『自分とか、ないから。』を読んで その4
4章は達磨の哲学「禅」である。
この本中「 ”知ってるようで知らない人” 第一位」が来てしまった。幼い頃「長いこと座っていたので手足の境界も曖昧になって人形になってしまった」と聞いた人、というイメージだ。
これはやばい、ということであちこちネットで検索をかけてみた。
達磨大師の生涯や教えとは?だるまの起源、達磨大師!
このページが一番わかりやすそうなので紹介しておこう。
しかし。この内容にはとても変なところがある。
達磨大師は幼い頃に会った高僧の元で修行するのだが、この件り、
これだけ見てもだいぶおかしい。出家した時の年齢はいくつだったのだろうか。その後40年修行し、67年布教するといくつになっているのか。
そして3年かけて中国に渡り、中国で10年布教した後、例の皇帝との問答があって、崇山少林寺に行き、そこで洞窟の壁に向かい9年間坐禅を続け、悟りを開いた、と。
このとおりなら、なるほど150歳まで生きたと言われるのも道理かと思えるが、中国に渡った時点で120〜130歳くらいになっている計算だ。
無理無理無理ーっ。ボケて歳を忘れたという方が信ぴょう性がある。
否ここは、さすが伝説の人物、と言うべきなのか。常人じゃない、ということだけは確かなようだ。
さて。達磨大師は「禅」の開祖と言われる。「禅宗」と呼ばれるものは日本だけでもいくつもの宗派があって、私自身、寡聞にして存じ上げず、と言うしかない。
しかし、わからんとだけ書いても仕方ないので、ほんの少しだけかじった曹洞宗の道元禅師の言葉を借りてみることにしよう。
「『自分とか、ないから。』を読んで その2」の終わりの方、「余談だが」というところにもちょっと書いたが、曹洞宗の修行は「只管打坐[しかんたざ]」といって、ただひたすら坐ればよいというものだ。難しいことを考えず坐る(坐禅)ことが全て、という教えである。
これは、「凡人が難しいことをやったってどうせできっこないんだから、下手に勉強なんかしないで、一つのことだけをひたすらやり続けた方がいい(つまり坐禅)」ということであるらしい。
この話を聞くと、私はお釈迦さまの弟子である周利槃陀伽[しゅりはんだが:チューダパンタカ]を思い出す。
彼は、兄であるマハーパンタカとともにお釈迦さまの弟子になったが、賢い兄と違いその教えを何一つ覚えることができなかった。懸命に指導してたいた兄もついにさじを投げ、精舎から追い出したが、お釈迦さまは「みずからの愚かさを知るものは愚かではない」と言って、一本のホウキを与え、「塵を払おう垢を除こう」と唱えながら掃除をするようにと教えた。
彼はその教えを日々忠実に繰り返すうちに、人の心の中にある塵や垢を除くことが重要なのだとさとり、お釈迦さまの高名な弟子の一人となった、という話だ。
さて。道元禅師の著した『正法眼蔵』から、一つ言葉を引いてみよう。
仏道を習うということは、自己を習うのである。自己を習うというのは、自己を忘れるのである。自己を忘れるというのは、万法(あらゆる存在)に証[さと]らされるのである。万法に証らされるというのは、自己の身[からだ]と心、そして他人の身と心がなくなってしまうのである。
「自己を忘れる」とは自分への執着を離れること。つまり「私が、私が」という心をなくすこと。そういうエゴを離れた時に「万法に証らされる」、つまり自然に証りがやってくる。そうすれば「自己と他人の身と心がなくなってしまう」、つまり比較したり、競争したり、対立したりすることがなくなる、ということだ。
『自分とか、ないから。』の2章「空」のところで、「全てはフィクション」「全てはつながっている」という言葉が出ていたけれど、そのイメージと重なる言葉だと思う。
その「仏道を習う」ために坐禅をしなさい、と道元禅師は言うのだけれども、どのようにするかというと、まず「足を組んで座る」、次に「呼吸を調える」、そして「心を調える」。
心を調えるのが難しそうだが、「調えようと考える」のもダメなのだそうで、まあ「自然にしていればいい」とのこと。
で。最大の焦点、「何のために坐禅をするか」だが、道元禅師によれば「さとりを開くための修行としての坐禅ではない」とのこと。「安楽の法門」と言って、「さとりをありのままに現す坐禅」である、と。
坐禅をしているそのあり方が、煩悩や妄想を離れ、さまざまな苦悩から解放され、そこにあらゆる功徳が満たされている。何の戒を犯すこともない。坐禅をするということ自体が、さとりの姿を現している、ということらしい。
なので、これによってさとってやろうとか考えるな、と。何かの目的を持って坐禅をするな、と言う。ただ坐っている、ということが既にさとりの姿なので、ごちゃごちゃ言ったり考えたりせずにただ座れ、ということのようだ。
これを見ていると、達磨大師が何も言わず、ただただ坐っていたことが、少し理解できるような気がする。さとりの姿を身をもって現していたのだ、と。
自分を忘れ、他人を忘れ、世の中の全てを忘れてこそ、ありとあらゆるものとつながって、この世の真の姿を見ることができる。諦める(あきらかに見る)というのがさとりの第一歩なのだが、そのためにただ坐り、さとりを開いたのだろう。
正に開眼。ダルマの目も入れたくなろうというものだ。
『自分とか、ないから。 教養としての東洋哲学』
著者:しんめいP 監修:鎌田東二 発行:サンクチュアリ出版 2024年
<参考>
『ZEN 道元の生き方 〜「正法眼蔵随聞記」から』
著者:角田 泰隆[すみだ たいりゅう] 発行:日本放送出版協会 2009年