アンサー
なんとなくですが、自分のスタイルについて。
引用させていただきます。
先に引用していただきましたので、特に失礼でもないかと。
文体の変化とか、
或いは読者に対する内容が途中で「特定個人」にベクトル変化するとか、
そういうのが気になるであろう方もおられるだろうと。
個人的には杓子定規に決まってる書き方を追求したいと思ってないので、
あまり気にしないでいただければいいかな、と思っております。
自分がリスペクトする「さくらみこ」ちゃんなんかも、
真面目で思慮深いトークから徐々にそれをネタに切り替えたり、
あの超天才シンガーADOさんも声の切り替えを四六時中やってる。
またそういうのを自然体で自分もできるようにチャレンジしようかと。
そういう試行錯誤の最中ですね。
自分の内なる声に逆らわないでいい文章を書けるようになりたい。
自然に出てくる言葉が最も真実に近いだろうと。
小説も日記も考察記事もごっちゃになってるかもしれないし、
だからと言って金取ってるわけでもなく。
音楽で言う「変調」みたいな文体で一見ブレてるようでいたとしても、
自分発信のフィーリングと言う形で既に一貫性が存在するので、
これを無理して文章自体を追ってどうこうというより、
感覚的ニュアンスを追っていただければ分かるかなぁと思ったりしますし、
伝わらないなら結局は「伝わらない」という事にしかならないので、
それはそれで仕方ないと。
取り繕って意味のない事を意味ありげに書くよりマシかと。
情報は一度カオスに落とし込んでそれをオリジナルに再構成すれば、
真実により近づいてゆくものだと思っているので、
境界も無く全てそういうモノだと思っていただければなぁと。
蒼天航路の荀彧という軍師が「全部覚えて全部忘れた」というセリフ、
あれに共感してしまう。
既存のフォーマットを一回崩すことでより新しいものが発生する。
そうして別のスタンダードが産まれる、
現在進行形で若い人たちがそういう事をやっているので、
このnoteという枠の中では自分がどういう事ができるんだろうと。
知っての通り、縦書きと横書きでは微妙に書き方を変える必要があるし、
メロディと絵画も表現という括りでは同じものなのに、
定義としてはまるで別ジャンルな訳です。
なのに音楽を色彩で観たり、文章で匂いを感じたりもできる人はできる。
つまり本来感覚というのはグラデーションで地続きな訳ですね。
それを線引きなんてのはしようとすればいくらでもできるし、
逆に枠なんてのは存在しないとも言えてしまうので、
本人発信で伝えるべきニュアンスさえ整合性があれば、
どんな形であっても伝わるときは伝わるし、逆もしかりと。
クライヴ・バーカーという小説家は絵も描くし映画も撮りますし、
本来はそういうモノが人には備わってる。
境界自体が敢えて意識する事で作られてしまうだけ。
自分は暗記学習というモノをほとんどしてこなかったので、
単にそういうスタイルと思っていただければ。
ちなみにちゃんと意味のある事を書き込んだつもりですが、
何を書き込んだか忘れました。
ゴムの事ですか?
心当たりが複数ありますが、伝わらなかったならそこまでと。
説明を求められたらできるだけ理解できるように説明しますが、
初手で拒絶されるなら何を言っても意味をなさないし、
マウント合戦になればそれこそ逃げるしかないと思ってます。
そういう話。
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