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「好き」だから二次創作をするのか?

凝りもせずずっと同じジャンルで同人活動を続けている。

当初は原作のことを「好き」だから二次創作を始めたのだと思う。
それに二次創作とはそういうものだと思っていた。
でも、そうではない側面もあるのかもしれないと最近気づくことができた。

二次創作には「好き」「楽しい」が溢れていた。
原作のストーリー、キャラクター、設定、カップリングが好き。考察すること、絵を描くこと、小説を書くこと、ネタツイをすること、人の作った二次創作を見ること、同人誌を作ること。ファン同士で交流すること、感想を伝えあうこと。

自分も二次創作をすることで、ファンの輪の中に入っているような感じだったし、毎日がお祭りのようだった。

けれどシリーズ物である原作を追っているうちに、原作のストーリーにどうしても受け入れられないと思う要素や展開が増えた。
物語の過程と結末にも未だに納得いっていない。なぜこんな話にしたのかと、作り手の倫理観すら疑った。

「好き」はもはや「嫌い」に片足を突っ込んでいた。

それからは公式の商業展開が鼻につくようになった。
純粋に好きだと思っていた時はグッズをたくさん買っていたけど、
この公式に金を落としたくないと思った。グッズを手放し、極力不買を貫くことにした。

その次にその作品を推している、界隈、が苦手になった。
原作が終わっても二次創作を続けている人は、原作や公式を称賛している人が多い界隈だった。
考えが合わないし息苦しいな、と思った。キャラ解釈も他の人と合わないと思うことがどんどん増えた。
対抗カプ同士で煽りあいを続けたり、差別的な発言をする人もたくさんいた。


私はこの輪の中の人間ではないと思いたかったし、周りからもそう思われたくなくなった。

だから、交流ツールのTwitterを消して、細々と活動をすることにした。
結果的にはそれで良かったと思う。
何かを発表する場は、1ジャンルにつき一つでちょうどいいな、と思った。
それに、人の心の内があまり流れてこないプラットフォームの方が穏やかでいられる。

でも、時々様子が気になって、たまに別アカウントから界隈のツイートを見に行ってしまう。ミュートやブロックを表示にしてまで見てしまう。そのたびに無意味にムカついたりしている。意志が弱いなと思う。

やっぱり、自分の中でここまで「嫌い」が増えても凝りもせず同じジャンルで同人活動をしている矛盾には苦しんでいた。

公式の展開に批判的な作品を作るようになったし、周囲の原作愛にあふれた二次創作をみるのもつらい。なんだか妙に申し訳ない気持ちになる。

嫌ならジャンル撤退しろ、公式が絶対に正しい。こういう風に読み取れないやつは読解力が無い。直接言われたわけではないがそんな声も大きかった。

モヤついた気持ちを少し楽にしてくれたのはお勧めに流れてきた他カプの人のツイートだった。

よくよく見て見ると、他カプ界隈には自分と似たようなモチベで二次創作をしているひとが何人もいたのだ。
本編に納得していないからこそ、自分の見たかったIFのストーリーをつくってやる。そんな熱意で活気づいているように見えた。

推しているCPは違えど、その人たちを眩しいと思った。
今は「好き」よりも「嫌い」「無理」「受け入れられない」の感情を共有してみたい。それを作品として昇華させてみたい。
あちらの輪の方に入りたいとさえ思った。推しているカプさえ違えば…。

同カプ者と馴染めず、他カプ者の精神にはいたく共感する。
そんな訳の分からないコウモリ同人女が誕生した瞬間だった。

キャラがまだ「好き」原作が、界隈が「嫌い」それでも二次創作を「続けている」人のぼやき。


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