13世紀ごろのフランスは、床屋が外科手術をしていた!?
▼ 文献情報 と 抄録和訳
中世の外科(11~13世紀):フランスの床屋の外科医と戦場の外科医
Hernigou, Philippe, Jacques Hernigou, and Marius Scarlat. "Medieval surgery (eleventh–thirteenth century): barber surgeons and warfare surgeons in France." International Orthopaedics (2021): 1-8.
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[レビュー内容] 11世紀から13世紀にかけて、フランスの外科を特徴づける3つの大きな出来事があった。それは、エルゴイズムに関連した疫病の出現で、多数の切断が行われたこと、市民の診療のための床屋外科医の出現、そして第一回十字軍のための戦争外科の組織化である。中世の初めに医学と外科学の間にある種の分離が現れたとすれば、医学と外科学の間に本当の意味での分離がなされたのは、1215年(ラテラン公会議の時)からであろう。それ以前の外科手術は、外科手術の経験のある聖職者(修道士)が行っていた。ラテラン公会議以降は、理容師が手術を担当するようになる。中世において、切断の最初の原因は、ライ麦のエルゴによる中毒、汚染されたパンを摂取したことによる中毒に関連していた。エルゴタミンによる血管収縮のために、飢餓時には多くの患者が10~20%の頻度で死亡する。生き残った人たちは、壊疽をきっかけに、最初は僧侶が、1215年以降は理容師が切断を行うようになった。床屋外科医の名を冠した床屋は、最初は小さな外科手術を担当し、その後、エルゴイズムに関連した疫病が蔓延して多くの切断を招いたことから、切断手術を担当するようになった。この練習で、彼らは解剖学の知識と手術の知識を身につけていく。このように理髪師が行っていた民間の外科手術とは別に、イングランドの征服や十字軍の開始に伴い、軍事的な外科手術が行われるようになり、より専門的な外科手術の組織が必要となった。結論1371年以降、床屋の外科医だけが外科手術を行っていたため、彼らの知識は大学の知識を上回っていた。大学の外科医に対する床屋の外科医の優位性は、アンブロワーズ・パレによって示される。
<床屋の外科医が誕生した背景>
- もともと、修道士が外科手術を担っていた
- 当時の髪型(禿げ;図)を維持するために修道院には常に床屋がいた
- 床屋は、鋭い器具をたくさん持っていた
- そのため、修道士の助手として使われるようになった
- あるとき、宗教上の理由から修道士は外科手術を担えなくなった
- 全般、床屋が担うようになり、床屋の外科医が誕生した
- 当時の外科医は、床屋の外科医か、大学の外科医に二分されていた
- 床屋の外科医は大学の外科医からいろいろ習うことを許されていた
- 実際の臨床現場を担当していたのは、床屋の外科医だった
- 外科手術を実践した床屋の外科医の知識は、大学の外科医を上回っていた
↑ 当時の修道士・僧侶の髪型
▼ So What?:何が面白いと感じたか?
昔の医学の話が好きだ。とにかく、当時の医療は極端な話が多い。まだ原色しかない時代の医療だ。
震える手で、周囲をうかがいながら、答え合わせをするような、道を外すことを恐れるような医療ではなく、
全員が自ら先例になることを厭わなかった、まだ道なんてなかった草創期の医療の力強さ、痛快さ。
粗削りだからこそ、大きな原石がみえやすい。
では、この話の原石は何だろう?
それは、『実践者が強化される』ということだろう。もともと大学の医師に習う立場だった床屋の外科医が、臨床経験を積み重ねることで、いつの間にか大学の外科医を知識面でも上回っていた。そして、これは今の世にも当てはまることだと信じる。
頭を使うなかで洗練されるものもあるだろう。しかし、実践の中でだけ、発掘され、精錬されていくものが、あるのだ。
人は単に知っていることによって知慮ある人たるのではなくして、
それを実践しうる人たることによってそうなのである
アリストテレス
その実践者としての志において、床屋の外科医を見習いたいものだ。
トランスレーショナル医療は、研究から臨床現場に向かう矢印だけでなく、現場で新たな原石を発掘し、研究へ向かう矢印も持つ。
床屋の外科医が、大学の外科医を凌いだ理由をさらに具体的に紐解くことで、誰でも実践可能な一理を築くことができるかもしれない。