見出し画像

第5回:日本人学校決定までの過程「夢が現実になる瞬間:日本人学校派遣決定の裏側」

文科省面談を終え、1カ月ほど経過したころに、受験者の派遣年度についての意思確認書類が届きました。派遣には、すぐに派遣される「即派遣」と、2年後の次年度に派遣される「次年度派遣」があります。文科省は、帰国する教員の人数や次年度の派遣予定者数を考慮して、即派遣か次年度派遣を決定するようです。私は「どちらでもよい」という確認票を提出しました。

その後、何週間も待ち続けましたが、合格の通知は来ませんでした。例年では、派遣が決まる方は12月中旬ごろに文科省からの通知を受けるとの情報をネットで目にし、少し焦りを感じ始めました。「通知が来た!」という喜びの声もネット上で散見され、心中穏やかではいられませんでしたが、私にはそのころに通知が届かず、即派遣ではないことを悟りました。不合格かもしれないという不安も抱きつつ、年が明け、2月を迎えました。

◇🔶◇🔶この記事を書いた人◇🔶◇🔶

◇🔶◇🔶◇🔶◇🔶◇🔶◇🔶◇🔶◇🔶◇

そして、忘れもしない2月28日。首を長くして待っていた結果がついに学校に届きました。校長先生から手渡された封筒を開け、「合格」の文字を見た瞬間、心の中でガッツポーズをしました。お世話になった校長や教頭から祝福の言葉をいただき、これまでの努力がようやく報われた瞬間でした。私は次年度派遣教師として正式に登録され、派遣先が決まるまでの1年が始まりました。

派遣までの1年間:人生の一区切り

この1年は、これまでのどの年よりも一日一日を大切に過ごしました。日本人学校への派遣は、教師としてだけでなく、私の人生における一つの大きな転換点となるものでした。どこに派遣されるのか、不安と期待が入り混じる中、ネットで情報を集めたり、派遣経験のある先生方に話を聞いたりしながら、準備を進めました。

そして、迎えた12月21日夕方。ついに派遣先が決定しました。学校長に呼ばれた瞬間、緊張が走りましたが、正式な派遣先の名前を聞いたときには、今まで以上の高揚感に包まれました。感謝の気持ちを校長先生に伝えると、すぐに妻に報告しました。

新たな生活の始まりと家族の支え

派遣先が決まった際、妻は不安な様子を見せました。これまで経験したことのない海外生活、特に家族を伴っての新生活には不安がつきものです。しかし、私は少しでもその不安を和らげられるよう、できる限りの準備とサポートを心がけました。翌日からは文科省への書類提出や手続きなどが一気に始まり、忙しい日々が幕を開けました。それでも心は高揚し、エネルギーがみなぎるような感覚を抱きながら、新たな冒険に向かう日々が始まったのです。

☆★☆★あわせて読んでいただきたい記事☆★☆★

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?