プラーナ
プラーナ。生命の息吹、生命エネルギーみたいな言われ方します。
むっちゃ平たい、ペラい言い方すると、目には見えない何かしらのエネルギーって感じです。
さあ!朝の新鮮なプラーナを取り入れて♡
って言うことあるけど、これは光だったり植物が放つ何かしらだったりを指してプラーナって私は言ってます。
プラーナという言葉の中には光と言う意味合いも元々含められているそうなので、朝日なんてもう!!プラーナばんばんw!
ヨーガで行うプラーナーヤーマはこのプラーナを自身の呼吸と意識で身体の中に取り入れ、操作していきます。扱う身体は微細な身体(ヨーガの身体)。肉の身体ではないです。
だから、単に呼吸をしてそれをプラーナーヤーマと言うのはちょっと違う。
意識をしながら呼吸をした時に、脈管の中を流れていく何がしかがプラーナです。
これをアーヤーマ(制御)していくのが、プラーナーヤーマです。
伊藤先生が例えで使う絵があって、マナス(意識)をおんぶしたプラーナっていうのがあります。
マナスは自身では動けない足の不自由な存在。
プラーナは盲目だが、動くことはできる存在。
そんな単体だと不自由な2つが一つになること(マナスがプラーナにおんぶされること)で、意図した方向に進むことができる。
それがマナスとプラーナの関係です。
この関係を上手いこと使うのがプラーナーヤーマです(言い方ペラいw)。
プラーナーヤーマして、何になるの?目に見えないもんなんて意味あるの?って思う人もいるかもしれません。
たしかにプラーナへの意識って、やった事ない人にとっては謎かもしれませんが、意識することで感じる世界は明らかに変わってきます。
身体の中のプラーナは感じることができます。
感じるためにはまずは意識することが大事なんですけど、プラーナへの意識は魂自分と肉自分を繋ぐ架け橋を担っている気もします。
ヨーガの身体って肉の身体と魂の間にあるんです。で、プラーナはヨーガの身体にあるわけです。
だから、そんなことセンセが言ったかどうかなんて憶えてないですけど笑、私としてはプラーナは魂と肉の身体を繋ぐ架け橋と思うわけです。
ヨガとヨーガの違いの「ー」は、プラーナ。
プラーナのないヨガは、シャクティ(女神)のいないシヴァ、つまりシャヴァ(死体)と同じです。
意味不明ですみません。でもそうなんです。
プラーナ意識して、自分の肉の身体と魂を繋いでみませぬか?