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歴史小説『はみだし小刀術 一振』第9話 治水と祖父

宇喜多直家は10年の歳月をかけ、岡山市東域邑久郡を含む地域を得た。西大寺、備前福岡という独自自治の街を含め商業の中心地も協力し治めた形だった。一方主家浦上氏は遠く吉井川を上った難攻不落の要害天神山城にあった。直家はこの頃、砥石山城から沼亀山城に本拠を移した。沼亀山という小さな山を丸ごと城とした平城だったといわれている。時代は難攻不落の山城から起動性の高い平城へ移り変わろうとしていた。備前の平定を目指すように西を意識していた。翌1560年6月、遠く東の尾張において桶狭間の奇襲にて織田信長が今川義元を討ち、戦国時代は終焉に向け次なるステージに移行しつつあった。

昔、吉井川は大雨の度氾濫をおこした。浮田大権現の時代、沼と呼ばれる地域一帯は湿地が多かったという。小文太は今日は三男の兄の手伝いに吉井川堤防の補習に来ていた。兄達は弟が揉め事に巻き込まれていると知っており、話を聞きたがっていた。
江戸期に入り大きく発展したのが治水である。宇喜多直家・秀家から始まり小早川・池田家と岡山県を3本縦に入る河川である吉井川・旭川・高梁川は晴れが多いといわれるこの地域において中国山地から豊富な水量を海に運んでいる。
これらを支流からも引き回す形で田に豊富な水を供給している。灌漑水路が多くこの地域には引かれており、現在でもその総延長は東京からベトナムに至るほどだとされる。現代ではこの水路の危険性が問題となっているがあまりにも長い為、対策はできかねている。どこにでもあるからであった。

ひょいっと小文太は小さな水路を飛び越えた。田んぼのあぜから一直線に近道してお駒の店に向かう。
元々大工家系の小文太は幼少から身が軽かったが、これに拍車をかけたのが祖父である。祖父の吉治は幼少の小文太に自分の技術を教える事を願っていた。一男、二男(幼少時亡くなった)三男、四男まで我慢を重ねたが五男の小文太が生まれた時我慢しきれなくなった。吉治には男の子がいなかった。娘が4人である。小文太の母が長女で婿が父である。
『もう五人も男の子が生まれたのだから1人ぐらい貰ってもいいだろう。』と婿に迫ったと小文太は書いている。
強奪するように祖父とまだ健在だった祖母は自分で建てた隠居離れへ小文太を連れ去った。
『まるで犬猫の子のような者なのさ、ワシは。』
と小文太は拗ねて書いている。だが愛情に溢れ、まるで跡取りのような待遇で五男の小文太は育てられた。我儘いっぱいに…。
ちなみに文太は祖父の弟の名であり、若くして亡くなったという。祖父は共に育った弟文太を懐かしみ小文太と名付けた。
『縁起でもない。』
小文太は吐き捨てるように雑記に書いている。しかし、何処か私には祖父への甘えた愛情を感じる書き方だった。


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