっかけ
僕はシンガーソングライターのひよっこちゃんだが
自分の作る歌詞にコンプレックスがある。
おそらく不本意に遠回しになる節がある。
一発で伝わらない。
(歌詞カードで嗜んでくれる人もいてありがたい限りだけど、ライブでもっと伝えたい。)
コンプレックスだけど、歌詞を描くという過程は好きだ。
だからこそ、好きなりに頑張ってるんだから、コンプレックスを跳ね除けられるくらいもっと良い成果物を作りたいし、そのためにも勉強しなくては、と思ったので、たった3冊ほど著作を読んだ。
作詞家として自分が一番好きな松本隆、その対のイメージとして阿久悠。そのライバルにあたる、なかにし礼あたりは著作があれば読みたかった。
あとは一般的な方法論の著作はマストで入れておきたかった。
なかにし礼の「作詩の技法(河出書房新社)」はほぼ自伝的エッセイだというレビューも確認し、序盤をあらかた読んだらそんな感じだったので後に回し、
・作詞入門―阿久式ヒット・ソングの技法(岩波現代文庫)/阿久悠
・松本隆 言葉の教室(マガジンハウス)/延江 浩
・15秒作詞入門(ヤマハミュージックメディア)/野口 義修
この3冊をチョイスした。
忌憚なく、一番ためになったのは阿久悠の著作だった。
阿久悠という沼
こんなこと、恐縮以外のなんでもないがあえて言う。
松本隆が「天才」であれば、阿久悠は「秀才」だ。
「秀才」だからこそ考え抜かれているし、人に伝えられるほど持論が推敲されていた。とても読み応えのある一冊だった。
何より序盤の一文が刺さった。
に心をグッと掴まれた。
「どういう意味?」
一瞬で本意は理解できなかった。
昭和ならではのマッチョな表現も十分刺激的だけど、それより僕の知らなかった阿久悠の奥行きへの扉が開かれて、それがどこまで続くのか、とても気になってしまった。
阿久悠が歌に託したもの
阿久悠の真髄は「時代を読む力」という。
阿久悠の作品について、たびたび「彼の作品たちは昭和時代を象徴する」みたいな文言はよく見かける。
実際、本著を通して多く語られるのは周辺の技法ではなくて「どう時代を読んだか」ということだった。
こう語るように、阿久悠は時代の中で変装している心の「飢餓感」をとらえて、心の瘡蓋を剥がす作業を、歌に託した。それが歌、さらに歌詞の役割だと考えた。
別著にて、35年後の晩年同じ様なことを阿久は語っている。
作詞において、生涯一貫した価値観だったことがわかる。
「ヒット作をつくる」というモチベーションは、阿久のキャリアのための側面も勿論あったろうが、それよりも歌を通して社会に救済の一途を託しているようにも思えた。
それは和田アキ子における『あの鐘を鳴らすのはあなた』だし、尾崎紀世彦における『また逢う日まで』だったんだと思う。
阿久悠と尾崎紀世彦『また逢う日まで』
時代とのキャッチボール
尾崎紀世彦の『また逢う日まで』は、前身の曲があった。
ズー・ニー・ヴーというGSバンドの『ひとりの悲しみ』で作られたオケとメロディを、一年後に踏襲して、新しい歌詞をセルフリメイクしたのが『また逢う日まで』だ。
阿久はこの歌詞を、「安保改正に伴って、国会議事堂の見える東京に耐えきれず旅に出る若者」に向けて1970年にリリースする。
阿久は「売れなかった」と著で語る。同時に「70年も、69年と変わらないほど東京には若者で溢れていた」「彼らはいうほど挫折している様には見えなかった。それに旅に出たりなんかしていなかった」と状況を語り「その時彼らが欲しいものが何か、考えるべきだった」と反省もしている。
時代に投げたボールが返ってこなかった。
ただ、尾崎がこの歌をたまたま聴き、この歌を歌いたい、と言い出し、それに新たな歌詞を付け直したのがお馴染みの歌詞だ。
先述した「その時彼らが欲しいもの」の答えを阿久は「70年代をくぐり抜けて、人が求めるのは、優しさ、触れ合いだった」と結論づける。
その結論が『また逢う日まで』に結晶した。
当初、阿久の予想では同棲好きな女子大生に受ける(同棲好きって何)と思っていたが銀座のホステスにまで受けた、と語っている。
この歌が示した新しい別れは、彼女らが繰り返してきたような、手切れ金もないような凄惨な恋の終わりとは対照的で、瞬く間に憧れとなった。何度でもさよならを言える、そんな復縁/再構築の望みすらある理性的な別れは、女子大生からホステスに限らず、色恋多き女性にとっては「私もこんな恋の別れをしたい!」みたいな憧れとなったのだろう。
期せずして再び、時代に投げたボールが跳ね返ってきた。
しかし予期せぬ方向からもボールが返ってくることも、阿久はこの時学んだという。
阿久悠と歌謡曲の衰退?
阿久悠は生涯で5000曲の作詞を担当した。
5000回ボールを時代に投げ続けたということになる。
何度もトライアンドエラーを繰り返し、返ってこなかったボールは数知れずあるはずだ。
その中で返ってきたボールこそ「ヒット曲」で、誰かの心の飢餓感を救った。それが使命だし、彼のやりがいだったのかも知れない。
思うに、彼の曲が時代を作ったのではなくて、時代が彼の曲を作らせた。
だが、やがて彼は時代についていけなくなるようにも見えたという。
事実80年代後半あたりからヒット作は減っていく。歌謡曲の終焉も相まってか、それとも彼の衰退が終焉を招くのか。
阿久悠と河島英五『時代おくれ』
衰えない「時代を読む力」
阿久が作詞を担当した河島英五の『時代おくれ』について語る、また著とは別の考察がある。阿久悠記念館運営責任者、冨澤成實氏によるもの。
当時、この『時代おくれ』というタイトルは、阿久自身を自嘲的に捉えた内容とも揶揄された。
「辛気臭い」だのなんだの陰口も言われたようだった。
しかしそんな逆境を乗り越える展開が待っている。
河島英五の『時代おくれ』がリリースされたのは阿久のヒット作が減っていく真っ只中の85年だが、この歌は消えずに91年の「第42回 NHK紅白歌合戦」に出場するなどし、5年以上の時差をもってブレイクする。
どうして時差が生じたのか?
その5年間、世の中は「バブル」の幻影のなかで、誰も彼もが自信満々で闊歩し、ブランド商品を身につけ、海外旅行をし、別荘やクルーザーの購入を語り、財テクこそ幸福への道と信じていた。
だからこそ、いわば「逆張りおじさん」として、河島英五の『時代おくれ』は、バブルに疲れた人々の心の裸の部分を投影したのではないだろうか。
一度現代に立ち戻り、確かに僕の実感として、数年前のコロナ禍では外食やレジャー、今までの生活の全てが羨ましく見えた。
同じように、リアルタイムを生きていない僕でも、「バブルの幻影の中で、質素な『取るに足る生活』というのは羨ましく見えるだろう」と想像はつく。
時代と人の中にあるギャップを阿久は見抜いていたに違いない。
(それも5年越しに見抜くなんて未来予知の次元に思う)
ところで僕が一番最初に引用した、この著に吸い込まれた一文に立ち返る。
まさに『時代遅れ』制作の核にあたる考え方じゃないだろうか。
「先入観を疑いましょう」「思い込みを捨てましょう」
最初は「どういう意味?」と思っていたワンセンテンスも、今となっては阿久がそう言っている様に思える。
バブルの「満ち足りた生活」が幸せだと思う先入観を、
『時代遅れ』は払拭するように、「取るに足る生活」を歌っている。
だからこそ時限爆弾のようにバブルに疲れた人たちが『時代遅れ』を愛したんだと思う。
雑なまとめ
阿久悠の真髄は「時代と読む力」にとどまらず「時代と会話する力」だ。
時代を描くだけでなく、歌詞を通して時代を生きる人々の心と会話をしている。だから彼の歌は長い間愛されて、ずっと歌い継がれていくんだと僕は思った。
ただ、彼はそうだったというだけで、それを活かすも活かさないも『勝手にしやがれ』なところではある。