極楽浄土ー2
ではいよいよ極楽の「美しい光景」を見ていこう。
極楽国土には七重の欄楯[らんじゅん]・七重の羅網[らもう]・七重の行樹[ごうじゅ]がある。これらはみな四宝でできていて、国中のいたるところにめぐらされている。
欄楯は「欄干」のことで、装飾を施した石垣。ブッダガヤーの菩提樹周辺に見られるものが有名とのことで、ネットで画像を探してみた。
羅網は珠玉で飾った網で、サンスクリット語の原本には「鈴のついた網」とあるらしい。風が吹くと綺麗な音がするようだ。
行樹は並木のことで、サンスクリット語の原本には「ターラ樹の並木」とあって、棕櫚[しゅろ]に似た樹であるらしい。
この欄楯・羅網・行樹がそれぞれ七重で、四宝つまり金・銀・瑠璃[るり:青玉]・玻璃[はり:水晶]でできている、と。
これらは極楽の外周にあって、聖域を守る結界であるらしい。
極楽には七宝の池があって、八功徳水[はっくどくすい]がなみなみとたたえられている。池の底には、一面に黄金の砂が敷き詰められ、その四方には、金・銀・瑠璃・玻璃で組み合わされた階道がある。その階道を上ると、楼閣があって、それもまた、金・銀・瑠璃・玻璃・硨磲[しゃこ]・赤珠[しゃくしゅ]・瑪瑙[めのう]などで美しく飾られている。
「八功徳水」については、のちほど説明する。
硨磲は大蛤または白珊瑚のこと。赤珠は赤真珠。瑪瑙は私たちの知っている瑪瑙ではなく、深緑色の玉のことらしい。
ここまで見てわかるとおり、極楽は「きんきらりん」である。眩しい。
金銀宝石にあまり魅力を感じない私には、これのどこが素晴らしいのかちょっとわからない。成金趣味かと思うほどだ。
何でこんな世界なのかね? 欲の強い凡夫にわかりやすく魅力を伝えるためなのか。自然豊かな世界の方が私は魅力的だと思うのだが、自然はうつろうものだから、永遠に変わらない輝きを放つものが選ばれたのかも。
極楽浄土の主である阿弥陀仏の名前の由来。
サンスクリット語で「ア」は否定を表し、「ミタ」は量ること。つまり「アミタ」は量れないという意味で「無量」と書く。
何が量れないかというと、一つは知恵の光明で、すべての国々を照らして何ものにも遮られることがない、という。無量の光明で「アミターバ」。
もう一つはその命の長さで、無量の寿命で「アミターユス」。この二つから「阿弥陀」と名付けられた、とお釈迦さまはおっしゃる。
阿弥陀仏が光の仏だから、あちらもこちらも眩しいほどに照らし出されて、世界がきらきらに見えるのかな、とか思ってみる。ただの石ころが金や宝石のように見えてしまうだけかも、とか。
いずれにしても、それを盗んで売り払おうとか自分のものにしようとか思うような者はいないから、いつまでも変わらない世界なんだろうな、とは思う。
さて、「八功徳水」。これには私も大いに魅力を感じる。
八種類のすぐれた特質・効き目のある水で、「甘(甘い)」「冷(冷たい)」「軟(やわらかい)」「軽(軽い)」「清浄(清らか)」「不臭(くさくない)」「飲時不損喉(飲むときに喉を損なわない)」「飲己不傷腹(飲み終わって腹を痛めない)」であるとか。
玄裝訳では「澄浄」「清冷」「甘美」「軽軟」「潤沢」「安和」「徐患(飲めば飢えと病をいやす)」「養根(心身を健やかに育てる)」となっていて、いずれも、やすらぎを与え、病気を除き、健康を増進する効果がある、と。
八功徳水は極楽浄土だけでなく、他の浄土にもあるし、お釈迦さまが誕生されたときにこの水が湧き出て、マーヤー夫人がそれで身体を洗い清めたという伝説も残っている。
この水は、飲んでもいいし、そこに浸かってもいいのだ。足だけ入れて冷んやりしても効果がある。
この歳になるともうあちこち痛くて、何とかパスみたいなものを貼りまくっている私だから、それを飲むだけで痛みもとれて気分も晴れやか、そんな八功徳水があれば楽になるのになあ、としみじみ思う。
ちなみに。神棚には水をお供えするが、仏壇には供えない。これは、仏は常に八功徳水を飲んでいるので、わざわざ水を供える必要がないということらしい。「おいしい水」とか買ってきても、「八功徳水」にはかなわない。
水は華瓶に入れ、樒や青木を挿して「香水」として供えるのが良い、と。
ということで、次回も引き続きその「美しい光景」、極楽に咲く花の話などをしていこう。
<参考>
『阿弥陀経のことばたち』
著者:辻本敬順 発行:本願寺出版社 2001年