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引きこもり哲学 走り書き

引きこもりにも哲学はある、と
信じています。

『行動すれば成功者になれる
行動しなければ哲学者になれる』
と思っていて、哲学者、それも
在野に埋もれ、雌伏する哲学者こそ
引きこもっている人々だと思います。

これってすごいことだと思うんです。だから
行動なんてしなくていい、と本当は声高に叫びたい(笑)。

引きこもりの哲学は、他の人にはなかなか分かってもらえないのでは
ないでしょうか?

私を例に挙げると、私がずっと抱えている『悩み』というのは、
そうですね、例えば・・・
私の財布には今1万円札が100枚入っていて
(まあ、結構でかい財布ですね笑)、
腹を空かしてコンビニの前に突っ立っている。
そうして、「誰か、食べ物をくれ!俺は空腹なんだ!」
と叫んでいる状況、みたいな『悩み』。

「いや、100万円あるならなんでも買えるじゃん」
「突っ立ってないで、さっさとコンビニに入っておにぎりでも買えば?」
おっしゃる通り、私だってそう思います。
でも、それができないから悩んでいるんです。
不思議でしょう?

勿論、ネット検索したって答えは出てこない。
人に相談してもね・・・むしろこちらがお金を払って相談したいぐらい。
勇気を出して話しても、「?」という顔をされるのが嫌だから。

苦しい、苦しい、孤独で苦しい、、、
しかし、私は、これでいいと今では思っています。
苦しいままで、良い。

社会の役にも立たず、お金にもなりません。
しかし、そういう苦しい状況でも
出会える人がいるし、育まれる言葉があるし、
見える景色があるんです。

引きこもらなければ気づけない『価値』があるんです。
それに気づくことがどれだけすごいことか。

他人には分からない悩みを持つ人=その悩みの先駆者
先駆者の哲学は、唯一無二でかっこいい。

引きこもれば、他の人を見る目が養われます。
名伯楽になった気分、いや、名伯楽並みの『眼』を持てます。
その眼は、恐らく『下から目線』でしょう。
しかし、物事の本質、みぞおちを突き上げるような
鋭さ、洞察力を伴った『眼』です。

だから、悲観しないでください。
私も毎日精一杯です。
色々書いてきましたが、私は他人を羨むこと、しょっちゅうですし、
ここ数年間は何もできず、棒に振り、無為に過ごしました。

しかし今、見えている『景色』を大事にしたいですね。
そして将来見るであろう『景色』を面白がりたい。
どんな状況でも、面白がることはできると思うんですね。

こういう生活でなければ、出会えなかった人、言葉がある。
その価値に気づき、大事にしたい。

引きこもりにも哲学はある、と
信じています。




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