極楽浄土ー5(極楽に住む鳥・その2)
さて、前回の続き。最後は「共命之鳥」、というところから。
共命之鳥はサンスクリット語で「ジーヴァン・ジーヴァカ」といい、この鳥の鳴き声から名づけられたとされているが、「ジーヴァ」という語は、生きるとか生命という意味なので、音で耆婆耆婆鳥、意味で命命鳥、生生鳥、共命鳥と呼ばれている。
インド北部の山地に住むキジの一種ではないかといわれているが、仏典ではしばしば、身体は一つでありながら、頭と心は二つある珍鳥として登場する。
この鳥について、私事になるが、実家の寺の阿弥陀様の前卓にこの共命之鳥が彫られてあり、子供の頃、父から「その鳥は共命鳥だ」として、こんな話を聞いたことがある。
共命之鳥にまつわる話は他にもいろいろあるが、共通しているのは、二つの頭の中が悪く、自分の利益だけを考えて行動した(大抵相手に毒を盛って殺そうとする)結果、共倒れになってしまう、というものだ。
極楽にいる鳥の中で、最も仏教説話的な存在である共命之鳥。極楽では、「他を滅ぼす道は己を滅ぼす道。他を生かす道こそ己の生かされる道」と鳴き続けているのだそうだ。
ということで、ここまで「極楽の六鳥」を見てきた。
これらの鳥について、『阿弥陀経』の中でお釈迦さまは、「これらの鳥が罪の報いとして鳥に生れたのだと思ってはならない。 なぜなら阿弥陀仏の国には地獄や餓鬼や畜生のものがいないからである」と言っている。
また、「その国には地獄や餓鬼や畜生の名さえもないのだから、 ましてそのようなものがいるはずがない。 このさまざまな鳥はみな、 阿弥陀仏が法を説きひろめるために、 いろいろと形を変えて現されたものにほかならないのである」と言い、極楽浄土に鳥がいる意味を示している。
鳥に見えるけれども、本当は鳥ではなく、阿弥陀仏の教えがそのような形になっているだけだ、ということであるらしい。
『阿弥陀経』には、「このさまざまな鳥たちは、 昼夜六時のそれぞれに優雅な声で鳴き、 その泣き声はそのまま五根五力・七菩提分・八聖道分などの尊い教えを説き述べている」となっていて、鳥の声の示すところの教えについて書かれているのだが、その内容についての詳しい話は、ここではやめておこう。
ともかく、鳥の声は仏の教えである。
これを「極楽じゃ鳥まで説教してくるのかよ」と取るか、「いつでもありがたい話が聞けるのだなあ」と取るかは、あなた次第である。
<参考>
『阿弥陀経のことばたち』
著者:辻本敬順 発行:本願寺出版社 2001年