論文を書き上げる4つの心構え
まずは、次の文章を読んでいただきたい。
書くことが大変なのは、
紙の上にさらされたおのれの惨めさ、情けなさを
直視しなければならないからだ
そして寝床にもぐる
翌朝、目が覚めると
あの惨めな情けない原稿を
手直しする
惨めで情けない状態から少しはマシになるまで
そしてまた寝床にもぐる
翌日も
もう少し手直しする
悪くないと思えるまで
そしてまた寝床にもぐる
さらにもういちど手直しする
それでどうにか人並みになる
そこでもういちどやってみる
運がよければ
うまくなれるかもしれない
それをやり遂げたら
成功したってことなんだ
タナハシ・コーツ
彼は、マッカーサー賞(天才賞)をはじめ、数々の受賞をしてきたアメリカの著作家である。
つまり、書くことのプロです。
そんなかれの以上の文章は、書くということ、自分の中から文章を生み出すことが、どれだけ大変なことか、どれだけ進みにくいことかを象徴していると思います。
その中にあって、書き進めなければならない、それが論文執筆です。
この激流の中で、ペンを折る人と、溺れながらも書き上げる人がいます。
その違いは、『心構え』、だと思っています。
今回は、論文を書き上げるための心構えについて、考えてみました。
▶︎「お前には書く実力がない」ことを大前提にせよ
最初の草稿を完成させるのは、すごく汚い床の上に置いたピーナッツを、鼻で押し進めるみたいな感じよ
ジョイス・キャロル・オーツ
ペンを折る人が持っている前提は、「自分には書く実力があって、その文章は誰にみられても恥ずかしい者ではないはずだ」です。
そして、その前提は、実際に書くことによって、ガラガラと崩れ去ってしまうのです。
だから、書けないのです。
「オレは書けるよ、ただ、書かないだけであって」
というわけです。
これを守ることは、わけのないことです。
「書かない」という状態を続ければいいのです。
ですが、大大大前提を思い出してください。
僕たちは、なぜ論文を書くのでしょう? ▶︎ 前回を参照
「自分が論文を書く実力がある」ことを、証明するためなのでしょうか?
断じて、違いますよね!!!
論文を書く目的は、「実際に論文を書く」ことでしか達成されないものです。
ですから、僕たちに必要なのは、論文を書かないための理由ではなく、「論文を書き上げるための心構え」です。
簡単です。
ペンを折る人の、真逆を行けばいいのです。
「書く実力がある」と思っているから、「書けない」という現実に打ちのめされるわけです。
「実力がない」と分かっていれば、「実力がない文章」に出会ったときに、「その通り!」と悲壮感にも襲われずに済むわけです。
「大丈夫!、お前には実力がない。だから、安心して書け。」という心構えをもちましょう。そうすれば、モハメド・アリのような心境で、論文執筆に向き合うことができるようになる、かもしれません。
わざとボディを打たせるんだ。打たせたボディは痛くない。
モハメド・アリ
▶︎完璧主義は創作の邪魔だ、まずはヘタクソな第一稿を書き上げ、そこから洗練せよ
完璧主義は創作の敵だ。完璧主義は人をがんじがらめにしばりつけ、一生を狂わせる。
そして、あなたとヘタクソ第一稿との間の障害物になる。
アン・ラモット『ひとつずつ・ひとつずつ ー書くことで人は癒されるー』
大丈夫、心配はいりません。
あなたの第一稿は、かならずヘタクソなのです。泣笑
なにせ、タナハシ・コーツだって、ジョイス・キャロル・オーツだって、アン・ラモットだって、書くことのプロなのですよ。
そのプロが、自身の第一稿を称して、「ヘタクソな第一稿」としているのです。
僕らの書く第一稿など、絶対ヘタクソです (p<0.001)。
ですから、大事な心構えの2つ目として、「第一稿を完璧なものにしようとしない」ことです。
まずは、はみ出しまくっていて、足りない部分のオンパレードの第一稿でいいのです。
ただ、そのヘタクソな第一稿のままで終わるわけではないことに注意が必要です。
たぶん、ペンを折る人は、ここの部分の認識が誤っているのだと思います。
いきなり、完成ではないのです。第一稿を、そのまま投稿しようとしていることが、元凶なのです。
それでは、恐ろしくて書き出すことができません。
ヘタクソな第一稿は、単なる「スタート」なのです。
そこから、推敲を繰り返して、少しずつ、良いものに近づいてゆくのです。
その過程は、冒頭のタナハシ・コーツの文章に、よく示されています。
いきなり完璧!、ではなく、「まずデタラメ→そこから良くする」のです。
ダイヤモンドだって、いきなりダイヤモンドではないのです。
いろんな余分なものを含んだ原石が、カットされ、研磨されることで、ダイヤモンドになることを、僕たちは心から知る必要があります。
▶︎モチベーションは書くことがあげてくれると心得よ
インスピレーションが湧くのを待つほうがいいと思ったことは一度もない。
なぜかというと、書かないことはあまりにも楽なので、それに慣れてしまうと、もう二度と書けなくなってしまうから。
だから決まった習慣を守るようにしている。しっかりと習慣を守ること、それが最後までやり遂げるコツだ
ジョン・アップダイク
ナタリー・ゴールドバーグの講演会でのこと。
書くための最高のアドバイスをください、と誰かが頼みました。
すると、ゴールドバーグは黄色のリーガルパッドをみんなに見えるよう高く上げて、手にペンを握ったふりをしてリーガルパッドになぐり書きをするジェスチャーをしたそうです。
書くために必要なすべては、書くことが与えてくれる、というわけです。
書くためのモチベーションですら、そうだと思います。
作業興奮という言葉があります。
これは、「その作業に興奮している気持ちがあるから、作業を始める」のではなく、「作業をはじめるから、その作業に興奮している気持ちが想起される」という考え方です。
毎日が、「めっちゃ論文書きたいんですけども」という気持ち、な訳がないのです。
ですから!
「論文執筆に対するモチベーションがない、乗り気でない、やる気が出ない」から書かない、というのでは何も始まらないのです。
「またやる気はないけれど、大丈夫!書き始めることで、やる気は出てくるのだから」という心構えが必要です。
▶︎論文を書くことを習慣にせよ
しばらくは必ず毎日書いてごらん。ピアノの音階練習をするみたいに。
それを自分に誓うこと。 借用書を書くみたいにね。
それと必ず最後まで書き上げるということも誓うんだ。
アン・ラモット『ひとつずつ・ひとつずつ ー書くことで人は癒されるー』
とにかく机に向かうこと。毎日、ほぼ同じ時間に机に向かう習慣をつけること。
これで、無意識に創作スイッチをオンにする習慣が身につく。
例えば毎朝九時とか毎晩10時に、何があっても同じ時刻に机に向かう。
タイプライターに紙を入れるか、パソコンに電源を入れてファイルを開いたら、
一時間くらい紙か画面にじっと目をこらす。そうしているうち、少し体が動きだす。
アン・ラモット『ひとつずつ・ひとつずつ ー書くことで人は癒されるー』
上記のモチベーションの話と、深くリンクした心構えです。
気持ちが乗ったとき一気に、やれる時間があるときに一気に・・・。
「〇〇だから一気に・・・」は、ペンを折る人の心構えの特徴の1つだと思います。
まず、「気持ちが乗るとき」は、こと論文執筆に関しては、ほぼ来ません、それは上で述べた通りです。
そして、「やれる時間があるときに」もほぼ同義です、時間は、あるものではなくて自分で作り出すものだからです。
何も意識しなければ、ひとは、実は時間があるときにYouTubeを見て、Smart Newsを見て、寝るのです。
そして恐ろしいことに、忙しいと感じているのです。
ですので、論文を書くための心構えとして、「論文を書くことを習慣化する」を持ちましょう!
習慣とは、尊いものです。
あれだけ面倒なシャンプーや、歯磨きを、無意識化で実行できるようにしてくれるのです。
習慣は、大変で面倒な作業を自動化してくれる、魔法の列車です。
ひとたび論文を書くことが習慣化されれば、あとは、毎日・毎時、その列車に乗り込むだけです。
気がついたら、論文ができあがっています。寝ていたら終電についていたような感覚で。
ぼくは、毎朝7時から7時40分までの40分間、論文を書くために捧げるという習慣を持っています。
この1年間で、5本論文を書くことができました(まだ、そのすべてがpublishされたわけではない)。
そして、そのペースは加速されつつあります。
習慣の威力には、恐ろしいものがあります・・・。
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