「儲からなきゃ意味がない」について


カッコよさげなセリフだが、なんとなく言いワケに聞こえてしまう。
ハッキリ言ってそこら中、これまで誰でも同じ事を言っている。
要は夢の無い、「あくまでビジネス」だと。
過去にどこぞのベンチャーでも似た様なセリフを聞いたが、影も形も無い。

これ飽食の発想であり誠実には思えないし、重視するのはそこじゃない。
人材育成もチャレンジ精神も、リスペクトも未来も無い。
まるで空虚に、何も見えていないかの様に聞こえてしまう。

或いは、少なくとも先のヴィジョンが明確な人間が言える言葉だろう。
もしそれがないのであれば、多分他人をアテにしている。
他人が成功するのを待ち受けているなら、無意味な言葉だろう。
濡れ手に粟の発想だ。

もし任天堂の宮本氏の様に自分の哲学が確信として周知されるなら別だ。
実際、任天堂・宮本氏の唱えたゲーム論は今でも踏襲されている。

宮本氏のレスポンス、アイディアの複数の紐づけといった信念はリアルだ。
間違っていないし、そこを外せば現在ですらほぼ上手く行かない。
様々な技術、クオリティが上がった今ですら定石となっている。
つまり「本質」部分だろう。

そんな偉人が同じ事を言うならまた別の意味になるだろう。

が、こういう事を言い出す人は何のヴィジョンも無い事が多く、
ポーズだけ。
誰かが開拓した需要を荒らし、食いつぶした後はまた待つ。
誰かが散々リスクを負って、ようやく見つけたものを掠めとると。
それは成功哲学というより犯罪哲学の様に聞こえる。
そう、まるで

ガン待ちの「待ちガイル」の様だ。

全員待ったらどうするのかと。
全員待ちガイルだったら、ジャンルごとすぐにすたれるだけだろう。
母体が消えたらどうするのか、信用を失ったらどうする?
きっと別の事をするのだろう。
リスクを負った誰かの築きあげた需要にまた乗るのだろう。
やがて最後はシイタケ栽培に向かうのだ。

任天堂はチャレンジしてなお信用を育て、需要を拡大した。
それが今のブランドになっている。
アタリショックを反面教師に、未だにジャンル自体を維持している。
いまもなお、ジャンル全体の保証人になっているのだ。

カプコンはメインのベルスクをベースに、格ゲーを生み出した。
ベルスクは安定路線だったが、ストⅡは少なからず冒険だった筈だ。
それが今のスト6に繋がっている。

文化の創造。
価値の創造。

そう、まるで逆。
金自体には価値が無く、真剣に夢を追う事がリアルなのだ。
それが金に価値を与える筈である。
かつて見下されたジャンルでも人材が生まれ、
需要を生む、意味が生まれる。

野球だってサッカーだって元はそんなモノだろう。
スポーツとビデオゲームの根本は変わらない、
ただ誰かが育て上げ、ブランドを確立したのだ。。
最初からあった物じゃないのだ。

一方でビジネスをやりつつも、開拓しないと飽和する。
同じ事だけ続ければ、ゲーセン文化の様に消えてしまうのだ。

つぎはぎのミニゲーム集なんかはバカゲー同様の言いワケに見える。
みてくれ技術だけをアテにした、アイディアもヴィジョンも無い、
つまり何も思いつかないんじゃないんだろうか?

ならもう、売れる「映画」を作ればいい。


そんな気がする。


おしまい。

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