ゲーム産業を取り戻せんのか・・
任天堂からなんから外資ってねぇ・・
この過程で脅迫や揺さぶりが大量にあっただろう。
こういうのは既にもう手遅れだろうし、どうにもならんと。
本来であれば、まずこれ公正な批評言論人を養うべきで、
「儲かる為に何でもやる」だと、結局罠にはまる、誘導される。
昔「ゲーム批評」という雑誌があったが、アレは良心だった。
納得のいく記事が多かった気がする。
結局は印象操作で消費者をコントロールしようとすると、
企業風土全体もそういった方向に変化してしまい、墓穴を掘ると。
しばらく上手くいった場合でも、徐々に歯車は狂って行く。
結局はブランドのニュアンスが変わってしまい、信用を失う。
こういうのも含めた現象こそが、
「アタリショック」と言える気がする。
正論という「警鐘」ってのは10年後に向けての予言だから、
露呈した内部腐敗の責任者はとっくにいなくなってたりする訳で、
その後はもう既に誰も立て直せなくなっている。
かつて今は無き「データイースト」の開発スタッフが、
バカゲームーブの時「ゲーム游Ⅱ(うろ覚え)」っていう雑誌の中で、
「ちゃんとした作品を評価してください」と。
これ遠回しな苦言だろうし、言葉を濁さないと人間関係に響くのだろう。
当時、おそらく内部力学が怪しくなって、悪い方に傾いたのかなぁと。
心あるスタッフが居ても、結局彼らの声はむなしく響いた結果になった。
「チェルノブ」のコンシューマー版も、グラフィックを一新していたが、
一部で非難されたあれもユーザーに向けたSOSサインだった気がする。
シイタケ栽培がその結果だろう。
当然だが、バカゲーなんてのはマーケティングでやる事じゃなく、
無理に尖らせようとするなら、それが伝わってしまう。
ちゃんと真剣に変な世界観を作った「パロディウス」は受け入れられたし、
一方の手抜きの言いわけの様なデタラメ「トリオ・ザ・パンチ」は、
一瞬の話題性で声の大きな中二病の尖った承認欲を満たすに終わった。
また「プリルラ」もおそらく狙ったバカゲーなんだろうが、
ちゃんと作れたのをワザと崩した様な不自然な違和感があったし、
「ピストル大名」は誰も興味を持たず、作り手のオナニーを見せつけた。
ああいうのはまるでゲームファンをバカにしているだけであり、
ミーハー中二病の偶像として重宝されても、本当のファンは離れていく。
同様に女キャラの肌色を人気の為に意図的に増やしたとして、
そういう作為もあざとくなった瞬間、ソムリエからはそっぽを向かれる。
・・と、個人的な過去回想。
自分は当時からこういった価値観で考えてはいたが、
あまり浸透せず、誰かに理解されることは無かった。
企業側の裸の王様を指摘するのが本来のプレイヤーの役目だろうし、
それをけん引する雑誌もあってしかるべきだろう。
今も「ゲーム批評」みたいな反商業主義の雑誌が権威になる世界線なら、
ゲーム産業はまだ日本の分野だったように思ってる。
クリエイター目線でなければ、当然ユーザー側も劣化するのだ。
扇動されない価値観を各個人が培っていけば、
その内悪人にコントロールされない何かが産まれるかもしれない。
夕闇通り探検隊のスタッフなら、エヴァンゲリオンの様なムーヴメントを
ゲームジャンルから生み出せた可能性があったと思ってる。
まぁ、漫画もアニメもほとんど悪人が牛耳ってる以上、
アンダーグランドから這い上がった様なジャンルに望むべきじゃないか?
全てはいずれ頭打ちになり下降曲線を描くのだから、
ゲームから派生する文化の健全化に努めるのが有識者の役目だろうし、
その為にはクリエイター側の権威が発信者になるべきだろう。
岡田斗司夫の様な現場を知る人じゃないとどうやっても悪い方に流れる。
また、ゲーム分野は様々な総合分野になっている為、
個人よりいろいろ集まった雑誌形態が望ましいんだろうなぁと。
プロゲーマー以外に何か新しい派生の可能性はあるだろうか?
もうそんな時間は無いか。
おしまい。