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一秒でも早く帰りたい

誰かといるとき、音のない空間が苦手。何話そう、と迷う時間が苦手。

昨日、久しぶりに大人数の食事会に参加した。
なんとなく仲の良い子と隣に座るのかな、と思っていた私がまぬけだった。

食事前にプチ遠足のようなありがたい機会があって、その時間はまだ楽しく一緒にお話ししていたように思う。あくまで主観的な話。その後ごはん屋さんに向かう数分の間、眠気と空腹から頭が働かず話す彼女と話すネタもなく、ドギマギしていたのが建前。恐らく「こいつとは馬が合わないかも」と思わせる言動があったのでは、と反省しているのが本音。あくまでこれも主観的な話。

私は本当にネガティブなので、誰かから「考えすぎ」、と付箋を貼られそう。けど人の顔色の変化には敏感で、相手が自分に放つ空気の変化にも相当敏感な自覚はある。これは主観的な過剰な思い込みかもしれないけど。

結局、食事会の席はおなじみの機能で設定され、ほとんど話したことのない子と同じ皿をつつくことになった。

2500円。夜ご飯にしては安い方だと思う。
けど、しかし、それでも、簡単に払える額ではない。何かとお金がいる学生なもんで。(ちなみに、2500円あれば今、激ハマりしているファミマのフラッペ7回は楽しめる)(すでに3回も美味さ浴びました)

ご飯を食べながら、少し、だけ。楽しくないな、帰りたいな、友達に会いたいな、あの子と食べるごはんの方が美味しいな。つまんなさそうな顔してたと思う。頭の中はもとを取ることに必死だった。

解散になった20時過ぎ。きゃっきゃと楽しそうな声が背中に刺さった。
とにかくアウェイで、早く帰りたくて、早く家族のいる家に帰りたくて、自分の声が届く場所が恋しかった。
この歳でこんな考え方で、こんな性格で情けない。
偏見持ってる人に対してどうのこうのとレポートを書いてきたけれど、全部ブーメランですね。さんざん書いてきたあれらは、自己紹介みたいなものだったんだと今になって気づいた。

高校三年生の時、親友がまじめな顔をして私に言ってくれた。当時の私にはどうして彼女がそれを、私に言ってくれるのか、さっぱりだった。不似合いすぎる「尊敬してる」の一言。自分が嫌になるたびに思い出す。あの頃のあなたが今の私を見ても、同じような言葉をくれますか?今のあなたから見る私はどんな人ですか?建前なんていいから。あなたからもらう言葉は全て本音がいい。

早く一緒にご飯食べに行こうね。いつもありがとう。