(安全保障に関する)1970年代の公文書まとめ(修論で用いたもの)
1969年佐藤総理・ニクソン大統領会談に至る沖縄返還問題 日本語 英語 1969年12月15日
.佐藤総理大臣とニクソン大統領は、11月19日、20日および21日にワシントンにおいて会談し、現在の国際情勢および日米両国が共通の関心を有する諸問題に関し意見を交換した。
2.総理大臣と大統領は、各種の分野における両国間の緊密な協力関係が日米両国にもたらしてきた利益の大なることを認め、両国が、ともに民主主義と自由の原則を指針として、世界の平和と繁栄の不断の探求のため、とくに国際緊張の緩和のため、両国の成果ある協力を維持強化していくことを明らかにした。大統領は、アジアに対する大統領自身および米国政府の深い関心を披瀝し、この地域の平和と繁栄のため日米両国があい協力して貢献すべきであるとの信念を述べた。総理大臣は、日本はアジアの平和と繁栄のため今後も積極的に貢献する考えであることを述べた。
3.総理大臣と大統領は、現下の国際情勢、特に極東における事態の発展について隔意なく意見を交換した。大統領は、この地域の安定のため域内諸国にその自主的努力を期待する旨を強調したが、同時に米国は域内における防衛条約上の義務は必ず守り、もつて極東における国際の平和と安全の維持に引き続き貢献するものであることを確言した。総理大臣は、米国の決意を多とし、大統領が言及した義務を米国が十分に果たしうる態勢にあることが極東の平和と安全にとつて重要であることを強調した。総理大臣は、さらに、現在の情勢の下においては、米軍の極東における存在がこの地域の安定の大きなささえとなつているという認識を述べた。
5.総理大臣と大統領は、極東情勢の現状および見通しにかんがみ、日米安保条約が日本を含む極東の平和と安全の維持のため果たしている役割をともに高く評価し、相互信頼と国際情勢に対する共通の認識の基礎に立つて安保条約を堅持するとの両国政府の意図を明らかにした。両者は、また、両国政府が日本を含む極東の平和と安全に影響を及ぼす事項および安保条約の実施に関し緊密な相互の接触を維持すべきことに意見の一致をみた。8.総理大臣は、核兵器に対する日本国民の特殊な感情およびこれを背景とする日本政府の政策について詳細に説明した。これに対し、大統領は、深い理解を示し、日米安保条約の事前協議制度に関する米国政府の立場を害することなく、沖繩の返還を、右の日本政府の政策に背馳しないよう実施する旨を総理大臣に確約した。
日米安全保障条約の自動継続に際しての政府声明 日本語 英語 1970年6月22日
2.(世界・アジアの平和と繁栄-第1,2項)
第1項と第2項は,共同声明全体の基調を示したもので,総理と大統領は,自由世界第1および第2の経済的実力を持つ国同志にふさわしく,スケール大きく,かつ,70年代への長期展望に立つた話し合いにより,緊密な日米関係を出発点として,特に国際緩張の緩和,世界およびアジアの経済発展,民生安定への貢献を通じ,平和と繁栄に向かつて協力することを明らかにしたものであります。
3.(極東情勢についての意見交換-第3項)
この項は安保条約でいうところの極東の安全,換言すれば戦争防止が,効果的な抑止力としての米軍の極東における存在によつて支えられているという現実に対する両首脳の考えを明らかにしたものであります。すなわち,総理は大統領が強調した極東の安全保障に対する米政府の基本的姿勢を支持しつつ,抑止力としての米軍の極東における存在を積極的に評価し,また効果的な抑止力の維持の必要という一般的見地から,米国が既存の防衛条約上の義務を,必ず守るという決意をいつでも実証しうるような態勢にあることが望ましいとの考え方を示したのであります。以上はいずれも米軍の極東における存在一般の評価を述べたもので,米軍の具体的な配備ぶりとか装備ぶりについて論じたものでないことはいうまでもありません。また共同声明のあとの部分に出てくる沖繩返還の態様,あるいは事前協議制の運用の問題と直接関係がないことも同様であります。
のためつけ加えさせていただきます。
5.(安保条約堅持の意図表明-第5項)
この項で両首脳は,わが国はじめ極東の平和と安全の維持に大きく貢献している安保条約の堅持を,相互に表明し合つたのであります。これはもとより両国それぞれの条約の廃棄権を制限して条約の有効期間を固定するがごとき法的合意でないことは多言を要しません。また両国政府が今後とも通常の外交経路や安全保障協議委員会等を通じて従来から行なつてきた意思の疎通のための,緊密な相互の接触を続けて行くことに一致しましたが,これは今までと同様,流動的な国際情勢の下にわが国の安全の権保に万全を期するためであります。
この項も共同声明の柱の1つであつて,総理がわが国の非核3原則に基づく政策を詳しく述べ,これに対し大統領は深い理解を示し,この日本政府の政策に反しないように沖繩の返還を実施する旨を確約しております。すなわち,沖繩の核抜き返還が明らかにされたものであります。すなわち,米国政府の最高責任者である大統領の「確約」であるからには,返還時における核兵器の撤去についてこれ以上の明確な保証はないのであります。従つて返還後の沖繩にひそかに核兵器を存置しておくというような,いわゆる「核隠し」などは到底問題となりえないことは,わたくしから事新しく申上げるまでもありません。なお,事前協議制度のもとでは,核兵器の日本(本土および返還後の沖繩)への導入は法的に禁止されるということではなく,ただ日本政府は現在その政策たる非核3原則により,これを断るという方針をとつています。従つて事前協議の対象となるべき性質の問題であることは変らず,米国政府の立場としてこれを確認したのが,「事前協議制度に関する米国政府の立場を害することなく」との表現であつて,これによつてわが方が「有事持込み」を認めるという保証を与えたものではありません。
『日本の防衛‐防衛白書‐』
1970年代は、日本の国力が世界に対して前例のない重みと影響力を持つ時代となろう。そのことは国際的責任が重くなることであり、そしてまた国内的にも国際的にも、経済成長に伴い生ずる深刻な問題を解決しなければならない時代となろう。したがつて、今や追随や模倣をすて、みずからの手でみずからの目標を設定し進んで行かなければならない。
第2次世界大戦後、軍事技術は目ざましい発達を遂げた。特に核兵器とその運搬手段の進歩は、電子技術の進歩と相まつて、戦略、戦術に大きな変革をもたらした。また、宇宙開発の分野における最近の急速な進歩が軍事面においても偵察、通信等の分野で大きく寄与しつつあることも見のがしえない。
核兵器は、米ソにおいては、大威力の戦略用のものから小型の野戦用のものまで、各種のものが開発され、あるいは装備されている。最近では1基のミサイルから数個の目標に誘導される複数弾頭(MIRV)なども開発され、また、ソ連では人工衛星の軌道を一部利用する部分軌道兵器(FOBS)が開発されつつある。
電子技術の進歩は、相手の大陸間弾道弾(ICBM)を早期に発見し、これを瞬時に識別して迎撃する手段(ABMシステム)をもたらした。このABMシステムは、米ソともに開発が完了し、一部配置を行なつている。
米ソに続いて英国、フランス、中共もまた核兵器を開発し装備化していることは周知のとおりである。
原子力を推進力に利用する方法の完成により、原子力艦艇が生まれた。これにより特に潜水艦の能力が画期的に向上し、これに戦略核ミサイルの技術が加わつて、ポラリス、ポセイドンなどの戦略核ミサイルとう載の原子力潜水艦となり、強力な核報復力の主体をなその他技術の進歩は、通常兵器の近代化の面でも著しい。陸戦兵器、防空兵器、航空機または艦艇とう載兵器の分野にミサイルが進出し、火力も大幅に増強されつつある。また、ヘリコプターを含む航空機、車両の進歩は機動力を向上させ、電子技術の進歩は情報機能または指揮連絡の能力を著しく高めている。
大口径砲をとう載する艦艇は姿を消し、ミサイルおよび対潜兵器を装備するものが主用されるようになり、航空機はすでに音速の3倍を出すものさえ出現しようとしている。垂直離着陸機(VTOL)、大型輸送機やヘリコプターが開発されて部隊や重量物の戦略輸送や戦場機動が可能となつた。
以上のような技術、兵器の進歩が現在の戦略、戦術の基礎となつており、国際情勢を動かす一つの因子となつていることは見のがすことのできないことである。
すに至つている。
核兵器が出現し、高度の発達をみた結果、防衛努力または軍備の重点は戦争抑止に置かれるようになつた。核兵器の出現および進歩は、兵器の破壊力を一挙に数千倍から数百万倍にも増加し、これに対して今のところ、ABMシステムをもつても有効に防御することは因難であり、核戦争の開始が相互に壊滅的打撃をもたらすことは明らかである。そこで核戦争抑止のためあらゆる努力がはらわれている。米ソ両国は相手の国を徹底的に破壊するに足る核戦力を準備することにより、相手方からの核攻撃を未然に防止するための核抑止力としている。すなわち、相手からの第1撃を受けても、なお生き残り、残存の核戦力で相手に決定的打撃を与えうるよう、ICBM、戦略核ミサイルとう載原子力潜水艦、核兵器とう載の戦略爆撃機を配置するとともに、さらにミサイル基地の分散、地下移行、ABMによる防護措置等を行ない核抑止力を弱化させないようにつとめている。
さらに、核兵器は、戦術核兵器のような小型のものであつても、いつたん使用されると逐次大型の核兵器の使用へと拡大され、ついに世界的規模の大量破壊の核戦争に発展するおそれがあり、また、通常兵器を使用する戦争であつても、それが拡大すれば核戦争へ転化しないという保障はない。そこで各国は、核兵器を使用する戦争はもちろん、通常兵器を使用する直接、間接の侵略をも含めてすべての戦争の生起を抑制し、また、戦争が起こつた場合には、それが拡大しないうちに消し止めることを防衛と軍備の方針としている。
通常兵器を使用する戦争を抑止するには通常兵器によることが常態であろう。これが核兵器が発達した後においても、通常兵器が重視されるゆえんであり、米ソのように核兵器を大量に保有する国々においても、通常兵器の整備に大きな力をさいている。
次に、現代戦における作戦速度の向上と打撃力の増大は、戦争の開姶と同時に被侵略国に致命的な打撃を与えることを可能とした。このような特徴をもつ現代戦においては、従来のような緩慢な対応は許されず、攻撃に対して直ちに対応できる防衛体制をつねに整備しておかなければならない。そこで核の奇襲攻撃に対し直ちにこれに対応して報復攻撃を加えることができるよう戦略ミサイルの配備、戦略爆撃機の常時警戒待機等を行ない、通常兵力の軍備においても常時対空警戒、機動力の強化、実戦的に訓練された部隊の配置等により有事即応体制をとり、戦争の抑止または限定化国防費は、その国の防衛努力を表わす一つの指標となるものであるが、その国がおかれている国際環境その他によつてそれぞれ特色を持つている。日本は、国民1人当たり国防費、国民総生産に対する国防費の割合では、世界各国の中でも最も少ない国の一つである。われわれは正義の支配する恒久平和を望んでいる。そしてわれわれは、今後も平和のうちに今日のような発展と繁栄がつづくことを切望するものである。しかし、国際社会には数多くの武力紛争が後を絶たずに起こつている。わが国の周辺には、侵略の意図のあるなしは別として、優勢な軍事力をもつ国が存在している。それによつて直ちに、わが国に対する侵略の危険性があると判断するものではないが、わが国の独立と平和がいささかでも侵されるようなことがあつてはならない。
わが国の独立はなにものにも替え難いたいせつなものであり、独立に対する侵略にはいかなる犠牲を払つても守り抜かなければならない。国の独立は、国の政治、経済、社会等に関する体制をその国がみずから決定し、外国の干渉を許さないことである。国に独立がなければ国民の生活は隷属のそれとなり、文化も興らず、繁栄もなく、理想はもとより人生に対する励みの起こることもなく、活動の自主性は全く奪われて、あんたんたる毎日を送るほかはないであろう。
また、わが国の防衛とは、われわれの国土の安泰と、民族の文化、自由と民主主義および国民共同の生活体の安定と繁栄を守ることである。この国土はわれわれの祖先の住んだところであり、またわれわれの子孫の住むところである。われわれは、長い歴史、独特の文化と伝統を誇つているが、さらに育成されて栄えて行かなければならない未来の土地でもある。喜びと悲しみ、希望と失望の交差してきた過去を持ち、しかも正義と人道がいよいよ興らなければならない土地でもある。しかもこの土地の民族は一つであり、この社会および国家は分割のない一つのものであつて、この独立と統一を長い間続けてきたである。わが国のような、一民族、一国家、一言語、一億人口の個性を持つ国は他にない。しかし、かかる国家の特色もその独立と平和が確保されているがゆえに続けることができるのであつて、このような個性の獲得が、またその維持がいかに多くの血と努力を要するものなのかは、歴史の物語るところであり、今日の世界の現実が示している。
わが民族は、わが国土はもちろん、言語風俗、生活体系、歴史伝統、信仰、文芸、思想等を遠い昔から受け継いできた。これは過去からの長い歴史を通じて培われたわが民族の蓄積であり、その創造物であり、共同の世襲財産である。自然や物質的要因の上に人の心によつてつくられた精神的文化財である。その価値は国民の努力によつて積み上げられた成果であり、また将来のこの努力は続けられるであろう。
戦後の風潮は、戦前の行き過ぎた国家主義に対する反動から、国を愛するという自然で人間的な感情をあえて否定するかのごとき傾向が強かつたが、われわれは戦後25年にしてみずから反省すべき時期に到着したと考えられる。そうして、国を愛するという自然にして健全な感情をわれわれ国民の心の中にはぐくんで行く必要があると信ずるものである。
極東における軍事情勢と予想される武力紛争
(1)極東における軍事情勢
現在の国際社会は、米ソ両国の核による相互抑止を前提とする東西両陣営の対立と共存関係を基本としているといつてよいであろう。米ソ両国は、いわゆる平和共存の立場から交渉による問題解決の態度を続け、国際緊張緩和のための話し合いや、核兵器不拡散条約、核ミサイルの相互制限などの軍備管理問題等現実的な共通利害に係る問題の処理に当たつては、協調的な方向を維持するよう努めている。しかしながら、米ソをそれぞれの頂点とする東西両陣営対立という基本的な態勢には変化なく、国際緊張の要因は依然として存続しており、軍事的には米ソの強大な軍事力を中心とした集団防衛体制をそれぞれ維持し、各国の軍備の相対的充実に努めているのが現状である。
さらに、このような情勢を基調としながら、一方においては、各国の国益重視または自主性を強調する気運が強まつてきており、国際政治はいわゆる多極化の傾向を増しつつある。すなわち、世界情勢は米ソを中心とする軍事的双極化と各国の自主性を基調とする政治的多極化の道を歩んでいる。また特にアジアにおいては中共の動向等をめぐり、情勢はますます複雑の度合を強め、流動的に推移しているといえよう。
国際緊張についていえば、もとより米ソ両国の強大な核戦力を中心とする相互抑止関係下においては、いかなる国といえども大規模な武力行使による現状変更を決意することはきわめて困難な情勢にあり全面戦争または全面戦争に発展するおそれのある大規模な戦争は強く抑制されているが、いわゆる民族開放闘争や国家利益の対立等による局地的な武力紛争は、依然としてあとを絶つていない。
明日国際社会にいかなる緊張が生まれ、それをめぐつていかなる武力紛争が生起するかを予見することはきわめてむずかしいことであるが、今後起こるかも知れない武力紛争を予想するためには、第2次世界大戦後、現実に生起した武力紛争を検討しておくことは意義のあることであろう。戦後の紛争史の特徴をあげると次のように要約することができるであろう。
第1に、核兵器を使用する戦争や大国間の戦争または第2次世界大戦のような大規模な戦争が起こらなかつたことであり、局地的な制限戦争は起こつても、第2次世界大戦のような大規模な戦争に拡大しなかつたことである。これはいうまでもなく、戦略核兵器体系の発達が大規模の戦争を抑制したものであるが、同時に世界的な集団安全保障体制の存在がその発生を抑止していることをも見のがすことはできないであろう。
第2に、核兵器を使用する戦争および核戦争に発展するおそれのある大規模の戦争は抑制されたが、通常兵器を使用する制限戦争やゲリラ戦等局地的な武力戦争は抑制されずに起こつていることである。そしてこれらの武力紛争は単に一国対一国で戦われるというものであるよりは、利害関係国が、陰に陽にからみ合つて複雑な様相を呈するものが多かつたことである。
第3に、以上の武力紛争の原因または動機として、民族主義、反植民地主義、領域紛争、宗教的人種的対立のほかイデオロギーの対立に基づくものが多かつたことである。
以上の諸特徴から次のようなことがいえると思われる。すなわち、核時代における戦争ないし武力紛争は、制限戦争の形でぼつ発している。戦争の目的、使用兵器、戦争の地域をお互いに暗黙のうちに制限しあいながら戦う現代の戦争は、きわめて政治色の強いものということができ、この部分については、「戦争とは他の手段をもつてする政治の延長である」という言葉は今日なお真実であろう。そして直接侵略という公然たる武力侵略が抑止される結果、間接侵略という潜行的な侵略の形で行なわれる可能性が増大しているということができる。たとえば民族開放闘争支援に仮託した侵略のように、間接侵略が主体となり、直接の武力行使は、間接侵略の補助的または仕上げのための手段として用いられるなど、その目的、地域、手段、期間等が限定される事態が多いであろう。しかし公然と国境を越えて侵略する直接侵略の可能性も全くないと判断することは危険である。もつとも、この場合の直接侵略についても第2次世界大戦のような大規模なものは抑止され、局地的な制限戦争の可能性が多いであろう。
わが国の国防の基本をきめるものは、日本国憲法とそれに基づいて定められる国防に関する諸法令および諸政策である。わが国は、自由と民主主義による平和国家、文化国家および福祉国家の建設を大きな目標としている。わが国の国防の政策はこの目標の中で考えられなければならない。そして、さらに現代の国防が軍事面と非軍事面との適切な調和の上に成り立つものである以上、防衛政策は国家の他の政策の中で正しい位置づけをされなければならない。
(1)憲法と日本の防衛
自衛権は、国が独立国である以上、当然に持つている固有の権利であり、これを行使することができるのは当然である。
わが国の憲法は、「国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する」と定めているが、外部からの武力攻撃を受けた場合、自衛のためこれを排除するために行なう武力の行使は放棄していない。他国から武力攻撃を受けた場合、武力攻撃を阻止することは防衛そのものであつて、国際紛争を解決することとは本質が違うものである。自国に対する武力攻撃が加えられた場合に、わが国を防衛する手段として武力を行使することを憲法は禁止していない。他国からの武力攻撃を受けた場合、自衛権を行使してこれを排除することは独立国として当然のことである。
わが国の固有の権利である自衛権を行使するための防衛力を保有しうることも当然である。
わが国の防衛力は自衛のためのものであるから、その規模は、自衛のため必要かつ相当のものでなければならない。このような防衛力は憲法が保持することを禁止してい(2)国家施策の中における防衛
国の安全を保障するためには、軍事的政策と非軍事的政策、特に政治と軍事、外交と軍事との関係が正しく規律され、その両方から調和のとれた適切な施策が行なわれなければならない。
国の安全保障上、まず考えなければならないことは、いかにしてわが国に対する外国の脅威や侵略を未然に防止するかということである。このため、まず、たいせつなことは、国の外交的努力である。複雑化し、連帯性の飛躍的に増大した国際社会において、その平和維持能力を向上させ、平和を増進させて、平穏で安定した国際環境をつくるための努力をしなければならない。積極的平和外交、国際連合の強化、軍縮や軍備管理もこれに関連する問題である。
さらに、国の安全保障を全うするためには、このような外交施策と同時に経済力の増進、社会保障の推進、教育の向上、愛国心の高揚など国内基盤を確立するための政治、経済、社会に関する施策を講ずる必要がある。また、防衛に関する国民的合意が防衛の基本であり、この合意がくずれて防衛は成立しない。この合意確立の基礎条件は、健全な社会の維持である。特に間接侵略が重要性を増してきた今日にあつては、社会の健全性の必要はますます増大する。この意味においても、今日の安全保障においては、軍事面の努力もさることながら非軍事面における努力がきわめて重要な条件となつている。
しかし、以上のような平和外交の推進や国内施策の実施等は、いずれも安全保障上欠くことのできないものであるが、これらの手段だけでは、わが国の独立と安全を維持するには十分でない。相手国が、わが国を侵略しうる能力をもち、侵略しようとする意図をもつた場合にはいかに適切な非軍事的手段を施したとしてもこれらの手段だけではその武力攻撃や侵略を排除することができないからである。したがつて、わが国が外国の侵略を受ける可能性が全くないといえない限り、これらの侵略に備えて、あらかじめ、自衛手段としての防衛力を準備しておかなければならない。侵略は尋常正規の形で行なわれるとは限らず、不測の時に不測の形で迫るものであり、また防衛力は外国の侵略が迫つているからといつて一朝一夕にできないものであり、万一の事態に備える常日頃の準備を怠つてはならない。そして、重要なことは国家として、このような準備がないときは、招かずにすむ外国の侵略を招くという危険性があることであり、これに反し、準備された適切な防衛力をもち、国民全体が防衛意欲に燃えて、いかなる犠牲を払つても、自分の国土を守り抜くという気概をもつている国に対しては侵略の意図をもつ国も、その意図を未然に抑えるであろうということである。
(1)自主防衛と日米安全保障体制
佐藤内閣総理大臣は、先般の国会において「自主防衛とは、国民のひとりひとりが自主独立の気概をもち、国の防衛は、第1次的にはみずからの力で行なうというものであります。」と説明している。それは、国防は第1に国民の心構えの問題であることを述べたのである。国防は国民的課題であり、国民全体で行なうことであり、全国民の力を結集しなければできないことである。そして最もたいせつなことは、わが国の平和と独立を守り抜こうとする防衛意欲であり、ことばをかえていえば愛国心である。そのような国民の精神的基盤なしには、国の防衛は成り立たないといつても過言ではない。
国家の独立と平和をみずからの手で守ることは、独立国として当然のことであり、各国ともこのために努力している。わが国も経済力の充実、国際的地位の向上に対応して、自主的な防衛努力を行なつている。すなわち第1次的には自力で侵略に対処することを根本方針とし、専守防衛を有効になし得る態勢をつくることを目標として努力を続けている。
しかし、核時代の今日いかなる国も自力だけで防衛を全うすることは事実上困難となつており、多くの国が集団安全保障体制を採用しているように、わが国の場合も、政治、経済その他の関係で共通の利害関係をもつている米国との安全保障体制によつて外部からの侵略を抑止し、かつ、これに対処することとしている。これはわが国の防衛力と日米安全保障体制に基づく米国の軍事力とによつて、日本防衛の万全を期するという体制である。われわれは、核兵器と攻撃的兵器を持たない以上、日本の安全保障上、国際情勢に大きな変更のない限り、日米安全保障体制は必要であると考えている。
集団安全保障体制というのは、国の自主性をふまえた上での共同防衛であつて、自主防衛と矛盾するものではない。現代社会においては、自主防衛は必ずしも単独防衛ではない。自主性を確保して国益を守るために相互に提携するなら、集団安全保障体制も自主防衛の一形態である。共同防衛において注意すべきことは、相手方に対するばく然とした期待や他力本願的な依存であつてはならないということである。そのような期待や依存は国民の{前1文字ママ}国防に対する無責任な感情をうえつけ国民精神を堕落させるおそれがあるばかりでなく、相手方のわが国に対する信頼度を低め、日本防衛および相互の協力による安全保障体制の弱化をきたすおそれがあるからである。みずからの国はみずから守るという自主防衛体制の確立をはかり国民的合意の中に実効のある相互協力の道を開拓して行く必要がある。
(2)防衛力の建設
韓国から米駐留軍が引き揚げた後の昭和25年6月25日、朝鮮戦争がぼつ発し、わが国に駐留していた米軍主力は、国際連合軍として朝鮮に出動した。同年7月8日、連合国最高司令官は、内閣総理大臣に日本警察力の増強に関する書簡を送つた。その中で「法の正当な手続を覆えし、平和と公共の福祉に反するような攻撃の機会を狙う不法な少数者から挑戦されることなく、……好ましい状態を安全に維持するためには今や警察制度をその組織の面においてもまた訓練の面においても効果的ならしめるため」警察力を増強する必要性をのべ75,000人の国家警察予備隊の設立と海上保安庁の8,000人の増員を認めた。これによつて8月10日、警察予備隊が公布、施行された。警察予備隊の任務は、「わが国の平和と秩序を維持し、公共の福祉を保障するのに必要な限度内で、国家地方警察及び自治体警察の警察力を補う」ものであり、「治安維持のため特別の必要がある場合において、内閣総理大臣の命を受けて行動する」ものと定められた。一方昭和27年4月26日、「海上における人命若しくは財産の保護又は治安の維持のため緊急の必要がある場合において、海上で必要な行動をする」任務をもつ海上警備隊が海上保安庁に設置された。
昭和26年9月8日、対日平和条約と日米安全保障条約が調印され、両条約は翌年4月28日発効し、日本は独立を回復した。政府は、わが国の自主独立体制に即した行政機構として、警察予備隊と海上警備隊を統合し、陸海両面にわたる警備力の一体的運営をはかることとした。そして昭和27年8月1日、保安庁が設置され、その結果、警察予備隊は保安隊に、海上警備隊は警備隊に、それぞれ改称され、「わが国の平和と秩序を維持し、人命及び財産を保護するため、特別の必要がある場合において行動する」ことを任務とした。従前の警察予備隊、海上警備隊の任務と本質的な変更はなかつた。
のなかで、国土防衛の重要性がいつそう高まつた。
昭和27年9月27日、吉田内閣総理大臣と重光改進党総裁の会談で「自衛力を増強する方針を明確にすること、駐留軍の漸減に即応しかつ国力に応じた長期の防衛計画を樹立すること、保安隊を自衛隊に改め、直接侵略に対する防衛をその任務に附加すること」で両者の意見が一致した。一方、米国の対日援助に関し、相互防衛援助協定が昭和29年3月8日に調印され、5月1日発効した。この協定に引き続き、5月14日、日本国に対する合衆国艦艇の貸与に関する協定が調印された。
このような情勢の中で防衛庁設置法、自衛隊法が昭和29年7月1日から施行された。これによつて保安庁が防衛庁に、保安隊が陸上自衛隊に、警備隊が海上自衛隊に改編され、新たに航空自衛隊が創設された。
自衛隊は「直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当る」ものと定められた。保安隊、警備隊が秩序維持を目的としていたのに対し、自衛隊は外部からの武力攻撃に対する防衛力としての性格を持つに至つたのである。
防衛庁設置法の制定時に、国防に関する重要事項を審議するため、内閣総理大臣の諮問機関として国防会議が設けられたが、その構成員については、昭和31年7月2日施行の国防会議の構成等に関する法律によつて定められた。
日米安全保障条約は、昭和35年、新しい条約に改定され、日米対等の関係に立つ安全保障体制に移行し、その後10年の固定期間を過ぎて、昭和45年6月いわゆる自動継続の時期にはいつた。
わが国は、1960年代を通じて、国力の伸長にめざましいものがあり、それに応じて国民の自覚と自信が高まり、自主防衛の気運も高まり、防衛力の整備についても相当の進展をみるに至つた。
われわれは、国際政治のきびしい現実を正しく認識し、わが国の国力、国情に調和した防衛努力を進めてゆかなければならない。
(3)防衛力の整備
政府は警察予備隊の創設以来、逐次、防衛力の整備に努力してきた。そして昭和33年度以来今日まで3回にわたり防衛力整備計画を策定し、現在昭和47年度から始まる新防衛力整備計画を検討中である。
第1次防衛力整備計画(昭和33年度~同35年度)は、当時急速に撤退しつつあつた米国の地上軍の縮少に伴い、わが国の陸上防衛力を整備するとともに、海上および航空防衛力についても、ともかく一応の体制をつくりあげるという骨幹防衛力の整備を主眼としたものであつた。
第2次防衛力整備計画(昭和37年度~同41年度)において、はじめて防衛力整備の目標とする事態を通常兵器による局地戦以下の侵略に対処することと定め、これに対して有効に対処しうる防衛力をもつものであることを明確にした。そして防衛体制の基盤を確立するため、前計画の骨幹防衛力の内容充実とともに精鋭な部隊建設のための基盤を培い、陸海空自衛隊の総合防衛力の向上をはかることを方針した。
次の第3次防衛力整備計画(昭和42年度~同46年度)は、現行の計画であり、本年度はその4年目に当たる。この計画では、わが国のおかれている内外の情勢、国力の伸長、国際的地位の向上等を勘案しつつ、陸海空自衛隊の内容の充実、強化をはかるとともに、隊員の志気を高揚し、精鋭な部隊の建設に努めること、技術研究開発を推進すること、装備の近代化、国内技術水準の向上に寄与するとともに装備の適切な国産を行ない、防衛基盤の培養に資すること等を主眼とした。
第1次および第2次防衛力整備計画の達成状況、第3次防衛力整備計画の目標および現段階における達成状況は別表第7のとおりである。
以上のように、防衛力整備の努力を重ねた結果、自衛隊はその量質ともにかなりの進展をしたが、新防衛力整備計画によつて専守防衛への態勢をさらに一歩前進させる必要があり、現在これを検討している。
今後の防衛力整備上の問題としては、自衛官の処遇の改善、機能統合の強化、陸上自衛隊の充実、海空自衛隊の増強、情報機能の強化、装備の自主開発等は考えられる。
(4)専守防衛の防衛力
わが国の防衛は、専守防衛を本旨とする。
専守防衛の防衛力は、わが国に対する侵略があつた場合に、国の固有の権利である自衛権の発動により、戦略守勢に徹し、わが国の独立と平和を守るためのものである。したがつて防衛力の大きさおよびいかなる兵器で装備するかという防衛力の質、侵略に対処する場合いかなる行動をするかという行動の態様等すべて自衛の範囲に限られている。すなわち、専守防衛は、憲法を守り、国土防衛に徹するという考え方である。
以上の前提のもとに、わが国は制限戦争に有効に対処することができる通常兵器による防衛力を整備することを目標にしている。
現代の国際社会において起こることが予想される武力紛争の多くは、制限戦争であるか、それ以下の規模のものであろう。このことは第2次世界大戦後に各地で起こつた武力紛争が如実に物語つている。通常兵器を使用する武力紛争の生起を抑制し、またはこれらの紛争に対処するためには通常兵器によることが常態であり、これが核兵器が発達した後においても通常兵器が重視される理由である。
戦略核兵器はもちろん戦術核兵器といえどもその使用に対する国際的反応への考慮と、第2次世界大戦のような大規模な戦争に発展するおそれなしとしないとの理由で、その使用は抑制されている。
(ア)わが国の防衛力は、自衛のためのものであるから、その規模は、自衛のため必要かつ相当のものでなければならない。それが具体的にいかなる程度の自衛力を意味するかは、そのときの諸般の情勢、科学技術の発達等の諸条件によつて一概にいえないが、いずれにしても他国に侵略的な脅威を与えるようなもの、たとえば、B52のような長距離爆撃機、攻撃型航空母艦、ICBM等は保持することはできない。
(イ)またわが国の防衛力は自衛のためのものであるから、自衛の範囲を越えて行動することはできない。すなわち、自衛隊が出動を命ぜられるのは、わが国に対する直接または間接の侵略に際してであり、したがつて、いわゆる海外派兵は行なわない。
イ 政策上の限界
(ア)核兵器に対しては、非核3原則をとつている。小型の核兵器が、自衛のため必要最小限度の実力以内のものであつて、他国に侵略的脅威を与えないようなものであれば、これを保有することは法理的に可能ということができるが、政府はたとえ憲法上可能なものであつても、政策として核装備をしない方針をとつている。
(イ)わが国の防衛力は、国力国情に応じ、自衛のため必要な限度において、社会保障、教育その他の諸施策との間に、適切な調和を保ちつつ、効率的な防衛力を漸進的に整備する。したがつて、防衛力整備のための国家資源の配分についても、単に経済力の増大に比例し、国民総生産や国家予算との比率によりきめることは、必ずしも適切ではない。
わが国の防衛力は、以上のような考え方を基本とし、その規模内容および整備のテンポがきめられるものであり、わが国独特のきびしい限界を持つている。
(6)侵略の抑止と排除
わが国の軍事戦略の基本は、まず直接または間接の侵略を未然に防止することである。そのため、みずから有効な専守防衛の防衛力を保持するとともに、米国との緊密な連係によつてわが国に対する侵略が起こるような隙を生じないように配慮して侵略を未然に防止することである。すなわち、核兵器を使用する戦争や大規模な武力紛争の脅威に対しては日米安全保障体制による米軍の抑止力に期待する。
その他の武力紛争の脅威に対しては、つとめてみずからの力で防衛体制を確立して、わが国に対する侵略事態が発生することを防止する。
以上の侵略の未然防止の努力にもかかわらず、万一、侵略事態が発生した場合にはこれに対処しなければならない。すなわち、間接侵略に対しては早期にこれに対応して、事態の拡大を防ぎ、その収拾に努める。
直接侵略が起こつた場合には、防衛に必要な限度においてわが国およびその周辺の海域や空域における航空優勢、制海の確保に努め、その事態から生ずる被害の局限化をはかり、侵略を早期に排除することをはかる。
4 日米安全保障体制
(1)日米安全保障体制の推移
わが国は、昭和26年9月、対日平和条約とともに日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(旧条約)を締結した。
この条約により、米国は、我が国の安全のために、わが国の希望に基づいて、その軍隊をわが国内に駐留させ、わが国はこれに対し基地を提供することを約束した。
旧条約においては、米軍のわが国における国際の平和と安全の維持に寄与し、ならびにわが国内における大規模な内乱および騒じようの鎮圧、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するためにしようすることができることとなつていた。
これらの点を是正するため、わが国は旧条約の改定を提議し、昭和35年1月、新たに日本国とアメリカ画集国との間の相互協力及び安全保障条約を締結した。この改定においては、(1)米軍の内乱出動条項を削除し、(2)有効期間について10年の後は1年の予告をもつていずれの当事国も条約を廃棄することができることを規定した。また米軍の配置および装備の変更ならびに戦闘作戦行動のための基地使用については、別に交換公文をもつて日本政府との事前協議にかけることにした。また、いわゆる在日米軍の地位に関する行政協定も同時に現行の地位協定に改定された。さらにこれらの改定のほかに、日米間の政治、経済上の関係も明らかにされ、日米両国が「平和的かつ友好的な国際関係の一層の発展に貢献する」とともに「両国の間の経済的協力を促進する」として政治および経済面での協力をいつそう発展させようとの考えを明らかにした。
なお、この条約においては、日米両国は国際連合憲章の目的および原則に従つて行動すること、国際連合の強化に努力することを明らかにしており、国際連合が本来の機能を果たすことができるようになつたときには、この条約は効力を失うことを規定している。
この条約を防衛面から見れば、その中心となるのは、わが国への武力攻撃があつた場合、日米両国は、これを共通の危険として対処することであり、わが国の安全と極東の平和と安全を維持するため、わが国の施設および区域を提供することを定めたことである。
日米安全保障条約は、昭和45年6月22日の満了をもつて、10年間の固定期間が切れ、いわゆる自動継続の時期にはいり、今後は日米いずれかの政府からの申し出により1年の予告期間をもつて、条約を廃棄することができるようになつた。このことは、大局的にみて国益上共通点の多い日米両国の協力をさらに緊密に維持してゆくことに日米ともいつそうの努力を要請される。
昭和40年1月13日の佐藤内閣総理大臣とジョンソン大統領との共同声明において、日本側が日米安全保障体制を今後とも堅持することが日本の基本的政策である旨を述べ、これに対し米側は外部からのいかなる武力攻撃に対しても日本を防衛するという日米安全保障条約の義務を遵守する決意であることを再確認しており、また昭和45年9月14日ワシントンで行なわれた中曽根防衛庁長官とレアード国防長官との会談に際しても、米側は、日米安全保障条約の義務に従い、日本防衛のためあらゆるタイプの平気を使用する旨述べており、わが国への外部からの武力攻撃に対しては、日米安全保障条約に基づいて日米間の共通の危険として対処することを日米首脳間における話し合いを通じて確認されている。
(2)日米安全保障条約に基づく日本の防衛
条約第5条で、日米両国は「日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が時刻の平和及び安全を危うくするものであることを認め」て共通の危険に対処することを定めている。
米国は日本防衛の義務を負っているが、わが国は、米国の領土やわが国の領域以外の場所にいる米軍が攻撃されてもこれを防衛する義務を負つてはいない。この点は米韓相互防衛援助条約や米華相互防衛条約等においては、韓国または国府は太平洋または西太平洋の地域におけるいずれか一方に対する武力攻撃について米国と相互に防衛し合うのをたてまえとしているのに比べて異なつた形をとつている。
わが国の防衛は、前述のように専守防衛を本旨とし、その足らない部分は米軍に依存することにしている。日本防衛上米国に依存する度合いは、わが国に対する武力攻撃または侵略の様相、規模の大小、対処期間の長短等により、また、わが国の防衛力整備の程度により異なることはいうまでもないが、概していえば核兵器を使用する戦争や大規模な武力紛争の脅威に対する抑止、直接侵略に際してわが国の領土外への戦略攻撃等である。いずれにしてもわが国に対する武力攻撃が行なわれた場合、日米で最も有効に対処しなければならないので、平素から両者の間で相互に密接な連絡をとり、意志の疎通をはかり、緊密な関係の維持につとめる必要がある。
(3)施設および区域の提供
条約大6条では、「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため」米国はその陸、海、空軍が日本において施設および区域を使用することを認められている。これは、日米安全保障体制において米軍の行なう日本防衛を実効のあがるようにするために必要であり、また米軍がわが国に存在することが紛争の発生を抑止するという判断に基づくものである。
また、極東の安全と日本の安全は、きわめて密接な関係にある。日米両国は極東の平和および安全の維持に共通の関心を有している。米軍がわが国の施設および区域を使つて極東の安全を維持する体制にあることは極東における武力紛争の発生を抑止する効果をもち、そのことが同時にわが国の安全に貢献することになるわけである。
外国の軍隊の駐留を認めているのはわが国ばかりでなく韓国、国府、フィリピン、英国、ドイツ(西)、イタリア等多くの国が相互安全保障に基づき米軍の駐留を認めている。
日米安全保障協議委員会第12回会合について 日本語 英語 1970年12月21日
. 米側は,次のとおり説明した。これらの計画は,ニクソン・ドクトリンに沿つて,日本及び他の極東地域に対する安全保障上の約束を果すための米国の能力に大きな影響を与えることなくその作戦能力を効率化し,かつ,現存する資源の最大限の利用を可能ならしめる目的で行なわれた米軍基地及び施設の徹底的再検討の結果である。この整理は,一面において予算上の制約に基づくものではあるが,日本を含め米国の極東における同盟諸国の自衛能力の増大と同地域における安全保障の全般的な改善も,その策定には大きな影響をもつた。
関係する米軍部隊のうち,若干は米国に移動するが,その大部分は,日本国内又は極東地域内に移駐される。少数の部隊は沖繩に移動するが,沖繩においては兵力水準に大きな影響を与えることなく,若干の削減を含め米軍部隊の配置上の変更が行なわれる。
かくして,米国の抑止及び防衛体制の主要な要素は,重大な影響を受けないであろう。
4. 委員会は,次いで,これら米軍の整理計画が日本の防衛及び極東における平和と安全に及ぼす影響について討議した。
米側は,1970年代を通ずる太平洋軍の基地態勢に関して考慮されている計画を述べ,日本側は,変動しつつある国際情勢及びニクソン・ドクトリンの展開の見とおしをふまえた1970年代における日本の防衛についての見解を示した。
5. 委員会は,日本の防衛及び日本を含む極東における平和と安全にとつての日米安全保障条約の重要性並びにこれらの問題と同条約の実施に関する緊密な両政府間の接触の必要性を再確認するとともに,安全保障条約及び地位協定の枠内における施設・区域の共同使用を含む次のような整理,統合計画を了承した。
[文書名] 日米安保条約を見直す
[場所]
[年月日] 1972年6月
[出典] 久保卓也遺稿・追悼集,40-58頁.
[備考]
[全文]
一 再評価の必要性
(1)防衛力を持たないまま平和条約の締結を迎えることとなった占領後の日本としては,米国による防衛上の保護が必要であったろうし,米国としても,戦略的価値の高い日本を共産圏に引き渡すことはできなかったであろう。特に当時の米国としては,東西対立を背景に,朝鮮戦争において「証明された」共産主義国の「侵略性」を阻止するために,アジアにおいても共産圏の周辺に自由主義諸国陣による防壁,就中米軍の基地網を持つ必要に迫られた。一九五二年から五五年にかけての二国間あるいは多国間の安全保障体制はこのようにして生まれ,日米安保条約もその一環となったものである。したがって旧安保条約は,その文言にみる通りいわば対米基地提供協定ともいうべきものであって,日本の直接防衛の色彩は極めて薄いものであった。
このような旧安保条約に対して,米国の日本防衛義務を明示してその片務性を是正するとともに,日本の自主性を織り込んだものが現行安保条約であった。ここで本来国民がもっと注目すべきであったのは,その名称の変化である。すなわち旧安保は,「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」であったのに対し,新安保は,「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び{前6文字強調}安全保障条約」となり,新たに日米間の「相互協力」を謳っている。そしてその第二条において日米両国は,「平和的かつ友好的な国際関係の一層の発展に貢献する」ことおよび「その国際経済政策における食い違いを除くことに努め,また,両国の間の経済的協力を促進する」ことを定めている。このようにして,旧条約に比し新安保条約は,軍事的性格も基地提供協定的なものから明確に共同防衛条約に変わるとともに,新たに政治,経済協力の性格を取り込んだのである。ところが新安保条約が,このように名称と内容(第二条)を変えたにもかかわらず,旧条約にならって単純に「安保条約」と略称されたところに,日米安保条約即軍事同盟と即断される一種の悲劇があったように思う。この点は,政府関係者といえども,いまだにあまり意識の上にのぼっていないのではあるまいか。
(2)二国間または多国間の安全保障条約は,自由陣営についていえば一九四八年から五五年にかけて一〇条約が締結され,社会主義陣営についていえば,一九四三年から五五年までに一八条約(それ以後に七条約)が締結されている。これらの安保体制網が安全保障の砦として短期間に作られていったころは,根深い東西対立感の下に,いずれも同様の強さと意味合いを持つ,信頼性のあるものとして認識されていたに違いない。ところが東西関係の変化や両陣営内部の持つ矛盾などから,その後廃棄された安保体制は存在しないにもかかわらず,実質的には淘汰,選択が行なわれてきているように思う。CENTO,SEATO,中ソ友好条約等は形骸化しまたソ連とポーランド,東独,チェコとの間のそれぞれの条約も,ときに危機を迎えたこともあった。現在,自由陣営内で実質的に最も強固な安保体制はNATOであり,次いで米韓,さらには日米の安保体制であろうか。
国際情勢の変化と米国のオーバー・コミットメントの修正の動きは,米国の加入している多くの安保体制に自ら格差を作っていくようである。今日の国際情勢のなかでは,単に安保条約が存在するというだけでは,安全保障の実効は期待できない。逆にいえば,米国にとってその国の存在が極めて重要な場合には,安保条約がなくても米国がその要請に応じて共同防衛の任に当たることもありえよう。そのことは,かつて米政府当局者がニクソン・ドクトリンの説明に当たって,同盟国のほか,「その国の存続が米国にとって死活的に重要であると考える場合,盾を提供する」としているところにも窺えるように思う。こうしてみると,米国が他国を援助する度合いは,米国にとっての利害の重大性如何にかかわることであろう。
したがって日米安保体制は,安保条約の存否よりも,まず日本との提携が米国にとって重大な損害であるという関係が成り立って始めて有効に担保されるものである。そして日本がこのような関係に立ちうるためには,両国民間の友好関係を基礎にして,経済カ,技術力,軍事力,人口,文化等々の面がすぐれ,国際政治に対し大きな影響力を及ぼしうる力を日本が持っていることなどが必要であろう。
(3)一九五〇年代の二国間または多国間の安全保障体制は確かに東西対立の冷戦構造に基づき,共産圏封じ込めの性格を強く持ち,軍事同盟の網によって共産勢力の浸透を阻止しようとしたものであることは疑いあるまい。しかしながら一九六〇年代に入って,核均衡を背景に米ソの平和共存時代を迎え,年とともに東西間の融和の度が進み,東西問題より南北問題が国際政治の主要課題となってき,同盟の枠を越えた平和努力が行なわれ出した。欧州がそうであるし,最近の米中接近もその例である。そして共産勢力の浸透阻止という分野では,軍事同盟のなかで米国と同盟国が共同責任をとるという姿勢から,同盟国の方が主たる責任を負うというふうに方向転換が行なわれ始め,米国は,より多く自国自身の利害を考えざるをえない事態に立ち至っている。このことの集約的な現われがニクソン・ドクトリンであり,その軍事的表現が,レアード報告のいうトータル・フォース・ストラテジー(総合戦力戦略)である。すなわち共産勢力浸透阻止の矢面に立つのは当該同盟国であり,米国はそのうしろ盾になるものであるとして,米国内には対外的任務の軽減を説くと同時に,同盟国に対しては,防衛努力の推進を要請するところとなっている。
これからの問題は,米国が世界の問題にどの程度関心を持ち,どの程度これに関与し,どのような手段でこれに介入するかということである。両極化から多極化の世界に移ってきたということは,それだけ国際政治における米国の責任と負担を軽くすることであり,反面,米国としては国内の社会的経済的困難の増大によって,国内問題により多くのエネルギーを費やさねぱならないことにもなる。したがって米国としては,世界の問題に関心は持ち続けるであろうが,その関与の度合いは減少し,また,介入の手段は軍事的色彩を薄め,政治的・経済的その他の手段を多くしていくのではあるまいか。ただこの場合,米国にとって世界の地域による差異が重要なのであって,欧州第一主義が顕著となるにつれ,アジアについてみると日本,韓国,台湾あるいは東南アジアなどをどうみるかが問題であろう。
(4)日本側の立場からみると,少なくとも日米安保条約があることによって防衛費の増嵩を押えることができ,国の安全感と繁栄をもたらしたことは確かであり,また朝鮮半島や台湾の安定によって極東の平和が長く続き,日本が反射利益を受けてきたことも間違いあるまい。
しかしながら前述の米国の姿勢を背景にして考えると,今日および将来における日米安保条約の軍事的寄与の度合いはどうなるであろうか。また,中国の国連加盟,米中接近,日中国交の回復,さらに中ソ対立と米中接近を背景とするソ連の対日接近等を考えると,今後日本をめぐる国際環境は極めて複雑,多極化してくる。一九五〇年代は勿論六〇年代においても,日本は米国の方ばかり向いていても大過がなかったかも知れないが,右のような国際関係はさらに国際経済の大きな変動により加速されて,日本は多くの選択のなかから将来の方途を見出さなければならない。このようななかで,日米安保条約は果たして正常な位置にあるのか,それとも障害となっているものであろうか。
このようにして,米国の国際政治に対する関与の度合いと軍事的介入の態様の変化および日本をめぐる国際環境の変化は,今日および将来の日米安保条約の意義について,改めて考えさせるものがあろう。わが国の外交や防衛の考え方には想像力(イマジネーション)と創造性(クリエイティブニス)が乏しい。常に米国の考え方のあと追いという印象である。しかし米国の考え方は絶えず流動的であり,それは,ときには激動的ですらある。われわれは,日本の安全保障の問題について,先見性をもって検討しておく必要があろう。
二 条約のメリット
米国にとってのメリット
(1)朝鮮戦争の起こった原因が,当時の韓国および米軍の「力の不存在」にあったことはまず間違いない。その後の韓国軍の増強,米韓安保条約の締結と米軍の配備などとともに,日米安保条約の存在が朝鮮半島の安定に大きく寄与してきたことは,これまた疑いのないところであろう。台湾についても同様のことがいえよう。また米国にとって,日米安保条約は単に北東アジアのみならず,広く極東全域の安定化のために活用しうるものであった。
ニクソン・ドクトリンがアジアの放棄を意味するものではない以上,日米安保条約を始め米国が結んでいるいくつかの安保条約は,地域の安定と勢力範囲の固定化に役立ってきたし,今後もその役割を続けることであろう。しかしベトナムにおいては,ズルズルといわば民族戦争の深みにはまり込んでいったもので,その本質がゲリラ戦であり,特異な地政的関係もあって,米国の安保体制は抑止的効果を発揮していない,米軍が高度の近代戦向けに組織されている以上,国民大衆のなかにジワジワと浸透していくゲリラ戦に対しては,決定的な対応力とはなり難い。そのへんに安保体制の一つの限界がありそうである。
(2)米国が日米安保条約を廃棄したら日本を核装備に追いやることになるであろう,だから同条約は維持されなければならない。この主張は,さきごろ訪中したニューヨーク・タイムズのレストン記者に対し周首相が否定した問題ではあるが,米国では恐らく広く支持されているところであろう。ちょうどソ連がNATOそのものは非難しながらも,一面,西独をNATOの枠内に入れておくことに一つのメリットを感じているのと似た関係にある。米国では,日本は将来核装備をするかも知れないとの観測が強いので,核の拡散を避ける米国の世界政策の立場からいうと,日米安保条約の維持がよりいっそう重要となるのではあるまいか。
核装備は別としても,経済カが強大になり,国際政治に発言権を求めようとしている日本は,今後も軍事力の強化に努めるであろうが,もし日米安保条約がなければ,日本は不安のあまり軍事大国の道を走る可能性がある,それは日本を危険な存在とし,アジア諸国に脅威を与え,この地域に緊張をもたらすことになろう―このような意見が米国の識者のなかには少なくないようである。さる二月一日,全米に放映された「米国は日米安保条約を廃棄すべきではないか」というテレビ討論番組で,条約維持論者達(知日派のライシャワー教授を含めて)が,あまりにも単純,素朴に日本の核装備,軍事力増大への懸念の立場からその主張をしているのに意外の感を持ったものである。しかし日本人の感覚は別として,米国がそこに安保条約のメリットをおくことも十分考えられることである。
(3)二国間または多国間の安保体制は,本来は軍事的性格のもので地域内の戦争抑止に寄与することを狙いとするものであるが,国際情勢の推移とともに,平和時における政治,経済的意義が強くなってきている。米国が世界政策の遂行に当たって,安保条約を通じて数多くの,しかも有力な同盟国を持ちうることは極めて重要なことであろう。一九七三年度の米外交教書のなかで,日本を国際社会における五極構造の一つに取り上げ,日本のますます自主化する国際政治活動を認めながら一定の枠内にあることを希望しているのも,日米安保条約の立場からの主張でもあろう。
また,中共は,人口の面ではいうまでもないとして,その経済力,技術力,軍事力,国際政治への影響力等多くの分野にわたって強大国になりつつある。中共自身は否定しているが,確実に核大国への道をも走っているようにみえる。ところで米国の伝統的な世界戦略として,一つの広域圏―たとえば欧州とかアジアとか―においては,一つの支配的な強大国は作らせない(それが存在すれば米国の自由と利益が阻害される)という政策をとってきたように思う。この考え方からすると,米国としては中共をそのような存在にすることはできないのであって,米中融和の努力は当然進めるとしても,同時に中共のカウンター・バランスとして強力な日本を維持しなければならないことになる。ましてや日本が米国を離れて中共の傘下に入ることは回避しなければならない。このようなアジアの政治構造にするためには,米国にとって日米安保条約の維持は必須のものになるのではあるまいか。
米国の共産圏封じ込め政策はすでに後退し,ニクソン・ドクトリンによってアジアにおける米軍の存在は稀薄化しつつある。アジアの平和については米国一国がその責任を担うものではなく,将来は米ソ中日の四国が,あるいは地域内の各国も参加して,アジアの平和維持の責任を分担する方途が模索されよう。しかしこのような将来の構図を描いてみても,米国にとっては,アジアの国際政治をコントロールする道具として日米安保条約を活用しうるものとみるのではなかろうか。この場合の安保条約は,軍事的性格よりも国際政治的性格がその中心をなすものであり,このような意味で,アジアの緊張緩和の傾向にかかわりなく,米国側から日米安保条約の廃棄を言い出す要因は存在しないように思う。
日本にとってのメリット
(1)第二次大戦後日本を窺おうとした国があったかどうかは別として,冷戦時代を経験し,かつ常に隣接した軍事大国を持つ日本としては,日米安保条約があるために自国の安全保障について安全感を持ちえたし,また,朝鮮半島や台湾をめぐってたびたび緊張があったけれども,その安定と固定化にこの条約が貢献していることも確かであろう。このようななかで防衛費を国民経済のうちにおいてできるだけ低く押え,経済の驚異的発展と国民生活の大幅な向上に大きく寄与してきたのである。しかしながら,世界各国が自国の平和と安全の維持のために非常な苦労と努力を続けてきたなかで,日本は日米安保体制への全面的な依存と国際情勢に関する鈍感さから,国の平和と安全がまるで当然であるかのような環境の下に今日まできたといえるのではあるまいか。
日米安保条約の戦争抑止力としての有効性は,日本を侵略しようとする国として軍事超大国たる米国との正面衝突を避けしめるところにある。したがって米国が介入し難いようなケース―たとえば他国と争いのある領土の争奪,国内のゲリラ的内戦争―や,米国が介入のいとまのないうちに目的が達成されるような戦争―たとえばイスラエル・アラブの六日戦争のようなもの―については,日米安保体制は必ずしも有効には働かない。また,米側において常に十分な援助を日本に送る体制にあるのでなければ,その有効性は万全ではない。この点については,すでにニクソン・ドクトリンにおいても援助のおよその考え方が示されているし,米国の国内情勢の如何によっても可変的なものであることを予想しておかなければならない。
以上のことを考慮すれば,日米安保体制は,日本の全般的な戦争抑止力を構成するものであり,日本の安全保障の基調をなすものであるが,わが国を直接守る防衛カの面では,わが防衛力を主たる基盤とし(自主防衛),その上に米国の軍事力でもって補完するという構造に立つべきものであろう。
(2)米国では,日米安保条約がなくなれば,日本が核装備に踏み切り,あるいは軍事大国に走る可能性が強いと懸念していることについてはさきに述べた。ところが日本では,この点についての言及が少ないのはどうしてであろうか。核装備については,国民感情を考慮してアプリオリに「論ずべきではない」との環境があり,また,政治面でも非核三原則が政策として天の声のように受け容れられている。米国を始めとする諸外国では,少なからず日本の核装備が理論的必然性として受け取られているのに,日本では,非核政策についての理論的説明がなされていない。ここに諸外国の猜疑心が残ると同時に,日米安保条約がその歯止めになっているとの解釈が生じているように思う。このような外国の観測の是非は別として,日米安保条約がなくなり,核の傘論の根拠がなくなった場合,核問題についての議論が高まるであろうことは予想されるが,それは日本にとって決して幸いなことではない。したがって日本としては,核装備することがわりに合わない政策であることを論理的に説明するとともに,適当な時期に核兵器不拡散条約についても批准を行ない,国内外の懸念をはらしておくことが必要であろう。このような立場からいえば,かりに日米安保条約がなくなっても,わが国が核装備するチャンスはないものと考える。
したがって日米安保体制のメリットは,外国の人がしばしばあげるような,日本が核装備をしないための足かせであるというよりも,通常装備による防衛力の増強そのものを押えているところに大きな意味がある。一面では,日本への侵略を企図する国は,日米安保体制が健在であれば,米国との本格的な対決を避けるような侵略態様を選ぶであろう。長期間かつ大規模な戦争になれば必然的に米国を招き入れることにる。したがって,日米安保体制があることによって,侵略の規模や質を制約しえ,その結果これに対応すべきわが防衛力も,量,質の面で限定されてよいことになる。
他面,日米安保体制の存在によって,わが国は専守防衛に専念し,必要とされる場合の戦略的攻撃カ(これは憲法の建て前上保有できない)や機動的攻撃カ,さらに装備の補充能力を米国に期待することができる。本来なら自衛隊は,法律上自衛のために必要とされる各般の対処ができなければならないわけであるが,安保体制があるために,非常に金のかかる大きな分野を防衛力の中に取り込まなくてよいわけである。
このように防衛の対象を制約しえ,防衛力の量と質とを限定しうることによって,防衛力の整備にも一定の限度を与えることができる。もし安保体制がなければ,憲法上禁止されているものを除き,際限のない防衛力増強の要求が出てくる可能性があり,それを押えるに足る防衛論上の説明はなかなかむずかしい。したがって日米安保体制は,長期的にみれば日本の防衛カの限度を押えることに役立ち,軍事大国への道を封ずるものといってよい。
(3)日米安保条約は,戦争抑止カとして日本および極東の安全と平和に寄与していると同時に,日本の核装備論を押え,防衛力増強に歯止めを与えるものであるとみてきた。これは同条約の軍事的側面であるが,さきに述べたようにこの条約はさらに政治,経済的性格を包含している。人々は,朝鮮戦争やベトナム戦争のことが念頭にあって安保条約の軍事面に目を奪われがちであるが,過去二十数年良好に続いた日米関係やひいては日本の目覚ましい発展は,その基礎に日米の友好関係を裏打ちする日米安保条約のあったことを忘れてはならない。この条約についてはしばしば引き合いに出される軍事問題の場合と異なり,政治,経済関係では,あたかも人間生活における空気や水や,土壌のごとく人の意識上にはのぼっていないが,極めて重要な役割を果たしてきたものであることを認識すべきであろう。将来にわたって長く平和が続くであろうという予測に立つとき,日米安保条約の持つこのような役割を,われわれはもっと重視し,活用すべきであろう。
三 条約のデメリット
米国にとってデメリット
(1)二国間あるいは多国間の安保条約は,共産圏封じ込め政策をとっていた時期の所産であるから今日なおこれを維持しようとするのは時代遅れである,したがって,日米友好関係は他の手段をもって求むべきであり,古い軍事体制を中心とする日米安保条約は廃棄べきである―このような議論が米国にも一部に行なわれている。米国の政策が一九五〇年代から大きく変わってきたことは疑いないが,問題は,安保条約の成立の経緯がどうであったかということではなく,現在および将来にわたってこの条約がどういう意味をもっているかということであろう。
(2)米国は四一カ国との間に安全保障条約を結んでいる。今日の米国はこのオーバー・コミットメントに耐えられないから,多くの安保条約を整理すべしとの論があるかも知れない。しかしこのオーバー・コミットメントに対する対策がニクソン・ドクトリン―トータル・フォース・ストラテジーであったとみられよう。この戦略の狙いの一つは,米国外における人力の犠牲の軽減である。この点については,少なくとも地上兵力は同盟国が負担することを求めることによって解決しようとしている。
この戦略の狙いの二つは,海外における過重な経費負担の軽減であろう。しかし日本についていえば,日本を直接防衛対象とする米軍はもうほとんどいない。実質的にいわば有事駐留の形となっている。このことは一九七三年度のレアード報告でも,日本をNATOや韓国と区別して「補足的部隊配備計画」の項に位置づけている。このほか経費面での対日決済が問題なら,米軍基地の一層の整理統合,艦艇の日本母港化,横須賀・佐世保の艦艇修理施設の日本への移譲,米国装備の日本への売却その他の手段が将来の問題として考えられよう。したがってオーバー・コミットメント(人力の犠牲,経費の負担)の問題は,コミットを全部止めるということではなく,いわば費用対効果の面から検討されるというものであろう。また現にある安全保障条約について形式的に廃棄の手段に出なくても,事実上形骸化していくものがあるように思える。このような環境のなかにはあっても,米国としては,日米間の根本的な対立が生じない以上,日本のアジアにおける重要性のゆえに日米安保条約を維持する政策を選択するであろう。
(3)日米安保条約の存在が米国の外交改策の選択の道を狭め,特に対ソ,対中の政策の制約や障害になっているか。答えは否定的である。米国と同じくソ連も中国も二国間条約を結んでいるし,中ソ両国は,もはや自由諸国の集団安保体制によって包囲され,侵略される懸念があるとは考えていまい。西独はNATOの枠内にあって,対ソ,対東欧の関係の改善に成功しつつある。
また,米国のとっている戦略の図式は,カとパートナーシップと意義ある交渉によって平和をもたらそうとするものである。言い換えれば,強力な軍事力の維持と適切な同盟国の存在とを基礎にして交渉を行ない,平和を実現しようというのである。ソ連とのSALTがそうであるし,米中接近もその例である。米国とソ連の行き方をみてみると,世界平和実現のためには,双方が現在の安保体制を崩して次の新しい地域の安保体制をつくろうというのではなく,現状を認めいったん固定化して,その枠内で各種の関係改善努力を行ない,その素地をつくった上で次の新しい体制へ持っていくという長期的な政策に立っているように思う。したがって,両国はそれぞれ将来のビジョンを持っていようが,その達成のためには,現在の体制が直ちに障害となるものではあるまい。米中関係についても表面的,公式的にはともかく,現実政治の面では同様であろう。
日本にとってのデメリット
(1)日米安保条約の存在によって日本は戦争に巻き込まれる可能性があり危険だとする発想は,従来からありいまだに消えていない。極東のなかで戦争があり,米軍が日本の基地を利用して戦争に介入すれば,その報復として日本が攻撃され,日本もまた戦争に巻き込まれる危険性があるというものである。しかしながらこの考え方は理論的可能性の問題にすぎず,第二次大戦後の戦争の実態および戦略思想からすれば戦争のそのような拡大は極力避けられる方向で進んできているとみるべきであろう。ベトナム戦争におけるラオス,カンボジアの戦闘は,全く異なる事情のものである。
本来安保体制は,何よりも戦争抑止論の上に成り立つものであって,かりに日米安保体制が戦争に巻き込まれる可能性(論理的にありうるとしてもそれは部分的なもの)を秘めているとしても,そのような戦争を起こさせないようにするのが安保体制なのである。いわゆる戦争巻き込まれ論は,この日米安保体制が戦争の抑止に役立っている機能には目をふさぎ,一足飛びに理論的に起こりうる部分的な可能性を論じて本体の是非を問うているものである。
(2)最近では,このような戦争巻き込まれ論はやや影を潜め,国際政治の多極化,特に日中国交回復問題の登場とともに,日米安保体制が,日本の最も有利とする外交の手段すなわち外交のフリー・ハンドを制約するものであるとの批判が強くなっている。確かに一九六〇年代までは,日本は日米関係を中心にして国際政治に臨んでよかったであろう。しかし七〇年代は政治的多極化の時代であり,中共の国連加盟,中ソ対立を背景に米中の接近とソ連の対日接近,日米間の政治経済的緊張等,日本にとって日米関係のみを国際関係の中心におくことはできなくなってきている。このような面から,日米安保条約のこのままの存続が,複雑化Lた国際社会のなかで果たして日本にとってはベストの選択であるかについて,検討の要望が一部に生じている。
ソ連,中共とも日米安保体制については,早くから批判攻撃を加えてきた。確かに両国からみれば,当初この体制が両国を目標にするものと映ったことであろう。しかしながら国際情勢の推移と各種のコミュニケーションの進展によって実態認識が進み,両国の日米安保体制に対する批判も弱まっているように思う。特に共産諸国の場合は,表面的な見解(建て前)と内面的な意識(本音)とは,相当程度違うことが多いことに留意しなければならない。
さきにも述べた通り中ソ両国も多くの二国間条約をもっているが,自陣営の条約は是であり,他陣営の条約は非であるとする合理的根拠に乏しい。両国から,多国間の不可侵条約とか安保体制の新しい提案はあるにしても,それは将来の問題であり,今,明日の政策ではない。また表面上の批判はともかくとして,日米安保条約による日本の軍事大国化の規制という考え方には,中ソ両国も同調しうるのではあるまいか。最近中共側から出さてれ{前2文字ママ}いる日中国交回復のためのいくつかの条件のなかに,日米安保条約の破棄が入っていないことは注目してよいところであり,この点からいっても,同条約が日ソ,日中関係の進展の障害になるものではないと判断される。
国際関係の面で,米国寄りの外交がよいか,米国と離れいわゆる等距離中立外交がよいか,いずれが日本にとって得策であるかは十分冷静に打算すればよい。しかしながら日米安保条約があるからといって自主外交ができないものではあるまい。たとえば,NATOの枠は堅持しつつも西独やフランスは相当に独自の外交を推進している。多くの安保体制の存在によって確かな両陣営の色分けがされているが,さればとてこのような国際環境のなかで,日本だけが安保条約を解消しても,どういう具体的な利益が期待できるであろうか。それは今のところ極めて観念的な,希望的観測めいたものでしかないのではあるまいか。したがって,日米安保条約が外交上の自主性を害するかどうかは,条約の如何によるよりもわが国の外交の姿勢にあるといえよう。
(3)日米安保条約が,米国に日本防衛に寄与させる代わりに基地を提供するという構造をとっているところに,国民に身近な問題が生じている。基地の存在からくる具体的な,多くの問題が国民感情を刺激し,それがまた高揚するナショナリズムとも結んで,反安保,さらには反米の感情にも高まっている面があることは無視できない。さればといって基地を提供しないとなると,日本は米国に守ってもらうがその代償は出さないという極めて片務的なものになり,約束事としては成り立つものではない。しかし国民感情もなかなか理屈では割り切れなるものではない。そうなれば結局,日米安保条約は存続させながらもその存在をなるべく目に見えないようにする,すなわち基地の整理縮小,米軍の削減,有事駐留方式への移行というような努力を今後日米双方がなさなければならない。ニクソン・ドクトリンや七三年度のレアード報告は正にこの方向に沿ったものであるといいえよう。
四 再評価の方向と新視点
(1)以上においておおざっぱながら日米安保条約の持つ意義について検討してみたのであるが,この結果によれば,条約のもつデメリットも少なくはないがそれは軽減策を講ずる余地があり,平和を実証しうる体制ができるまではこの条約を維持しそのメリットを生かすことが,日米双方にとって有利であるという判断が出てこよう。そしてこの条約の持つ戦争の抑止,極東の安定化という軍事的機能は保持しつつも,特に平和の展望の強い今日においては,その政治,経済的側面を重視する必要が生じており,いわばこのような平時的意義をさらに拡大し,活用していく必要があるように思われる。以上のことを整理してみると次のようなことになろうか。
(2)第二次大戦後世界各地における武力紛争は四〇を越えるといわれるが,自由,共産両陣営のすべての安保体制について,外部から武力的に挑戦されたことはない。したがって安保体制に関するとかくの批判はあったにせよ,十全ではない国連の平和維持機能を補完するものとして働いてきたことは疑いのないところであろう。
したがって日米安保条約についても,極東の平和と安全の維持機能については将来も依然変わらず,この条約は,米国の極東さらに広くいえばアジア政策の支柱になっているものといえよう。ただこのようななかで,当初持っていた共産圏封じ込めの役割は後退し,この地域における戦争の抑止,したがって現状の固定化(軍事カによっては現状の変更を認めない)を目標とするものになっている。いわば当初は顕在的脅威という動的要因に対する対策であったものから,逐次潜在的脅威という静的要因対策に移りつつあるものと思う。そして極東地域における平和と安全が実証されるまでは,日米双方にとって安保条約の存続されることが望ましいであろう。
ただこの条約と日本の安全保障との関係について強調しておきたいことは,戦争になった場合に日米安保体制がどのように機能するかということは,制服幕僚の研究としてはともかく,政治的問題としては実はあまり重要ではない。というのは,日米安保条約の本質は,戦争になったら米国はどう支援するかということではなく(日本は戦争に耐えられない),戦争をどのようにして押えるかというところにあるからである。しかしながら,このような本質を十全に生かすためには,単に安保条約があるという事実だけに安住していてはならないのであって,平時における準備体制が必要かつ重要である。すなわち日米の友好関係を基礎において,米国が有事に来援しやすい基盤をつくっておくこと(基地等有事駐留の準備),通信,情報等相互に緊密な連絡体制がとれていること,装備および後方体制について共通のないし類似の基盤を持つこと,米国の平時抑止力保持への寄与(第七艦隊への便宜供与)等々であり,これらの具体的な実施過程の問題としては国内政治にかかわりあいがあって政治的に解決されねばならないものも出てこよう。このような事柄は,日本の防衛カをそれ相応に整備するのとは実は重要性を持つものであるが,われわれの立場からみると,政治的には必須のなかなかむずかしいとされる問題も含まれていよう。しかしこのような日米安保条約の持つ戦争抑止の保持は,この条約そのものはどう変わろうと,米国の支援を期待するとする安全保障構想をとる以上は,将来とも必要なこととなるであろう。
(3)今日世界の国際情勢が,大きな流れとして緊張緩和の方向に向かっていることはまず否定できまい。しかし歴史の実証するように,国際関係は,常に一張一弛の繰り返しであることも忘れてはなるまい。特に米ソの話し合いの進展,米中接近,欧州の雪解けの現象のごときは,いわば全世界的(グローバル)または広域圏(シアター)として問題であって,それは直ちに地域的(ロ―カル)な問題の方向をも同時に示すものではない。という意味は,たとえば米中接近によって,米中の直接衝突の危険は遠のくであろうが,インドシナ地域あるいは朝鮮半島というようなローカルの問題については,米中接近による全般約な緊張緩和が実現してもそれぞれが内包している別個の要因によって武力紛争が生じうるものなのである。日本もこのようなローカルな問題の一つである。このように,米中接近は必ずしも直ちにローカルの問題を解決するものではなく,日米安保体制を解消してもよい理曲とはならないものである。
日米安保条約によって,日本の安全保障上の安心感が得られると同時に,日本の防衛カを適切にコントロールすることが,日本自身にとっても,また国際社会にとっても,有意義であるにもかかわらず,この条約に対する反対が少なくない。ただこの反対はどうも感情的なものが多く,なにゆえこの条約を廃棄して中立政策をとるのがよいのかということの合理的な説明がないように思う。自由,共産両陣営が安保体制網をつくっている国際環境のなかで,なにゆえ日本が中立をとって孤立することが国益上得策なのであろうか。たとえばソ連は,ワルシャワ条約機構とNATOを解消して全欧的安保体制をつくることを提唱しているが,その場合といえどもソ連と東欧諸国との二国間条約の解消には言及しておらず,恐らくそれを解消することはありえまい。
中立ということは,バラ色に見える極めて魅力的なものではあるが,それを維持することは,スイスやスウェーデンの例にみるごとく,国民の大変な決意と努力を要するものである。のみならず実質的な中立は,その国が望んだからといって直ちに得られるものではなく,それはその国の歴史や国際環境の所産であり,そのような条件がなければ,かりに形式的に中立を宣しても,いずれはどちらかに傾斜せざるをえず,当初の目標は達せられないことになろう。
しかしながらわが国において,安保条約が国民に全面的には受け容れられないのは,占領行政の尾を引くものであり,冷戦時代の申し子であるという認識が払拭されていないためこの条約の今日的意義がよく説明されず,日米の共同防衛という軍事的側面のみが強調され,さらにベトナム戦争に関連して同条約によってわが国がこの戦争に介入しているという論議がなされる余地があり,国民の反戦感情にアピールしてきたことなどがその理由であろうか。
われわれは,将来何らかの形でアジアの安全保障機構が生まれ,確実な平和的環境が定着することを期待するものであるが,それまでの過渡的な対策として,日米関係を律するために日米安保条約の今日果たしている意義を認めていきたい。そして今後の問題としては,国際平和に役立つような日米関係をつくる,そのような取り極めが日米安保条約であるというような発想が望ましい。
このような意味で,将来はこの条約の本質を,政治,経済,文化等多面的な友好協力条約の性格に改め,軍事面はそのなかに包摂させるか,あるいは全般的な友好関係の必然的な結果として,有事の場合の軍事協力が生まれるものであるというふうに考えていくのが適当であるかも知れない。いずれにせよ一九七〇年代前半において,われわれは,日米安保条約の将来のあり方について,じっくりと考えてみる必要があるであろう。
データベース『世界と日本』
日本政治・国際関係データベース
東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室
[文書名] 我が国の防衛構想と防衛力整備の考え方
[場所]
[年月日] 1974年6月
[出典] 久保卓也遺稿・追悼集,58-86頁.
[備考]
[全文]
はしがき
1 四次防までの我が国の防衛構想については,防衛庁なりに立論されているが,それは防衛庁の立場上軍事的観点が中心となっている。国内外の諸情勢が大きく変動しつつある今日,四次防以降の問題を検討するにあたっては,改めて原点に立ちかえって防衛問題を考えてみる必要があるのではなかろうか。
2 従来の防衛カ整備計画においては,防衛カの数量的なものが先行し勝ちになり,現実的かつ具体的な防衛構想との関連が不明瞭であった嫌いがある。本来,我が国安全保障政策があり,防衛構想があり,それを受けて防衛力の規模,内容が論ぜられねばならない。四次防以降においても相当大きな経費が防衛費に投ぜられるであろうし,自衛隊をめぐる諸環境にも厳しいものがあろう。幸い時間のあることであるから,国民の多くの人に受け容れられ易い防衛論,防衛構想について練っておく必要があろう。
3 本論は以上のような見地から一つのアプローチを試みたものであって,議論の材料を提供しようとするものである。本論の性質上第一~三の論述は簡略にし,第四以降は比較的詳しく書いておいた。また議論が本筋からズレる恐れのないよう防衛カの整備目標の具体的内容については触れていない。
4 ものごとの検討の意義は批判に重点があるのではなく(それは学者,評論家,マスコミのすることである),より正しいもの,より妥当なものをクリエートするところにある。そのような検討を進めるのに本論がいささかでも寄与すれぱ幸いである。
なお,本論は不十分なところを多く残していると思うがいずれ機をみて補完することとしたい。
一 防衛論,防衛構想再検討の必要性
基本的態度
(1)見通し可能な将来(一〇年程度)にわたって有用な考え方として把握する。一〇数年~二〇年後に始めて有用になる考え方では当面の防衛カの説明にならない。
(2)軍事中心の防衛論であるよりは,広く安全保障の見地から防衛力を考えることとする。
諸条件の変化
(1)防衛カの国際政治上の役割
我が国の防衛カについては,「何から何を守るか」が基本的課題であるとするのが伝統的発想である。これは軍事的発想であるといえる。しかし冷戦時代を越えて来た今日の我が国の防衛カは,軍事的役割以上に,より広汎な国際政治上の役割をもっているように思える。
(2)脅威の多様化
国土,国民を守るべき対象としての脅威については,従来軍事的脅威を中心に捉えて来た。しかし今日,より身近かな脅威としては,資源問題,大規模の地震や火災等の災害,各種公害等がクローズアップされ,これに対処すべきことが要請されている。また,防衛カは脅威の最悪の事態たる武力侵略に対処できねぱならないが,同時にこのような広い脅威にも対応できることが望ましいのではないかという問題を生んでいる。
(3)国際情勢の安定化への傾向
ア 極限化しつつある核戦力のバランスを背景とする米ソの平和共存,中国の国際社会への参加,米中接近,各地域における対立国(群)の話合等が進められている。
イ 一九五〇年代まで顕著であった東西対立は,六〇年代から徐々に変化を見せ,七〇年代に入って,冷戦時代からの脱却が明白になりつつある。
ウ 以上から国際政治は,大勢的には,デタントと現状維持を指向しつつあるとみられる。朝鮮半島と台湾についてもこの路線上にある。
エ このような情勢に加えて,日本は,日米安保体制を軸に中ソとの協調を進めており,一方中ソ対立が持続している情勢の中で,日本をめぐる国際環境はより安定度を高めつつあるとみられる。
(4)軍事力(戦争)の意義ないし価値の相対的低下
ア 利権,国益の確保が,軍事力の行使以外の手段によって可能となりつつある。
イ 武力侵略に対する国際世論の批判が強くなっている。
ウ 従って,利権,国益の確保のための軍事力の行使は容易に行い難くなっている。(石油資源確保のためにでも軍事力を行使する場はなかった。)
エ このことは日本に対する武力侵略の可能性を減少させる一因になっているとみられる。
(5)人員,土地(施設)の取得難と価格の高騰
ア 人員,土地(施設)の取得難は明白になって来た。人員募集については今後一〇年位はほぼ横這い,土地については新しく取得することは極めて困難。
イ 人件費,物価急上昇に伴い,予算上の圧力が強い。財政枠の増大も期待は困難。
我が国安全保障の特殊性の再認識
(1)憲法上,国民感情上の制約
(2)国際環境
ア 日本と米中ソ3極との関係
イ 軍事大国に隣接するとともにアジアの一国であるということ。
ウ 島国という地政学上の特徴
(3)外国との間に軍事的紛争要因がない。
(4)国内の社会的投資の必要性の増大
従来の防衛論及び防衛カ整備の考え方の問題点
(1)軍事(戦争)は政治の一環であるにもかかわらず,政府の表明された考え方としては,従来の防衛論は軍事中心であるという印象を一般に与えている。
また,防衛力と安全保障政策全般との関連が明瞭でないとの指摘が多い。
(2)所要防衛カを目標とすることについて
ア 所要防衛カの対象となる周辺諸国の軍事能力は本来特定しがたく可変的であるので,所要防衛力の算定は困難であるが,敢えて算定するとすれば何らかの前提をおくことになる。前提をおくということは,十分な防衛ではなく,相対的な防衛であるから,より低い防衛力をもつ場合とは,程度の差に過ぎなくなる。
イ 所要防衛カの算定が可能であるとしても,現在のような防衛費のペースでは,一〇数年以降であってもこの目標兵力には遥かに達しそうにない。しかも,この場合,正面兵力に着目し勝ちであるが,縦深性,抗堪性,補給能力といった戦闘能力全体に留意すると,周辺諸国の軍事能力に対応する力をもつことは,米国の支援を期待するにしても殆んど不可能に近い。いわんやこの兵力を維持するに必要な人員,土地(施設)の取得が困難であることを考えると,平時における防衛力整備の考え方としては,既に破綻しているといえる。
二 安全保障政策
自衛隊の任務は,「我が国の平和と独立を守り,国の安全を保つこと」とされている。広く安全保障政策という場合,その目的は,「我が国の独立(自由)と安定(平和)と繁栄とを維持,発展させること」であり,そのためには,今日の国際環境において我が国は「国際平和の維持に寄与すべきもの」と理解する。このように考えた場合,安全保障政策として以下のようなものが挙げられる。
政治的,社会的,経済的安定と発展
(1)この政策が基本であり,これを確保することによって,外国からの政治的,軍事的干渉,介入を避けることができる。
(2)治安の確保―国家,社会の秩序を維持し,国民を保護することであるが,アジアの幾つかの国の防衛カがこの面に向けられているのに反し,我が国においては警察力が信頼性のある力を既にもっている。
脅威の多様性の認識とその対応
(1)脅威の最悪のものは大規模な戦争であろうが,今日の国内外の情勢よりして,より身近かな脅威は,諸資源の補給の途絶,地震,火災等の大規模災害,各種災害等であり,国としては,これらに対する配慮を手薄くして,防衛力整備を手厚くすることはできない。その間に均衡を見出さなければならない。
(2)軍事的脅威以外の各種脅威が,より具体的かつ身近かなものであるとすれば,国土,国民を守るべき実力集団たる防衛カが,平時においては,そのような脅威にも対処できる能力をもつことが望ましい。
また有事においては,防衛カは単に戦闘に挺身するのみならず,国民の避難,救護,災害復旧等国民そのものを守るべき分野においても活動できる配慮が必要であろう。この分野は予備自衛官が担当してよいかも知れない。
平和外交の推進
(1)善隣友好関係を進め,隣国との経済,技術,文化その他各分野での相互に入りくんだ協力,依存関係を樹立していく。相手の平和的協力を失うことがお互いに損であるという関係を多く作っていくということである。この点は友好国にとっても同断である。
(2)平和的姿勢の明示
漸を追うて,核防条約の批淮,各種平和会議(軍縮会議)への参加,各種平和宣言等を行っていく。
(3)国連協力,アジアその他各地域に対する協力を行うことによって,国際世論を味方につけていく。
(4)国際平和への寄与
ア 日本の安全と発展は,国際平和の存続が大前提である。日本は今日大国としての評価を既に受けるに至っている以上,日本としては単に戦争のない状態即ち消極的平和を期するに止まらず,更に進んで戦争の起らないことを保証するような体制即ち積極的平和を建設する努力が望まれる。
イ この一環としてアジア安保体制の模索のための努力や将来の軍備管理への指向の努力も必要であろう。
ウ このような努力と成果は,日米安保体制からの発展であり,同体制に関する米国への報償ともなる。
(「過去における同盟は戦争の遂行を目的としていた。現代においてそれは戦争の抑止に役立って来た。将来においてそれは平和を促進することに努力を傾注しなければならない。」ブレジンスキー)
エ 各国とのコミュ一ニケイションの緊密化
日米安保体制の信頼性の向上
(1)同体制はかっての冷戦の所産から,今日の多極化し国際社会における,平和維持のための不可欠の構成要素になっている。従って,上記3(4)「国際平和への寄与」の努カは,同体制の信頼性の向上に役立つ。
(2)日米安保体制は,日米関係においては,政治,社会,経済,文化,軍事その他あらゆる分野における友好協力関係の基礎である。従って両国のコミューニケイシヨンを密にしつつ,友好協力関係を積極的に進めることが同体制の信頼性を高めることになる。
(3)我が国として妥当な防衛努力をし(従来の努力は米国にそれなりに評価されている),米軍の在日基地機能の円滑な運用を保証し,日米間の軍事的協力関係を確立することは,日米安保体制の信頼性保持のための必須の要件であろう。米軍への基地提供は,米軍を我が国の安全保障のしくみ内にとり込み,安全保障への保証となりうる。
軍事的脅威の縮減
(1)我が国の平和的姿勢を明示するとともに国際平和の維持,発展のための努力をする前記3「平和外交の推進」に述べた努力をすることによって,我が国に対する軍事的脅威の度合いを薄めていく。
(2)日米安保体制の堅持
同体制は,日本に対する軍事的脅威について抑止力となるものであるが,同時にアジア諸国にとっては,日本が軍事的脅威を将来与える惧れがないようコントロールするものであるとも映っている。
(3)専守防衛の防衛カ
防衛カは国の防衛のための抑止力であるが,具体的な軍事的脅威が予想されない時期においては,防衛カが他国に脅威を与えるものであってはならない。従って非核政策を堅持するとともに,過大でも,過少でもない防衛力であって,いわゆる専守防衛の適切な規模,内容の防衛カであることが,日本をめぐって国際緊張をもたらさない有力な一因となる。
国防努力
(1)国民の国防意識の高揚
(2)軍事的脅威に際して国民を守るための手順,手段の開発,準備
民防その他国防関連諸施策の検討と整備
(3)防衛カの整備
内容は後述
危機管理
(1)外国との間に危機が生じ,現実に武力侵略が発生するまでの間において,その危機をどのように処理して武力侵略の発生を防止するかという問題である。相手国とのやりとり,対内,対外の各種措置手段を含む。この問題の重要性を認識し,具体的な内容の検討が必要である。
(2)国連,国際勢力の活用
(3)対米関係
ア 情報の緊密な相互連絡
イ 早期協議の手順,方法の確立
ウ 日米の軍事的対応策
(4)国内措置
以上において考慮すべき事項
(1)政治と軍事との関係
ア 安全保障政策を考えるに当たっては,国の努力を先ず国際平和の確立に指向することに重点をおき,そのはね返りとして国の安全と平和が保持できるという思考方法をとる。(防衛カが不要ということではない。)
イ 軍事―戦争を政治の一環として把握する。(「戦争が政治の継続であることについては変化はない」ソコロフスキー)従って軍事―戦争を国際政治的立場から観察する。
ウ 抑止力の概念は軍事力を中心として考えられ易いが,抑止力として働く要因としては軍事力以外にどのようなものがあるかを追求する必要がある。また,防衛カ(軍事力)を単に抑止カとして捉えるのではなく,その今日の実態からいつて,平和維持機能として捉える必要がある。
(2)国の自主性の維持
ア 防衛カが皆無又は過小である場合は,わが国の安全保障は,全く他国の善意又はカに依存せざるを得ず,我が国の自主的な活動は著しく制約される恐れがある。反面独立した強力な防衛力が,我が国については不適当ないし不可能であるとすれば,米国との安保体制は選択される唯一の方策となる。しかしこの場合は,米国への依存関係と我が国の自主性の保持との間の調和調整が重要な問題となる。
イ 「自助の精神の育成が米国のアジア介入の新しい目的」(一九七〇年ニクソン教書)とされているように,防衛力についての無原則的な対米依存は,ニクソン・ドクトリンからも,事実上からも,更に国の自主性保持の上からも不適当である。従って我が国の防衛力は,一定の枠の中で有用性をもつものでなければならない。
(3)安全保障のための選択肢の多様化
ア 国の安全保障のためには,とるべき手段をできるだけ多くもつ(選択肢の多様化)方がより安全である。逆にいえばこのことは相手国による各種攻撃,挑戦の手段(軍事的なものに限らない)をできるだけ狭めることである。
イ この意味で日米安保体制の存続は,この体制を基礎にして安全保障のための手段を累増していくことが可能である。将来の方向としては,この体制のみならず,安全保障のための地域的,世界的ネット・ワークをより多く作っていき,その中に多角的な保険をかけていくことが望ましいであろう。
ウ 非武装政策は,現実の軍事的脅威の有無を問わず,選択肢の多様化の重要な要素(防衛カと日米安保)を自ら放棄するものであり,他国から軽侮を受けることはあっても,尊敬と信頼を得る所以ではない。
エ また防衛カについて選択肢の多様化ということは,防衛力の各種機能について欠略する部分を作らないことである。もし欠略する部分があれば,相手方は負担の多い全般的な攻撃よりも,より容易に当該欠略機能,即ち弱点に乗じ,脅迫,攻撃することが可能となる。例えば艦艇,航空機による海上交通保護機能の欠略は,相手方をして容易に海上交通を妨害又は海上封鎖をし,あるいはする旨の脅迫をすることによって,我が国の国益を害する手段を得ることになる。従ってこの場合重要なことは,十分なASW能力でないまでも,原子力潜水艦に対しても有効な海上交通保護の機能をもつているということによって,相手の行動の自由を許さない,即ちその行動を制扼できるということである。
三 国際情勢の判断
国際情勢の認識
(1)強力な核戦力のおおよそのバランスを背景に,米ソとも武力による正面衝突は避けようとしている。
(2)ソ連陣営,自由陣営の両勢力圏については,米ソともお互いに武力干渉をしないという暗黙の諒解があるか,あるのと同様の実態にある。
(3)米ソとも自勢力圏を守ることについては強い決意を示しているので,日米安保体制は,上記(1),(2)を背景として我が国の安全保障上ヴアイタルな役割を果している。
(4)米ソ,米中間の融和の進行は,全般的なデタントの促進に大きく貢献している。
(5)中ソともに国内建設上重要な問題を抱えており,対外的な顧慮からいつても,直接武力によって現状を変更しようとはしていないという意味で,現状維持政策(平和共存政策といってもよい)をとっていると思われる。
また中国は,いわゆる民族独立闘争に対する間接的軍事支援については,より積極的であるかも知れないが,その軍事力は全般的には防衛的態勢にあるといえる。
(6)中ソ対立は持続的であり,中ソが他の地域に積極的かつ本格的な軍事行動を起すことに対する客観的な抑制要因となっている。
(7)大国の勢力圏以外の第三地域においては,武力紛争の各種要因をはらんでいるところが少くない。
(8)極東については,朝鮮半島,台湾ともに武力紛争要因を蔵しているが,後者についてはそれが顕在化することはあるまい。
(9)日本は平和的姿勢を示しており,外国との間に武力紛争要因はなく,また,周辺に強力な軍事力は所在するが,いわゆる軍事的対立コンフロンテイションという性格のものではない。
反政府的な軍事的行動の発生する要因も殆んどないとみられる。
戦争生起の可能性
(1)核保有国は,大規模の核使用に対して不断の準備をしているが,核兵器の使用は相互壊滅的な大規模核戦争にエスカレートする危険を常にもっているので,その使用は強く抑制される。しかし小規模核使用のポリビリティを全く否定することはできない。
(2)核大国を本格的に捲き込むような戦争は,たとえ通常兵器によるものであっても核戦争ヘエスカレートする可能性をもつので強く抑制される。国対国の紛争では,仮に何等かの原因で武力紛争が生じても,コントロールされた,局部的かつ比較的短期間のものとなろう。この意味で核の使用されない全面的戦争の可能性については否定的に解する。
(3)朝鮮半島における戦争の可能性は現状で進む限り抑制されようが,全く否定することはできまい。この場合でも,一九五〇年代前半の朝鮮戦争型のものは起こらないであろうが,仮に情勢が著しく変化してこの朝鮮戦争型のものが起るとしても日本への直接的波及はないと思う。しかしポシビリティの問題としては考えておく必要はあろう。
上記より可能性のあるものは,半島内における局地的な武力紛争ないしベトナム型の戦争であるが,この場合は戦争の日本への直接的波及は考えにくい。
(4)前記1「国際情勢の認識」を前提として考えると,現在の諸情勢,諸条件は,見通しうる将来にわたって大きな,あるいは本質的な変化はないものと判断され,従って日本をめぐる戦争―武力侵略の可能性は,その限りにおいて殆んどないものと考えられる。ただポシビリティの問題として考える場合,その対象は,目的,地域,期間,手段等の制限された限定戦争とみるのが妥当であろう。
国際情勢再検討の要因
日本をめぐる武力侵略の可能性については,その前提となる国際情勢に大きな変化が生じた時には,その可能性に対する判断,従ってまたその対応策にてついても再検討を要すべきことになる。そのような大きな変化要因は例えば以下の各項の如きものである。
(1)大国間の核バランスないし核抑止関係に大きな変化があった時
(2)米中ソの三極関係(融和と対立)に大きな変化があった時
(3)大国が武力侵略政策に転じたと思われる徴候が明白になって来た時
(4)大国にとって欧州の安定が固定化する等同地域に対る軍事的配慮の必要性が大巾に軽減した時
(5)日米安保体制が形骸化した時。例えば米国内において孤立主義が支配的となり,アジア政策を放棄するような場合,あるいは日米双方の熱意と努力が低下し,日米安保体制の信頼性が著しく低下するか,そのように誤解されている場合
(6)日本国内が分裂し,軍事的闘争が行われ,長期化するような時
四 防衛カの意義,役割
我が国防衛カの特殊性
(1)我が国の防衛力について考える場合には,国内的条件,国際関係,地政学的見地等から,次のような諸条件を考慮に入れなければならない。
ア 憲法その他国内的諸制約
イ 我が国が軍事大国に隣接していながら,軍事的にはそれらに拮抗することの困難な軍事中級国家であること。
ウ 我が国が特殊な事情をもつアジアの一国であること。
エ 日米安保体制が存在すること。
オ 日本をめぐる具体的な軍事的脅威が存在していないこと。
(2)以上の事情からして,我が国の防衛カは軍事的合理性をもって貫くことはできず,政治的妥当性との調和を図るべきものと考える。そして我が国の防衛カは,諸外国と同様の一般的意義を有するが,その軍事的意義について軍事中級国家としての特異性を考究するとともに,今日日本のおかれている立場からして,我が国防衛力の国際政治的意義を重視して考えるべきものであろう。この場全防衛カは,武力侵略に対する抑止力ないし阻止,排除能力としてみるだけでなく,更に進んで平和維持機能として捉えることが必要である。
また以上の観点から,防衛カの平時において果す役割,貢献度を高めるべきものと思う。
一般的意義
防衛力の保持は,一般的にいえば国の独立と自由,安定,平和,繁栄に寄与するものであるが,それを若干区分すれぱ次のようになろう。
(1)国の独立と権威及び民族統合の象徴
(2)国内の治安維持能力のバックアップ
大規模な武力暴動に発展するのを阻止することによって,外国からの干渉を防止する所以となる。
(3)防衛力は,武力侵略に対する国民の抵抗意思を外国に予め表明するものであり,そして必要に応じ現実に国を自衛するためのカである。
軍事的意義
上記防衛カの一般的意義のうち軍事面については,とくに我が国に関しては次のような意義を有すべきものと考えられる。
(1)抑止カ―抵抗力
ア 武力侵略の防止について,相手国の好意と善意にのみ依存し,相手国が決心すれば何等の犠牲なく容易に,又は大した犠牲(労力,被害,経費等)なく,その戦略目標(国益)を獲得されるような態勢は,我が国の独立,安全,繁栄を守る所以ではない。
イ 防衛力が過小であることは,他国の侵略(武力のみとは限らない)への誘因となり,国際関係の不安定要因となりうる。第二次大戦の一因は,英,仏,ソ連がドイツの再軍備以後十分な反応を示さなかったからだともいわれている。
ウ 従って,相手国の武力侵略に際しては,できればこれを速やかに排除しあるいは少くとも相手の犠牲をできるだけ大きくさせ(costly),短期間に屈服することなく,国際世論の反撥を受けさせるような防衛力,防衛態勢はもっていることが望ましい。このような防衛カは他の要素と併せていわゆる抑止力となる。
エ この場合,軍事的合理生の見地に立てば,抑止力としての防衛カは大きければ大きい程抑止力は向上するといえるかも知れない。しかし日本のおかれた国内及び国際関係の特殊な立場からいえば,絶対的な抑止力をもちうるものではなく,総合的な立場から適当な程度の抑止力を防衛力に期待すべきであろう。
オ 相手国にできるだけ多くの犠牲を強いる防衛力は,個々の戦闘において勝利を占めうる力の総体として把握されるようなものであるよりも,戦争全期間を通じて相手の犠牲が多く,かつ長期化することを予想させるような防衛カであることが望ましい。このような防衛力は「抵抗力」として把握することが適当である。
カ 従来の防衛構想からいっても,然かじかの防衛カでどの程度,どれ位の期間,対応,防衛できるかという考え方であったから,抵抗力という言葉は使わなくても同じではないかとの論があるかも知れない。
しかし従来の考え方では,侵略当初に保有している防衛カの規模でどの程度対処できるかという発想であり,防衛カの補充,存続性については論じられていない。それは理由のないことではないにしても,抵抗力という場合は,当初の防衛力の規模如何ということより,防衛力をどのようにして持続させ,それが相手にどのせ{前1文字ママ}うな影響を与え,戦争の有利な収束にどのように働くかということが中心課題となる。このような点で従来の発想にもかかわらず抵抗力として特徴づけることには意味があることであると思う。
(2)日米安保体制発動の引金
十分な防衛カをもっていないまでも,集団安保体制の下においては,その防衛カは,安保体制による同盟国の支援を発動させ,有効化させるための引金としての機能をもつ。
(3)有事における外交に対する支援
ア 緊張時
防衛カを戦闘即応体制に拡充整備し,配備することによって,国民の抵抗意思の明確な表明となり,更に武力侵略に伴う犠牲が大きいという見通しをもたせることによって,相手国をして外交折衝による解決を選択させる圧力となる。この場合,日米の軍事的連けいが明示されることが有意義である。
イ 交戦時
大規模な武力侵略に対しては,我が国を防衛し切るということは容易ではないので,防衛カの狙いは,日米安保体制の発動,国際的支援があり,我が外交交渉の実があがるまで,政府,国民が相手国の意思に屈せず抵抗できるよう長期持久できることにある。
この場合我が方の損害(国民,生産力等,防衛カ)はできるだけ少くし,相手方にはできるだけ高価につくことが望ましい。
ウ 終戦時
戦争末期においては,防衛カを活用してできるだけ我が方に有利な状態で戦争を収束(Strategic Accomodation)しうるよう努める。この場合,政,戦略的要域を相手国に占領させておかないことが望ましい。
国際政治的意義
以上のような防衛カの意義のほかに,平時においては,以下のような国際政治的意義が強調されなければならない。
(1)国の自主性の保持
ア 我が国の安全保障の他国依存は,その依存度に応じて我が国の国際的発言力を弱め,自主性を低下させることになる。(この意味で非武装政策は,当面はとも角,長期的には自主性の放棄につながる可能性が多い。)
イ 日米安保体制との関係では,条約上の義務を果しつつ,我が国が国際関係において十分な役割を果し,しかるべき防衛カを維持できれば,国の自主性は十分保持できるものと考える。
(2)国際関係の安定への寄与
ア 今日のアジアにおける国際関係は,日本の防衛カ及び日米安保体制の存続を一つの大前提として安定を維持している。我が国の防衛カが欠如している場合(この時は日米安保体制も存在しないか,又は形骸化している)は,アジアの国際関係に不安定要因をもたらすことになる。
例えば米中ソ三大国は,アジアに重要な利害関係をもっているが,政,戦略的価値の高い日本が米国と結んでおらず,弱少な防衛カしかもっていないとすれば,日本を自陣営に入れるには大きな犠牲を要しないので,日本をめぐって三大国が競い合うようになるかも長れない。それは東アジアに大きな不安定要素をもたらすことになろう。
イ 軍事力の対峙(コンフロンティション)のある場合はカの均衝(バランス)を必要としょ{前1文字ママ}う(例えば米ソ間,欧州,朝鮮半島,ベトナム,中東地域等)。しかし我が国の場合はこのような軍事力の対峙は存在していないという考え方に立つので,アジアの国際関係において日本が日米安保体制と相まつて力の空白をおかないということは,日本が周辺諸国との間に力の均衡を求めるということにはならない。従ってこのような立場では,戦争抑止のためのカの平衡運動は起らない。
ウ 我が国の防衛力は,弱小に過ぎて他国の政治的,軍事的干渉の誘因となってはならないが,同時にアジア諸国のもつ特殊な感情からして,防衛カが大規模になり過ぎては,他国に不安と懸念とを与え,アジアに新たな緊張を生む要因となりかねない。
エ 従って,日米安保体制を解消するとともに,新たな政策として防衛カを縮小し,あるいは大巾に拡大することは,アジアの重要地域における大きな現状変更であり,各国に不安と動揺を与えることになる。この変化から次の国際的安定に至るまでの体制と時期については何らの見通しをもち得ない。即ちこのような現状変更政策は,日米のもつ国際的責任の放棄ということになろう。
(3)日米安保体制の有効性の保持
日米安保体制は,今日の国際情勢において,日本の防衛に関しヴァイタルな役割を果すものであるとともに,アジアの国際関係の安定にとって基本的な枠組となっている。
しかしながら日米安保体制は米国の好意のみによって維持されるものではなく,米国が結んでいるいずれの安全保障条約にも謳われているように,自助の精神を建前とするヴァンデンバーク決議の内容を前提としている。従って我が国及びアジア各国のために日米安保体制の信頼性と有効性とを維持するためには,我が国自身も適切な防衛努力をする必要がある。しかしこの適切な防衛努力の程度と内容を決めるのは勿論我が国自身である。
(4)我が国を侵害する政治,軍事的行動の自由の抑止
ア 現実の武力侵略は行わないまでも,軍事力を背景として他国の意思を屈服せしめた例は過去に数多くみられるところである。日米安保体制と相まって適切な防衛カを維持することはこのよう威迫的行動を抑止することになる。
イ また機能的に欠略しない防衛カを維持することは,欠略した機能即ち弱点に乗じて威迫を加える余地をなからしめるものである。例えば海上兵力が弱小である場合は,機雷又は艦艇による封鎖,威嚇的行動,外交上の威嚇を行う自由を相手に与えることになる。
(5)国民生活の安定と繁栄への寄与
日米安保体制を基礎に適切な防衛力を保持して国が安定しているという姿勢を示し,平和外交を進めてい{前1文字ヌケ}ことは,外国との安定した貿易関係を維持し,食糧その他の資源や外国の投資を確保することになり,国民生活の安定と繁栄に寄与することになる。
平時における具体的任務
(1)防衛面
ア 武力侵略に対する抑止力であり,日米安保体制の信頼性を高めるものであるとともに各種の威迫的行動を行うフリーハンドを他国に与えないことが基本的な役割であることについては,既に述べて来た通りである。
イ 領空,領海の侵犯の防止
レーダーサイトその他の施設による情報・監視及び艦艇・航空機による哨戒等によって,我が国の領空,領海の侵犯を防止するとともに,我が国周辺の軍事行動に関する情報を得,日米の防衛戦略,外交に寄与する。
(2)民生協力
当面我が国のおかれている平和的環境からして民生協力を国の防衛,治安維持と並んで自衛隊の主任務の一つに格上げすることが望ましい。
業務としては,脅威の多様化に伴い,それに対する対応のうち自衛隊に適する分野を開発するとともに,従来の民生協力の分野の内容を拡充する必要があろう。
五 防衛カ整備の前提
防衛の対象―限定戦争
(1)我が国に関する万一の事態は,ポシビリティとして考えれば巾広い種々の様相が想定されようが,我が国のおかれている国際的諸条件及び国内の諸制約からすると,あらゆるボシビリティに対して防衛力を整備することは不適当であり,また現実的には不可能ともいえよう。
そうであるとすれば,防衛の対象は,第二次大戦後における戦争のすう勢に従って,戦争の目的,手段,地域,期間の限られた,いわゆる限定戦争の型にしぼるのが妥当であろう。
(2)我が国が戦争に捲き込まれるような事態は,米ソが本格的に衝突する大規模な世界戦争の場合しかないとの見方もある。しかし米ソの本格的衝突は核戦争にエスカレートする恐れがあるから,そのような事態は対象外と考えてよい。従って起こりうる事態は,相手国が国際情勢の間隙に乗じ,あるいは誤算により,大国間の本格的衝突に至らないで目的を達成できると判断するような事態であろうし,それは限定戦争の型になると考えられる。
(3)この場合限定選{前1文字ママ}争の継続する期間は,米国との本格的衝突を避けようとするならばそれに至るまでの間,即ち数か月間の範囲内と考えてよかろう。
また海空における侵略の地域的範囲は日本全般を覆うものと考えてよいが,その攻撃方法は無制限ではなく主として軍事,戦略目標を狙うとか,民意の喪失を冒的に部分的攻撃を加えるとか,限定的なもの,コントロールされたものと考えてよい。更に上陸攻撃を行うとしても,それは日本全土の占領を目的とするよりは,主たる目標は特定の地域に限定されるものと考えてよい。
(4)実際に起こりうる武力侵略は,以上のような想定に対し今少し弾力的に考えるべきであるかも知れないが,少くとも防衛カ整備の前提として考えられる事態としては妥当なものであろう。
防衛カに関する制約
(1)国際情勢に関する将来の見通しや相手国の意図の判断などはもともと困難なのであるから,日米安保体制を背景としつつ周辺諸国の軍事力に対応する防衛力を整備の目標とすべきだとする軍事的合理性の立場からの発想がある。それはカのバランスの立場ともいえよう。しかしこの場合の防衛力は相当に大きいものであり,戦力として十分有効であるためには膨大な経費が予想され,実現性がない。
我が国が軍事大国に隣接しているということは,我が防衛力が質量共に高いものであることが必要となる。反面,我が国がアジアの一国であるという点からは,我が国がアジア諸国からみて大規模と思われる防衛力を建設しようとすることは,アジアに国際緊張を生む懸念を生じかねない。従って我が防衛カについて質量の面で,ある種の枠を設定する必要がある。専守防衛というのはその一面であろう。
(2)我が国の防衛カは,今日の国際環境においては,我が国防衛のための十分な物理的戦力としてよりも,国際関係の安定に寄与し,そのはね返えりとして我が国の安全を期しうるという考え方に重点をおくことが適当である。
そうすると,我が国の防衛力が過大であることも国際緊張を招きかねないが,それが過小であることも国際関係を不安定にする誘因となりうる。
即ち防衛努力の減少又は防衛力の縮減は,日本政府の政策の変更と映り,日本国民の自らの手による防衛意識の低下,国際平和への貢献する努力の放棄,国内建設と経済繁栄一辺倒のエゴイズムととられ,日米関係の信頼性,協調性を損うことにもなろう。このことは戦力の低下ということより以上に国際関係における尊敬と信頼を失い,国際的な孤立化を招き,ひいては我が国の安全と繁栄とを損うことにもなりかねないものである。
(3)以上の諸点からみると,我が国の防衛カは,過大でも過小でもない適切な規模のものであることが望ましく,防衛努力をするにあたっては,質の向上に重点をおく漸進的なものであるべきであるし,防衛カを規制するという場合は,国際的な安全保障体制の確立と軍備管理の進捗とに応じて行わるべきものであろう。
そして我が国の防衛力は,国際関係的観点から平和維持機能として把握されるべきものであるが,それは張り子の虎であってはならず,防衛力として内容的に信頼性のあるものでなければならない。また合理的な推測にもかかわらず,ポシビリティとしては万一の事態をも考慮しなければならないから,我が国の防衛力は,軍事的機能としては,抑止力としてできるだけ有効であり,それが破れた場合にも有用な抵抗力たりうるものである必要がある。
防衛の構想
我が国が,規模はとも角内容的には信頼性のある防衛カを維持し,かつ日米安保体制の信頼性が確保されて米国が対日支援の姿勢を維持している限り,我が国に対する外国からの武力攻撃の可能性は殆んど考えられない。この意味において,我が防衛力及び日米安保体制を平和維持機能として捉うべきであることは前に述べた通りである。
しかしながらポシビリティの問題として万一の場合のシナリオを描くならば,日米安保があるにもかかわらず我が国について武力侵略の起りうるべきケースは下記(1)の場合しかなく,その際の防衛の態様は(2)の如きものとなろう。
(1)武力侵略の契機
ア 日米安保の発動しがたい国内騒乱に乗じた間接侵略
イ 日米安保の発動するいとまのないうちに行おうとする一部地域の占領(奇襲攻撃)及び結果的にそれが予期以上に長期化する場合
ウ 米国の国内又は国際環境から,日米安保が本格的に発動しがたいとみられる場合又は相手方にそのような誤算のあった場合
(2)防衛の態様
ア 前記(1)ア,イの間接侵略及び奇襲攻撃の可能性に対しては,我が国独力で対処できなければならない。またイのケースで長期化しそうな場合は,米国の介入によって早期に収束されよう。
イ 前記(1)ウの場合は,次の二態様が考えられる。このいずれの場合も,緊張の高まりとともに危機管理の諸手段を講ずることが重要であり,武力侵略が行われた場合には,戦域と被害の局限に努めるとともに戦争収束のための各種外交努力を行うことが必要である。
a 外国が誤算により大規模武力侵略を試みた場合には,我が防衛カの対応と米軍の応急支援に併せて米国が本格的支援救勢を示し,政治的にも介入して来ることによって,比較的早期に戦争収束が期待される。
b 外国の大規模武力侵略に対して,米国の本格的な支援が現実に困難である場合,我が国の防衛は不利となる。従ってこの場合は,米国の世界規模における核戦略を背景とし,あるいは日米の政治努力によってなるべく不利とならない態勢で戦争収束を図る必要がある。この場合,このような政治努力の実る間,日米の防衛カで抵抗が維持されなければならない。
(3)防衛カの性格
我が国の防衛カは,上記(2)「防衛の態様」を前提として考えると,少なくとも次のような性格ないし,能力をもつべきものとみられる。
ア 阻止カ―間接侵略,奇襲攻撃等小規模武力攻撃については,日米安保の発動しにくいことが予想されるので,これを十分阻止,排除する力を我が国独自でもつ必要がある。
イ 制約カ―大規模武力侵略時における防空,周辺海域における海上交通の保護などについては,相手の攻撃を阻止,排除することは困難であっても,相手の行動の自由を許さない程度に制扼しうるカをもつ必要がある。
ウ 抵抗カ―大規模武力侵略に際して,できるだけ相手に犠牲を強要しつつ,米国の本格的な支援が来るまで又は日米の戦争収束の努力が実るまで近代戦闘を長期持久できる能カが必要である。
上記制約カの持続も抵抗力の一環をなすものであるので,防衛力全般の性格としては最悪の事態に備える抵抗力と特徴づけることができよう。
六 整備すべき防衛力
防衛カの内容
(1)以上に述べて来たところから,防衛力の内容を規制する点を整理すると次のようになろう。
ア 見通しうる将来にわたって,我が国をめぐる具体的な軍事的脅威の可能性は殆んどない。しかし万一の場合,即ちポシビリティの問題として考えれば限定戦争の事態を想定するのが妥当であろう。
イ 国際関係の安定を図る立場からいえば,我が国の防衛カは,過大であることも,過小であることも望ましくないであろう。
ウ 我が国の固い防衛意思を表明し,国の政治的安定性を示すとともに国際的信頼感を維持するため,及び武力侵略の抑止と日米の緊密な関係向上に必要な日米安保体制の信頼性を維持するためには,適切な防衛努力の継続が必要であろう。
エ 国内における現実的な制約としては,財政枠,人件費及ぱ物価の高騰から来る予算上の制約,人員募集難,土地取得上の制約等がある。
(2)我が国の防衛については,軍事的にみれば米軍の本格的な来援があるまで我が防衛能力が維持されることが望ましい。この場合,我が国周辺諸国の軍事能力を基準にして所要防衛カを算出することは,一定の前提をおけば可能ではあろう。しかしながら上記(1)の条件下においてこのような所要防衛カを平時における整備目標とすることは不適当であり,不可能でもある。
従って,(1)の枠組みの中で平時の防衛カとして適当なものを考えるとすれば,現在の防衛カを基礎として,少くとも次のような要件を備えているかどうかを検証してみる必要がある。
ア 防衛上の各種機能にけん欠のないこと。
イ 地政的にみて,防衛力(とくに基幹部隊)が日本全域を一応カバーしていること。
ウ 軍事技術の進歩に追従するよう研究開発と装備の近化代を進めていること。
エ 以上の防衛カが内容的にで{前1文字ママ}できるだけ抵抗力として有効であること。
このような要件を備えた防衛カは,(1)の枠組みの中で考えられるものであるが,同時に防衛カが一朝一夕に整備できるものではないこと及び「第三国際情勢の判断」において述べたように将来の情勢の変化に応じうるものであることを配慮したものであり,この意味からこのような防衛力は我が国にとっての基盤的防衛カ(あるいは平時における必要最小限の防衛カ―憲法上の意味ではない)といってよい。
(3)以上(2)に記した要件を四次防の防衛力についてみると,防衛上の各種機能に関しては,不十分な分野は多いが,全く欠けているものとしては,AEW機能があげられる。
基幹部隊(師団,地方隊,護衛隊群,航空団,ナイキ,ホーク部隊)の単位でみれば,内容的には未整備の分野が残されてはいるが単位数的には陸海空とも大体概成しているといえよう。ただしこの場合護衛隊群の単位数が概成しているとみるかどうかは,海上自衛隊の任務,役割をどうみるか等によっても変るのであるが,本論では次のような考え方に立っている。
(4)平時においては,海上防衛力は,情報・監視,哨戒,警戒の任務をもつとともに,対機雷,ASW(とくに対原子力潜水艦)能力をもつことによって,海上封鎖又はその脅迫を封止し,更に海上防衛力全体として抑止カの一環をなすものである。
また有事においては,対上陸戦阻止も重要な役割になるが限定戦争下におけるASWとしては,侵略国の潜水艦による無制限な海上交通の破壊は高次元(即ち世界的規模)の戦争型態{前2文字目ママ}であると考えられ,我が防衛カ整備の前提からは除外されることになる。仮に限定戦争下においてもそのような事態が発生した場合は,数か月間の戦争継続を考えるわけであるから,期間中に必要とする輸出入量の何割かを確保するために海上交通の保護をするという考え方はとらない。通常国民生活の維持のために輸出入していたものは,この期間はできるだけ我慢するとともに,必要とあれば中立国船を利用する等の代替方策をとることとする。
従って以上の場合のASW能力に期待される分野は次の如きものとなる。
○日本沿岸海域における海上交通の保護(主として国内輸送の確保)
○日本周辺海域における海上交通の保護
一般的な哨戒,警戒,とくに相手の潜水艦の頻出海域重点(相手方の行動の制約)
特定目標の護衛(必需物資中特定のもの,兵器等)味方攻撃カヘの協力
○通峡等の阻止
また海上防衛カの充実強化が,日本の軍事協力,日米安保体制の信頼性の向上に寄与するものであることを否定するものではないが,しかしそれは必ずしも単位数の増加ということではなく,海上防衛力の全般的な整備と近代的戦闘能力の向上ということで目的を達することは可能であろう。
(5)我が国の防衛カが抵抗力としての有効性を維持し,向上させるためには,正面兵力の整備よりも,質の上での対応性(所要分野における同種装備の性能上の均衡又は代替手段の有効性の保持,電子戦能力の保持),縦深性,抗たん性等の付与が必要であるが,この分野のものが四次防の防衛カについては最も欠けているところであろう。また防衛カの残存性を高めるという見地から編成,装備のあり方について検討してみる必要があろう。
防衛カの整備目標
(防衛庁防衛局長昭和四九年六月個人論文)
安保条約問題(総理発言案) 日本語 英語 1974年11月18日
場所]
[年月日] 1975年3月19日
[出典] 外務省,いわゆる「密約」問題に関する調査結果報告対象文書(1.1960年1月の安保条約改定時の核持込みに関する「密約」問題関連),文書1-14
[備考] いわゆる「密約」問題に関する調査結果報告の際に公開された文書。公開された文書は外務省罫紙に手書き、英文はタイプによるもの。漢字、ふりがなの用法、誤記と思われるものも含めてできるだけ忠実にテキスト化した。欄外の書き込みの記録は、本文の前に記載しオリジナルの記載箇所を<>内に記した。
[全文]
<1ページ目 欄外右上>
極秘 無期限 5部のうち2号{前12文字スタンプ、数字は手書き}
事前協議問題に関する宮沢大臣ホドソン米大使会談要旨
昭50.3.19
アメリカ局長※{※は花押}
3月18日午后、協議のため一時帰国するホドソン米大使が宮沢大臣{沢の前に1文字黒塗りあり}を来訪会談した際、安保条約における事前協議問題につき要旨次のとおりの話し合いが行われた(山崎アメリカ局長及びピートリー参事官同席)。
{1文字黒塗りあり}1.宮沢大臣{沢の前に1文字黒塗りあり}より甚だ嫌な問題(obnoxious question)であるがと前置して事前協議問題に関する昭43.4.25付日本政府見解(所謂藤山マッカーサー口頭了解)の英訳文(別添1)を示して、国会における審議の模様を説明するとともに、自分がこれを読み上げるから貴大使は天氣の話でもして、その内容に異議を唱えないでもらいたい旨述べられた。
2.これに対しホドソン大使は本件文書の内容につき米国政府{1文字黒塗りあり}として特に異議があるわけではないが、この際、米国政府の考え方を説明したいとして次のとおり述べた。
「米国政府は、核問題に関する日本のsensitivityを十分理解しており、“事前協議がない以上核の持ち込みなし”との日本政府の説明振りにも協力してきた。しかし、米国政府の内部には核のtransitにつき日本政府は同意を与えている(米内部ではこれをgrunt agreement{grantのaをuへ訂正あり}と呼んでいる)と信じてる者が多くおり、日本政府当局者の屢次の国内向け声明にいらだちを感じているものも少くない。日本政府が「持込み」(introduction)につきambiguitiesを維持することにより両国政府間に存する“secret disagreement”をカバーしていることは承知しているが、種々のincidentsを通じて問題が段々pinpointされつつあり、われわれに残された部分(room)は大きくない。このまま事態を放置すれば、何かのキッカケで真実が暴露されることも予想され(例えば米側の責任ある地位にあつた人が議会で宣誓の下での証言を求められ、例え秘密会で行われても、事実が洩れる等の事態が考えられる)、その際には日本政府が同意を与えながら、日本国民に隠していたか、または米国政府が日本政府及び日本国民を欺いて来たかのいずれかと受け取られるであろう。かかる事態は安保条約の根幹をゆるがし日米の信頼関係を悪化させ、更に米のアジアにおけるpostureにも非常な悪影響を及ぼすであろう。従つて、当面ambiguitiesを維持する必要があることは理解するし、また協力する用意{1文字黒塗りあり}もあるが、他方、両国の関係者が一緒に坐って(sit down together){してを二本線で抹消}、時間的制約を設けず、また一定の前提もなしに(昨年10月頃日本政府が検討された試案を基礎とすることでなくともよい)自由に且つ全くconfidentialに話し合う必要があると考える」
3.これに対し、宮沢大臣は、自分は就任直后この問題を知り、三木総理とも協議したが、結論は現在の政策は到底変更できぬということであつた。日本政府が現在の核政策の修正を明かにすれば、日本国民は激しい反応を示し、米艦船の横須賀、佐世保への入港は物理的に阻止され(原子力船「むつ」の例)、米海軍の基地としてまったく使用できなくなるであろう。結局現在のambiguitiesの政策を維持する外なく、ついては(別添2のtalking paperを手交し)、この点につきassurancesを与えるから、前記の昭43.4.25付ペーパーの内容につきno objectionをいつてほしいと述べられた(山崎より米側回答が遅延すると疑惑を招くおそれがあり、またいつ質問が出るか分らないので、なるべく早く回答を欲しい旨付言した)。
4.ホドソン大使は、日本政府の直面する目前の問題は了解したので、帰国后直ちに本国政府と協議してできるだけ早く回答することといたしたいが、先程申し上げた長期的問題については十分御検討願いたいと述べた。
5.これに対し、宮沢大臣は、御趣旨は了解したので、検討することとしたいと述べられ会談を終わつた。
キッシンジャー国務長官のジャパン・ソサエティ年次晩餐会における演説 日本語 英
日米両国は,日本の対米依存の時期に政治的同盟と安全保障関係を形成した。戦争が日本の経済と政治体制を破壊した後の困難な時期に,日本は指導者としての米国の地位を受け入れ,その後しばしの時の経過を経てから徐々に,自主的外交と周辺の世界における積極的な政治的かかわり合いを求めはじめたのであつた。日本が主要経済大国として,また,国際的勢力として出現してきたことは,近年,日米関係の実質的変化をもたらした。
外交面では,米国は世界的安全保障の責任を果たしてきたが,日本は,世界の大国のなかではただひとり,強大な軍事力保有ないし自己主張の強い外交を否定し,経済,通商の発展に力を注いできた。
米国とアジア
すべての大国の安全保障上の利害関係はアジア,なかでも北東アジアで交錯している。中国は大陸の心臓部を占め,ソ連の極東部分はアジアの最上端に広がり,日本列島はアジア本土沖の海洋に2,000マイルにわたり横たわつている。米国の太平洋におけるプレゼンスは同地域全域にわたるものである。西欧はアジアと重要な経済的つながりを持ち,同地域の均衡がゆらぐ場合にはその影響を間接的に感じる立場にある。
世界の人口と資源に占めるアジアの割合は極めて大きい。過去20年間に世界の他のどの地域よりも急速な経済成長をとげたアジア,太平洋地域は,米国の対外通商の最大,かつ最も急速な発展を示す市場となつており,アジアの原材料を入手することについての米国の利害は,アジアが米国の市場と技術について有する利害と同様に死活的に重要なものである。
以上にかんがみて,平和と進歩及び生活の向上という現代世界の課題を解決する上でアジアの役割は潜在的に決定的重要性を持つ。であるが故に,最近の出来事にもかかわらず,米国がアジアに背を向けることも,またアジアを犠牲にして欧州に関心を集中することもあり得ない。米欧関係も日米関係も世界の平和と安全にとつて等しく緊要であり,そのどちらも世界の平和と安定にとつて不可欠の重要性を持つものである。現代の世界において,アジアと欧州の地域の抱える問題及び機会は他方の地域の抱える問題及び機会と重複し,両者は不可分である。
コミットメントを守ろうとの米国の決意は,双方に対して同様に強固なものである。
他方,米国のアジア政策を日本にのみ限定しようとする場合には,必ずや日米関係の支柱自体を損なうことになろう。日本をアジアに結びつける諸利害は,アジアを米国及び他の西側諸国に結びつける諸利害に劣らず緊要なものである。日米両国間の政治・安全保障関係の価値は,アジアの安全の広い均衡にそれがどれだけ寄与するか否かによつて決まるものであり,これは米国にとつてのみならず日本にとつても決定的な意味をもつている。
米国の外交政策の基本的な原則は次のようなものであり,これはアジアにおいても反映され,かつ,必要とされている。
―第1に平和は安定した世界的な均衡に依存しているという点である。
効果的な外交政策は安全保障の問題を越えて発展するものでなければならないが,他方,安全保障なくして効果的な外交政策はありえない。ある国家が他国のいうがままにならないと国家としての存立を脅やかされるような世界は,従属と不安定かつ専制主義の世界である。であるが故に,米国は,力の優越性や脅迫によつてその意思をアジアに押し付けようとのいかなる国家あるいは国家集団による試みにも引続き反対する。
われわれは,米国の条約上のコミットメントの確固たることについていかなる疑問が投げかけられることも許さない。われわれの支援を求める同盟諸国には常に支援の手を差しのべる。他方,もしわれわれの提携国のうちにコミットメントの修正を求める者があるならば,われわれはその要望に沿う用意がある。
米国のコミットメントの遂行にあたつて,われわれは,同盟諸国が自衛力,特に人的面での兵力を維持するため第1次的責任を果たすことを期待する。また,民衆の意志と社会正義が国内の破壊活動が外的侵略に抵抗するにあたつての不可欠の支柱であることはいうまでもないが,既に米国の支援と援助を約束した所 に対しては,これをさしのべる。われわれは幻想は抱いておらず,われわれの価値観と社会制度は共産圏諸国のそれと相容れるものでないことを認識している。しかし,人類の生存自体が問題となつている熱核時代においては,緊張緩和以外にまともな選択の道はない。仮にこのような努力が失敗に帰したとしても,少なくともわが国民達は,われわれにとつて圧力と脅迫を拒む以外に選択の道はなかつたことを知るであろう。力と安全保障がなくして妥協はあり得ないが,われわれがもし妥協の精神を伴わない力は大破壊を招来し得ることを忘れるとしたら,それは向う見ずなことであろう。
平和と安全の挑戦
日本の世界平和への貢献はユニークなものである。日本はその卓越した工業力にもかかわらず,大国としての地位に伴う軍事的属性を持つことを放棄し,通常兵器による控え目な自衛力しか持たず,安全保障については米国の支持と諸外国の善意に頼つてきた。
この枠組みの中で日本は繁栄してきた。日本の安全は確保され,その民主的諸制度は栄え,経済は比類なき発展を遂げた。この経済発展はこの時期の大部分を通じて日本が妥当な価格で輸入原材料,食糧を確保できたことにも一因があつた。日本は近隣諸国との建設的な経済,政治関係を発展させることができ,それによつてこの地域の安定と成長に寄与してきた。
近年の事態は,こうした比較的単純な世界を変えてしまつた。大国間の相互関係は50年代や60年代の初めよりもはるかに複雑化した。1973年の石油危機により日本はその経済的脆弱性に直面することとなつた。今日原材料供給国は既存の世界貿易,通貨機構の枠内では容易に包摂しえないさまざまな新しい要求を提起している。
こうした状況下にあつて,日米両国は旧来の前提を再考し,新しい創造的なアプローチを生み出す必要に迫られている。また,これらの諸問題は,その性格上,日米両国がばらばらにではなく,相協力して対応することを必要としている。日米両国は自国の安全保障を国際的な和解と,また自国の発展を国際的な協力とそれぞれ関連づけるべきである。
和解の挑戦
日米両国は世界を勢力均衡をこえてさらに和解へと前進させる努力を行つている。米国はソ連及び中華人民共和国との関係を正常化し,改善することを試み,日本も同様の努力を行つてきた。また日本政府は,アジアにおける対決を緩和することを目指す外交―自ら「平和外交」と呼んでいる―を追求してきた。
日本は1956年にソ連との関係を正常化し,最近では同国との経済関係を強化している。日本は数十年間にわたり中華人民共和国の貿易相手であつたが,1972年には,北京を全面的に承認し,以来,中国との二国間関係を広げてきており,われわれはこうした事態の発展を歓迎してきている。
われわれは,従来より複雑化した大国間の相互関係に対処するにあたり,われわれの諸々の国際関係においていかにして優先度を維持するかという共通の問題に直面している。私はここで米国政府が既に多くの機会に明らかにしている立場を再び明言したい。それはすなわち,米国は同盟国と敵対国とは明確に区別するということである。「等距離外交」は神話である。われわれにとつて,日本はかりそめの話し相手ではなく,永遠の友人であり進歩する世界を築く上でのパートナーである。
もちろん,われわれは対中国,対ソ連,あるいはアジアのすべての問題について,両国が全く同一の政策をとることを期待するものではない。しかし,両国は,互いに両立しうるアプローチを維持すべく努力すべきである。日米の二国間関係においては,通常の二国間関係においてよりも相互の関心度が高いものであることを認識し,お互いに相手の利害にかかわりあいのある国内政策及び対外政策について,協議し,通報し,さらには調和を図るという一層大きな義務を受け入れるべきである。
われわれは,両国がこうしたアプローチについて意見を同じくするものであると信じる。かかるアプローチを実行すべく,われわれはこれまでより緊密な協議のための道をつくり,ますます頻繁,かつ,率直な協議を行つてきつつある。
米国は,半年毎にワシントンと東京で交互に日米両国外務大臣レベルの政策検討を行い,現状を評価するとともに将来の方向づけを行うことを提案する所存である。
経済協力の挑戦
日本と米国が過去30年間に達成した繁栄は戦後世界の偉大な成功の一つである。その結果両国が保有するに至つた経済力は,世界経済の健康ならびに世界経済が人類の願望を充足する能力について両国に特別の責任を課しているが,今日はかかる責任は厳しい挑戦に直面している。すなわち,大きな景気後退,エネルギー危機,全世界的な食糧不足,未曽有のインフレーション並びに経済問題を政治化する傾向等がそれであり,今や世界経済は重大な緊張下にある。
われわれは経済面で3つの主要な目標を持つている。それは自分達自身の経済の安定成長を促進すること,先進工業諸国間の協力を強化すること,及び発展途上国の願望に応えることである。われわれのめざすものはすべて―国内的安寧にしろ,安全保障にしろ,団結にしろ,共産主義世界及び発展途上国との関係にしろ―経済的力と成長を要求するものである。これらの目標のうち経済が停滞したままで実現されるものはほとんどない。われわれの諸制度の安定をはかり,われわれの社会につき自信を抱くためには持続的で,インフレを伴わない経済成長の可及的すみやかな回復の利益を得ることが必要なのである。
今日の世界経済においていかなる国も1国だけの努力で持続的成長を達成することはできない。相互依存の世界において過去30年の経験は,先進工業諸国はともに繁栄するか,あるいはともに苦しむものであることを示している。成長,エネルギー,食糧,原材料等如何なる分野における経済的目標を達成するにあたつても,また,われわれの政治的及び安全保障上の団結を支える安寧の条件を維持するにあたつても,相互の努力を調整していくことが緊要なのである。
昨年来米国とその主要なパートナーが,景気後退と戦い,景気拡大を促進するために,各々の国家政策の調和をはかりはじめたことはわれわれを勇気づけるものである。これは昨年11月東京でのフォード大統領と日本側の話合いの中心的議題でもあつた。これらの協議は系統立つたものとして継続されるべきであり,特に,世界的経済成長を達成するに必要な条件についての共通の分析を対象とすべきである。
われわれが戦後築き上げた経済秩序につき,言い訳がましい態度をとるべき理由はない。この秩序は,先進工業世界のみならず広く世界の他の地域に進歩をもたらした。実は,この秩序が政治的発展と経済力の分散に寄与した結果として,今や,この秩序自体に問題が投げかけられるに至つたといえるのである。しかしながら,いかなる経済関係であつても,その利益が広く享有され,公正なものとして認識されるのでなければ成果を上げることはできないということを認識することは重要である。
世界的な経済取り決めが人類の大多数の願望を包摂するものであることは先進工業諸国自体の利益となることである。現実は,われわれを世界に広がる単一社会の構成員としており,もし世界の秩序が経済対立で破壊されるようなことがあれば,われわれは,世界社会の内戦という恐ろしい可能性に直面することとなろう。
三木武夫総理とフォード大統領の共同新聞発表 日本語 英語 1975年8月6日
総理大臣と大統領は,日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約は,極東の平和と安全の維持に大きく寄与してきているとともに,アジアにおける国際政治の基本的構造の不可欠の要素であり,同条約を引続き維持することは,両国の長期的利益に資するものであるとの確信を表明した。両者は,さらに,米国の核抑止力は,日本の安全に対し重要な寄与を行うものであることを認識した。これに関連して,大統領は,総理大臣に対し,核兵力であれ通常兵力であれ,日本への武力攻撃があつた場合,米国は日本を防衛するという相互協力及び安全保障条約に基づく誓約を引続き守る旨確言した。総理大臣は,日本は同条約に基づく義務を引続き履行していく旨述べた。総理大臣と大統領は,同条約の円滑かつ効果的な運用のために一層密接な協議を行うことが望ましいことを認めた。両者は,両国が協力してとるべき措置につき,両国の関係当局者が安全保障協議委員会の枠内で協議を行うことに意見の一致をみた。
5.総理大臣と大統領は,共通の関心を有する種々の国際問題につき討議した。大統領は,米国が,戦略兵器制限に関する米国とソ連との間の第2次協定交渉の早期妥結をはかるべく引続き努力することに留意した。総理大臣と大統領は,現在行われている諸努力を通じて,中東における平和的解決に向かいすみやかな進展がみられるよう強い希望を表明した。
政策研究グループにおける大平総理大臣の発言 日本語 英語 1979年4月2日
(一) 今日,われわれの住む地球社会は,ひとつの共同体として,その相互依存の度を高め,ますます鋭敏に反応し合うようになってきた。このような「地球社会の時代」を迎え,地球上に生起するどのような問題も地球社会全体を前提に考えなければ有効な対応ができなくなってきている。特に資源と市場の多くを海外に求めなければならないわが国にとって,世界のいかなる地域のどのような紛争もその生存を脅かすことになりかねない。まさしく,世界の平和と安定なくしては,わが国の生存はあり得ない。
(二)ところが,国際政治は,いよいよ多元化の傾向を強めており,世界の経済秩序は,ますます不安定の度合いを高くし,局地的な武力紛争もかえって増加の傾向すらみられるのが世界の現実である。
このような状況の中で,わが国が名誉ある生存を確保するためには,わが国として,国際社会において期待されている役割責任をしっかりと果たしていくとともに,自らの安全保障のため周到かつ総合的な努力を払う必要がある。
すなわち,わが国は,平和戦略を基本とした総合安全保障体制を整備しなければならない。
(三) このような総合安全保障は,ひとつには,節度ある質の高い防衛力を整備するとともに,これを補完する日米安全保障条約の誠実かつ効果的な運用を図らなければならない。二つには,政治,経済,教育,文化等,内政全般の秩序正しい活力ある展開を図り,また,わが国にとって安定的な国際協力システムを作りあげるための外交努力を強化する等,わが国が保有するすべての力を総合的に結集してはじめて確保されるものと考えている。
(四) このような意味で,この研究グループの研究課題は,極めて幅広いものになると思われ,ここにお集まりいただいた先生方も広く各方面にわたっている。先生方には総合安全保障のもつ意味,その目的と手段等について自由かつ自主的な立場からご研究いただき,忌憚のないご提言をいただければ幸いである。
大平正芳総理とカーター大統領の共同声明 日本語 英語 1979年5月2日 総合安全保障研究グループ報告書
(安全保障関係)
2.総理大臣と大統領は,日本国とアメリカ合衆国の相互協力及び安全保障条約を含む日米間の友好協力関係が従来と同様今後ともアジアにおける平和と安定の礎であることを再確認した。両国間の安全保障関係が現在ほど強くかつ双方にとり有益であつたことはない。このことは,同条約に基づく日米防衛協力のための指針が昨年採択されたこと,日本の自衛力の向上に資する日本による防衛装備の米国から調達が増大したこと,米軍の日本駐留について財政的支持を増加するために日本側のとつた措置等最近の重要な進展に示されるところである。大統領は,今後,米国は,東アジアにおける現在の米国の軍事力の質を維持しかつ改善してゆく旨述べた。総理大臣は,日本は,効果的に運用される米国との安全保障体制を防衛政策の基調として維持しつつ,日本の自衛力の質的改善のため今後とも努力するものである旨述べた。
(国際関係)
3.総理大臣と大統領は,日本と米国が,アジア及び世界の他の地域において多くの政治的,経済的その他の関係を分かち合つていることにつき意見の一致をみた。これらの地域における諸問題についての両国間の協力及び協議は,年をおつて発展を遂げ,最近数箇月の間にかつてないほど緊密になつた。また,この協力及び協議は,1980年代において,一層深まつてゆくであろう。
4.総理大臣と大統領は,日本と中華人民共和国との間の関係の最近における発展及び米中外交関係の樹立がアジアにおける長期的な安定に重要な貢献をなすものであることにつき意見の一致をみた。日本と米国の双方は,中国との間に建設的な関係を求めており,協調してこのような方針をとつてゆく。中国との間にそのような関係を進展させることは,日本と米国がそれぞれ他の諸国と良好な関係を発展させることを妨げるものではない。
5.総理大臣と大統領は,ソ連との間の均衡のとれた協力的な関係の維持が日米両国にとり引き続き重要であることに留意した。大統領は,米国が,戦略的な安定及び安全を増進させるため第2次戦略兵器制限協定についての合意を得るための努力を行つている旨述べ,総理大臣は,日本は,このような米国の努力を支持する旨述べた。両者は,それぞれ,自国がソ連との友好かつ互恵的関係の発展を引き続き求めてゆく旨述べた。
6.総理大臣と大統領は,朝鮮半島における平和と安定の維持が日本を含む東アジアの平和と安全にとつて重要であることを再確認した。米国は,韓国の安全につき堅く誓約している。地上軍の韓国からの今後の撤退についての米国の政策は,朝鮮半島における平和と安定の維持に合致した方法でたてられてゆく。日本と米国は,朝鮮半島における緊張を緩和するために協力しこの目的に資する国際的環境を醸成するため努力を続ける。南北間の対話の進展は,このような過程にとつて不可欠である。日本と米国は,対話を再開するための最近の努力を歓迎し,この努力が実を結ぶことを希望する。総理大臣と大統領は,文化及び教育の分野における協力及び交流が盛んに行われており,日米両国民間の相互理解及び友情を深めるに当たり大きな重要性を有していることに満足の意をもつて留意した。両国政府は,これらの活動を強化するとともに,拡大されたフルブライト教育交流計画の資金を共同して拠出する。総理大臣は,日本政府がニューヨークのアジア協会の新本部建設に資するため寄付を行う旨述べた。総理大臣は,また,スミソニアン研究所の新東洋美術館及びニューヨーク・メトロポリタン博物館の日本展示場の建設のため並びにマサチューセッツ工科大学の国際エネルギー政策研究のための基金の設立のために資金的援助を行う意向である旨述べた。大統領は,これに謝意を表明した。
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