見出し画像

結果だけを求めて過程を楽しまない人生は喜びの半分も享受・謳歌していない!

現代社会には結果がすべてであるという考え方や価値観、風潮があります。しかし、それは果たして真実でしょうか。

例えば、私の受験勉強の結果は、決して最良のものとは言えませんでした。でも、受験勉強時代は最高に楽しかったです。なぜなら、私はそもそも学ぶことが大好きだったからです。

ですから、受験勉強時代がつらくて苦しかったと言う人は、たとえ難関校へ合格できたとしても、私からしますと負け組に思えます。「学ぶことが楽しい自分」や「成績が伸びる自分が嬉しい」、「学んだことが生きる人生」を謳歌できない人たちは、時間と労力を無駄遣いにしているだけです。

なお、当時の高校教師が教える授業ほどつまらないものはなかったです。あれで指導者のプロとは片腹痛いです(笑笑笑)。私は参考書と問題集、過去問、模擬試験があればある程度学力を伸ばせましたので、あれらの授業には意味と価値がほとんどなかったと思われます。

これは当時の地元の公立高校の話で、難関私立高校や現代の高校授業を否定するものではないです。ですので、教育関係者の皆さんがこの記事を読んで気分を害さないことを切に願います。

また、私の大学受験勉強時代は、数学であれば、赤チャートと青チャート、そして、鉄則ぐらいしかなかった時代です。現代のように数十種から教材を選択できるほど恵まれた環境ではないです。

最後に、受験関連の余談です。身内に東京大学理科三類(医学部)に合格した人がいますが、彼は特別だったと思います。親戚には他にも国立大学医学部に合格した人が数名いますが、学校秀才はどの一族にもいると思います。

現代において、「学校秀才」=「社会に貢献する人」とは、必ずしも言えないことは常識中の常識だと思います(笑)。これは決して負け惜しみで書いていることではないです。

この件に関しては、人間性に欠けた金儲けしか考えない医者を見れば明らかではないでしょうか。私は医者の少なくとも7割を軽蔑しています。

なお、私の記事では医者を攻撃する記事が多いのですが、医者からの反論コメントは1回もないです。ですから、医者たちも多少認めている周知の事実なのだと思います。

今回は、「人生はその過程も楽しまないと後悔することになる」ことについて書きます。


昨日の記事はこちらです。



私の教え子たちは100%学ぶことが大好きになった

私の前職は教育関係の仕事で、いわゆる学習塾という職場で働いていました。当時は超絶なブラック企業で自分の選択を後悔したこともありましたが、今思いますとそれらもまた私の知的財産と有益な経験になったと思います。

当時の年収はさておき、仕事の結果で一番誇りに思っていること、それはあらゆる学力層の子どもたちが学ぶことを大好きになっていたことです。

例えば、春頃に入会した中学3年生でも冬頃には勉強が楽しいと言って来るのです。これは秋頃に行うアンケートでも似たようなことが書かれていて、私の仕事の最大成果だったと今では考えています。

記事冒頭でも書いたように、私は学ぶことが大好きでした。この私の学びへの飽くなき精神と向上心・向学心が子どもたちに浸透したことは、私の指導方針と内容が間違いではなかった証明だと思います。

ただし、社員1年目からそのようなことができていたわけではなく、少なくとも4年の積み重ねが必要でした。本来ならば3年以内にこのような流れにならないといけないことですが、当時の社長が我々の積み重ねを台無しにするような無能、いや「負」能な上司でしたので多少時間がかかってしまいました。

いずれにせよ、その過程を楽しめたことは、私の人生にとってプラスに作用していますし、当時を後悔しなくて済む自己評価になって良かったです。

結果主義者だった若い頃の私

若い頃の私は結果がすべてだと考えていました。それは、20代や30代の頃の話です。その後、転職してからの30代後半と40代になってからは、その考えが徐々に変わりつつありました。

そして、少し前に50代に突入してからは、完全に結果主義者ではなくなりました。

それは、過去記事でも書いたように、私自身が過去の人生をしっかりと総括するようになったからこそ到達した境地(笑)です。

なお、サラリーマンの多くは、大した結果も出せずに定年を迎えます。そのような人たちに私の真意が伝わるとは到底思えません。私の実感では、地方の9割、都会の8割は怠け者社員だと予想しています。残りの勤勉なサラリーマンの中で大きな結果を出せる人は、少数派です。

<参考>結果主義者とは?

結果主義者という言葉を耳慣れない方もいるかもしれません。念のため、グーグルAIの概要を載せておきます。

最後に 結果だけを求めて過程を楽しまない人生は、喜びの半分も謳歌していないよ!

一生懸命に何かに取り組んで結果を出すことは楽しいです。これは、子どもの頃からスポーツや趣味で結果を出したり受験勉強で第一志望に合格したりしていれば、その結果の享受の意味と価値がわかることでしょう。

しかし、大人になりますと、結果だけがすべてではないことが徐々にわかって来ます。

私もまた厳しい競争社会にいましたので、その境地(笑)に達する時期が多少他の人たちよりも遅れたかもしれません。しかし、それはそれで良かったと感じています。

例えば、もうすぐ1,200日連続投稿になるnoteもそうなのですが、記事に対するアクセス数(ビュー数)やスキ💛の数よりも、記事そのものを書いて楽しんでいることの方が、人生において遥かに意味と価値があることを確信できるようになりました。

つまり、noteにおいても、結果だけでなく過程も楽しめるようになったというわけです。

結果主義者の気持ちも痛いほどわかります。しかし、自分の過去の人生を振り返った時に結果にこだわっていた時間が充実していたと実感できないようでは、その人の過去に対する評価は相当低く後悔しか残らないかもしれません。

人生は自己満足が大切です。それは結果に至る過程も同様なのです。今まで結果重視で生きて来た人たちは、是非とも過程も楽しんでいただきたいものです。

なお、私が過去の人生をすべて振り返った時に実感できることは、「あぁ、あれで良かったのだなぁ」というノスタルジアにも似た感慨深い心境です。

<余談>

今思いますと、当時の私は、学校の先生よりも恵まれた環境で働いていたと思います。なぜなら、結果を出せばうなぎ登りに年収が増える世界にいたからです。

ですから、安月給で長時間拘束される教職公務員に対しては同情しかありません。それは私のような超ブラック企業であっても、その同情は変わらないです。

それに、顧客である親や生徒を選べるという点では、あらゆる業界の中で一番恵まれていたと言えるかもしれません。

また、私の仕事は多岐に渡り、教職だけではありませんでした。例えば、営業や人事、講師教育、対外交渉、会計・経理などを学べました。特に、営業に強くなったことは、その後の私の人生に多大な好影響をもたらしくれました。

ちなみに、2024年前半の学習塾の倒産・廃業は、全国で110程度だったそうです。しかし、開業した学習塾関連の会社はその約5倍の510程度ですから、多くの経営者がその恵まれた環境に気が付いたのかもしれません。

あまり大きな声では言えませんが、ご本人が健康ならばサービス業の学習塾は今後もお勧めの職業です。なお、一般に、少子化だから教育産業は斜陽産業だと言われています。しかし、地域で一番の塾になれば、町内に50人しかいなくても学習塾はそう簡単に潰れません。ですから、あまり世論に惑わされない方がいいです。ただし、今後の地方が相当厳しくなることは間違いないです。

<今日の3行日記>

調子に乗って毎日長文記事を書いていたところ、またもや両肩に激痛が走るようになりました。しかし、数日前に気が付いたのですが、市販のシップを貼るよりもカイロで患部を温めた方が痛みの軽減が早いようです。この方法を発見しただけでも良い経験になったと思われます。

イラスト素材:悩み事が解決して閃いた可愛いパンダ

私の人生において今が楽しい理由の一つは、日々閃きが多いからです。この閃きとはまさに発想ですから、自分が何かを創造していることになります。

私は人真似の人生を歩むことを毛嫌いします。また、他人から無断でアイデアを盗用する人を軽蔑します。

一般に、秀才とは、この真似をすることが上手で、再現度が100%に近い人を言います。ですから、私は発想ができない秀才を軽蔑します。

他人から盗むだけの人や猿真似しかできない人は高い確率で不幸になるかもしれませんので、自らの創造を若い頃から心掛けた方が素敵な人生を送れると思います。もちろんそれは、人生後半になってからでも遅くはないです。

今日の記事はここまでです。
最後までご覧いただきありがとうございます。

いいなと思ったら応援しよう!

上達の探求
記事が気に入りましたらサポートをお願いいたします。いただいたサポート料金は今後の活動費に使わせていただきます。