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つまるところ、愛なのだ
青天の霹靂、という言葉がある。晴れ渡った空、突然起こる雷。突然起こる衝撃。
ここ数年、私は曇天の霹靂だ。
病気の多い人生だ。どんより雲が広がって光が差し込む隙間がない。
鈍色の雲が重なる奥でゴロゴロ、ゴロゴロと雷が鳴っている。病気は厄介。
憎たらしい。
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肺の手術予定が組まれていた。予定通り行けば、今日は手術日だった。手術後の週末は、痛みを噛み締めながらベッドの上、痛みが和らぐであろう週明けを心まちにしていたはずだ。
今週頭のこと。日曜から1泊で松本へ弾丸旅行に行ってきた。前日病院から電話があり、ちょっと嫌な予感はしていた。MRIの検査結果を伝えたいという。月曜日、松本からそのまま病院へ直行した。
この時私は完全に油断していた。実は松本の夜、またもや一気に食べすぎたか、嘔吐を繰り返しぐったりしていた。そのままヘロヘロで病院へ。嫌な予感は吹き飛んでいて、とにかく検査結果を聞いて早く帰りたい一心だった。
先生の話で頭が真っ白になる。
曇天の霹靂。最大級の霹靂。
「骨盤内の局所再発しています」
骨盤内局所再発と肺転移。私の体の中には悪いものが二つある。
治療方針について現時点での主治医の見解を告げられる。
抗がん剤治療、放射線治療、重粒子線治療、オペなど。
しかもどれか一つをするわけではなく、どうやらミックスのよう。
「4月から仕事が決まっていたんだね。残念だけど諦めましょう」
血の気が引いたのか、座っていられなくなり、診察室で点滴を受けながらそのまま先生の話を聞くことになった。局所再発の場所がよくないこと、粘液性であるためこれまで見つかりにくかったこと、放射線治療で閉経、ホルモンのバランスが崩れること、膀胱は残せると考えること、抗がん剤治療も含め他の診療科の先生とさらに話し合い、治療方法を検討すること。
重粒子線治療は条件が非常に細かく決められ、今回のケースでは該当が難しいかもしれないが、先生に聞いてみるということ。
そんな話をされた。
低血圧で、胃が痛く、グロッキーだった。つまりとてつもなく弱っていた。
「もう疲れた」と思った。
治療方針については少し時間をください、連絡します、と言われた。
現状に気持ちがついていかないのに、こんな時なのに、松本のお土産渡さなくちゃと思い出して、先生に開運堂の「これはうまい」というお菓子を渡す。
先生は笑って、こんな時に?と言いながら受け取ってくれた。
「今日は忙しくて昼を食べられなかったから、後でこれ食べるね」
ああ。先生は本当にいつもいつも忙しい。
先生の日常を感じたら、急に心細くなった。
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人はいつか死ぬ。それがいつか、わからない。
でも。私はこの時点で未来が想像できなくなった。
曇天は更に黒く、暗く、分厚い雲に覆われて、光が差し込む隙間がない。
仕事は諦めましょう。
先生の言葉が鉛のように心を打ちのめした。
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友人たちの約束がいくつか入っていたこともあり、肺のオペの話を何人かにしていた。診察の翌日は誕生日だった。そのため、友人たちから、手術が無事にうまくいきますように、誕生日おめでとう、などのメッセージが入る。
心が静かにくしゃくしゃに崩れていく。
友人たちの心配りは、私の心で捻じ曲がり、全く違う種類のものに変貌して心にどろどろ流れ入る。インスタにメッセが届くと、タイムラインが目に入る。これまで楽しく見ていたものが、輝きを増して、眩しく、妬ましく、映る。健康的な笑顔、傷のない体、仕事の愚痴、美味しそうな食事風景、全てが私には手が届かないように感じる。全てのものが、気持ちを逆撫でするようだった。
心は真っ黒になった。
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義妹ちゃんから誕生日おめでとうのLINEと絵文字のプレゼントが届いた。たべっこどうぶつの絵文字。
夫の家族は非常に仲良し。恐らく義妹ちゃんは、夫→義母→義妹と転移のことは聞いているはず。でも、私の性格を考慮してそれには触れずお祝いのメッセをくれたのだろう。抗がん剤治療中、義妹ちゃんが毎日毎日家に来てあれこれと動いてくれたことを思い出した。吐き気の中、抗がん剤を飲むために何か食べないとならなくて、義妹ちゃんは食べやすそうなものを持ってきてくれた。二人でハマったCoCo壱のカレー、いちごポッキー、豚しゃぶ、にゅうめん。二人で見たNetflixの「ブリティッシュベイクオフ」。お菓子を焼いてくれたこともあった。
優しい気持ちが雪崩のように流れ入る。
ドバドバ、どんどん、雪崩れ込む。
心がすこーし、軽くなっていった。
私は、愛されていた。家族に、友人に。
今も完璧ではないから、健康を羨ましい気持ちはあるし、それが曇天にすることもある。でも、私は愛されている。そして、ここまで何度も何度も病気を乗り越えて、共存して、なんとかやってきたのだ。今回もなんとか前に歩いていく。やってやる。
YUKI ちゃんのアルバムを聴いて歩く。
オペは怖い。痛いのは嫌だ。術後のあれ(マジで憂鬱の極み)を思い出すと逃げ出したくなるし、またせん妄になって主治医に喚くかもしれない。抗がん剤も放射線も嫌に決まってるし、苦痛の中で前向きでいることなんて私にはできる気がしない。
それでも。
つまるところは愛なのだ。
私には愛がある。愛されて、愛を持っていて、自分を愛している。
それがあれば、立ち上がれる。
私は自分の人生をもう少し諦めずに進む所存です。
だから。
思い切って、甘えようと思う。SOSを出したい時は出そう。
応援大歓迎です。私はやるよ。
冒頭の写真は、松本私立美術館の「草間彌生 魂のおきどころ」の展示作品。
草間彌生の作品は「生きるエネルギー」と「いつか訪れる死」を同時に感じる。
心がワクワクするのと同時に、穏やかに安らぐのを感じる。
これもやはり愛なのだ。
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