人を大切にして来なかった中高年は当然の報いを受けるから覚悟した方がいい👿
人間社会は人同士の協力で成り立っています。そして、多くの人たちが自分のためだけでなく世のため人のために生きてこそ、世の中が成長・発展して行きます。その成長・発展が私たちの生活を豊かにして行くことは間違いありません。
しかし、令和の時代になっても、いまだに自己中心的で周りに迷惑をかけながら生きている人たちが後を絶ちません。最近の不景気に伴い、減少するどころかますますそのような人たちが増加している印象を受けます。
今回は、人を大切にするとはどういうことかについて少しだけ考えてみました。
昨日の記事はこちらです。
住宅街で大声を出す人が増えて来た昨今
私が住む地域は元々閑静な住宅街でした。お祭りや学園祭、選挙などがなければいつも静かな地域です。
ところが、最近半年ぐらいは、その静けさが消えつつあります。
例えば、大声を出しながら道路を歩く人たちの存在がそれに当たります。真夜中に住宅街の主要道路を静かに歩くことは常識中の常識です。
また、近所の住宅で大声で歌を歌う人たちや宴会をする輩も言語道断です。数日前にその内の一人に大声で怒鳴ってやりました(笑)。真夜中の午前2時ごろの話です。
余談ですが、私は普段かなりかなりかなり大人しいです。そして、とても静かです。しかし、人に迷惑をかける人たちにはそれなりに報復をします。過去記事でも書きましたが、近所の迷惑💩じじいは警察に通報して問題を解決してもらいました。今のところそれで問題はございません。
人を大切にするとはどういうことなのか?
以下、人を大切にすることについて思い付くがままに書いて行きます。いつも通り計画性のない箇条書きです。
①人を尊重する
自己中心的に生きている人たちは、人を尊重するという考えが全くありません。上の大見出しで取り上げた迷惑な人たちも、他人のことなどどうでも良いという考えが根底にあります。
そんな考えで生きているので、どこに行っても何かしらの問題やトラブルを起こします。そして、不思議なのですが、そのような連中に限って制裁を受けると必ずこう言います。「なぜ自分だけ」と。
要するに、自分の身の周りで起きる物事の原因が自分にあることがわからないのです。自分を変えれば良いのですが、その自分を変えるということができないわけです。
②人を干渉しない
noteの世界にもたまにいるのですが、余計なアドバイスをして来る人たちがいます。
折角ですから、過去にnoteで経験した一例を書いておきます。
2年ぐらい前の出来事です。比較的仲の良かったある高齢の男性クリエイターが私のnoteのコメント欄に余計なことを書いて来たのです。
しかし、その内容はあまりにも稚拙でした。青少年、特に思春期の中学生や高校生がその時期にぶつかり悩むような問題に対して、50代の私に一丁前に説教染みたことを書いて来たのです。
だから、コメントで次のように書いたのです。
「そのような問題は中学生の頃に自助努力で乗り越えました。ですから、あなた様のアドバイスは余計なお世話です」と(笑笑笑)。
その人は、多分60代だったのですが、年齢の割には精神年齢が低かったと思います。余計なお世話をするぐらいならば、そして、他人を干渉するぐらいならば、「自分を磨け!」と私は言いたいです。
③関わる人全員に対する礼儀を忘れない
現実社会だけでなくnoteの世界でもそうなのですが、初対面から妙に馴れ馴れしい人がいます。これはnoteのコメント欄でも多く受ける印象です。
このような人たちは、私のnoteの愛読者なのかもしれません。過去に私の記事を数十回、数百回読んでいて、私をまるで友人のように思っていたのかもしれません。
しかしそれでも、初めてコメントを書く時には、初対面と一緒です。そのような際に、馴れ馴れしいコメントには悪印象しか持ちません。
なお、そのようなコメントに対して私が丁寧に返すと、次からは急に丁寧になる人がいます。おそらく自分で自分の慇懃無礼な態度に気が付いたのかもしれません。
余談ですが、私は、小学生や中学生のnoteクリエイターに対しても、丁寧語を使用しています。このことを他の方には強制はしませんが、性別や年齢を問わず礼儀を持って接するとはこういうことであると考えています。
④人には優しさと思いやりを持って接する
「優しさ」や「思いやり」に関しては、幼稚園や小学生低学年から学ぶことです。そして、これは意外と難しいテーマで、大人になってからも考えさせられることです。
優しさや思いやりは、その人の言動に籠っていることが多く、それらを察する力も大人には必要です。頭が悪い人ほど、それらを感じる力が弱いかもしれません。
優しさと思いやりを持って接することは、現実社会でもネット社会でも大切なことです。時にはそれらが伝わらなくて残念な思いをすることもありますが、鈍感な人は一生直りませんので、その人はそういう人だと思って接するしかないです。
⑤主観的な思い込みで人を判断しない
頭が悪い人の共通点の一つに、客観的思考に欠けているというものがあります。物事をあまりにも主観的に捉えすぎるので、結局のところすべてにおいて自己中心的な言動しかできなくなるのです。
果たして自己中心的に生きて他人を大切にできるでしょうか???絶対にできません。
だから、人が離れて行くのです。
物事を判断する際には、論理的思考を積み重ねる必要があります。頭が悪い人はそのことを時間をかけて行うべきなのです。
なお、頭が良くなってくると、そのような論理的思考の積み重ねと物事の適切な判断を瞬時にできるようになります。
⓺思っていることをすべて口にしない
私のnoteでは、思っていることの9割以上を表現しています。しかし、これはここだけの行為です。現実社会では、頭に浮かんでいることの1割も口にすることがないです。
ところが、一部の頭のおかしい大人たちの中には、思っていることや頭にパッと浮かんだことをすべて口にする人たちがいます。
そして、深い思慮もなく発言したことが、多くのトラブルの原因になっています。また、それらが積み重なって彼ら彼女たちから人々が離れて行くことも多いです。
⑦感謝の気持ちを伝える
大人になってから、「ありがとう」や「ありがとうございます」、あるいは、その類似表現を口に出せない人は、人生が詰んでいます。
感謝の気持ちを伝えることは、人間社会の基本です。これができない人が社会で成功したり幸福になったりする例は少ないと思います。もしかしたら、0(ゼロ)かもしれません。
一時的に成功することはあっても、それが長続きする人はほぼいないのではないでしょうか。
⑧他人の時間を奪わない
世の中には時間泥棒という犯罪者がいます。残念ながら、このような犯罪者は逮捕されません。
しかし、この時間泥棒がどれだけ人様に迷惑をかけているのかわからない人が大勢います。
私のかつての環境で言えば、無駄な会議を行う無能な上司たちや遅刻する人たちが、それに該当します。
遅刻は言うまでもありませんが、生産性のない会議で時間を大量に浪費することしかできない上司は、遅かれ早かれ会社を衰退させます。
時間は有限ですので、人様を大切に思うならば他人の時間を奪わないことが大切です。
最後に 人を大切にして来なかった中高年は当然の報いを受けるから覚悟した方がいい👿
自分自身と身内を大切にすることは当然のことです。それすらできなくて、家族を家庭崩壊に追い込む大人たちは論外です。
ここでは他人の話です。他人を大切にして来なかった人たちは、中高年になってから誰にも尊敬されず、みじめな老後が待っていることは確かです。
尊敬されることができなくても、せめて後輩たちに印象に残るような言動をしてから、会社を立ち去りたいものです。あるいは、あの世に行きたいものです。
75歳以上の高齢者になってから、誰にも相手にされない人は、本当に悲しいものです。ですから、65歳までの中高年の頃に、できる限り人を大切にする人生を送りたいものです。
そのような人生の積み重ねは、有形無形を問わず、自分に返ってくるのではないでしょうか。私はそう思います。
<今日の日記>
最近はだんだん涼しくなった来ました。そして、来週火曜日からは20℃を超えなくなるかもしれません。寒くなる前に万全を期して体調を整えます。
<今日の気になったニュース>
新型コロナ死者数 年間3.2万人・インフルの15倍 “命を守るために”ワクチン接種の検討を
上の切り抜き画像の情報が真実ならば、65歳未満の日本国民はほとんど心配がいらないことになります。なぜなら、若い人が命を亡くすことはないからです。おそらく60~64歳を含めれば、97%は99%以上になるはずです。
なお、半年以上前の情報によれば、最近の新型コロナウイルス感染症はインフルエンザよりも重症化しにくいという調査結果も出ています。ですから、インフルエンザにもならないような人がこの感染症にびくびくしても仕方がないと思います。特に、地方在住で人口密度が低い地域に住んでいる人は。
それにしましても、それ程打たせいのですか?あのワクチンを。新型コロナワクチンを接種すればするほどこの感染症に罹患しやすいという統計もたくさんあります。ワクチン推進派がこの統計を論破している記事や動画を見たことがないです(笑)。だから、説得力で負けて、接種しない人たちが増えているのですよ。
イラスト素材:涙を流して回りながら喜ぶパンダ
涙を流して喜ぶことなど、人生で1、2度あれば普通の出来事かもしれません。私の場合は、生まれたばかりの甥に出会った時だけですね。他はないです。
今日の記事はここまでです。
最後までご覧いただきありがとうございます。