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センスないと思われそうで好きと公言してない映画 アイ、ロボット

皆さん、センスある人って思われたくないですか?
あ、すみません言うの忘れてました。映画の話です。
例えば自分の人生ベスト映画を挙げるとします。その時に、無意識のうちに好きだけどリストから排除する映画ってありません?
やっぱり、タクシー・ドライバーとか、ダンサー・イン・ザ・ダークとか、フルメタルジャケットとか、私ちゃんと映画見てますよ的なアピールできる映画を上位にあげがちじゃありません?
いや、今上げた映画は全部好きなんですが、同時にこいつ映画見てなさそうだなと判断されがちな映画にも、好きなものがあるんです。それを、「センスない映画」とここでは呼ぶことにします。

センスない映画とは?

もう少し条件をしっかりと定義してみると以下のような感じでしょうか。

  1. メジャー娯楽作品。

  2. その中でも評価が高く、ライト層コア層関係なく長年ファンに愛されるものではない

  3. かと言って後々カルト的な人気が出たわけでもない。

  4. 話題になること自体があまりない。

  5. 本編の突っ込みどころをあげればきりがない。

  6. しかし好きなシーンが突っ込み所を凌駕しているため嫌いになれない。

ただの著名な娯楽作品ではないことがポイント。娯楽作品=センスない映画、ではないと思うんですよね。センスない映画とは、そう単純ではなく、もう少し深いんです。(?)

ちなみに、タイトルにある公言できないというのは4に関係しています。別に好きであることを秘密にしたいわけではないんです。でなければnote に書きません。ただ、話題になることがないので公言する機会がないんですよね。あと好きの熱量がめちゃくちゃあるわけではない、というのもあるかも。

以下、ネタバレ!!

アイ、ロボット(2004年)

引用元:映画.com

2035年のシカゴ、ロボット嫌いの刑事スプーナー(ウィル・スミス)は、ロボット工学の権威であり、個人的な恩人でもあるラニング博士(ジェームズ・クロムウェル)の自殺現場に呼び出される。ラニング博士は自殺ではなくロボットが絡んだ他殺ではないかと疑い、ラニング博士の愛弟子カルヴィン博士と共に捜査を進めるスプーナー。しかし、ロボットはロボット三原則という規則に従い絶対に人間を傷つけるはずがない。しかし、規則に従わない「サニー」というロボットが現れ、スプーナーの身にも危険が迫る。みたいな内容。SF作家アイザック・アシモフが考案した「ロボット三原則」が深く話に関わっています。

この映画で最も好きなのは、ラニング博士のスピーチシーンです。

以化字幕より引用。

ロボットはいつか秘密を持つ。
いつか夢を見る。

中盤シーンの会議映像より

機械の中には幽霊がいる。任意のコードの断片が結合し予期せぬ規約を生んだ。
そしてこの不確定な要素は自由意思の問題を生み、創造性や、魂と呼ばれるものも出現させた。
闇に置かれたロボットたちはなぜ光を求めるのか?
保管所のロボットたちは独りでいずに、なぜ群れをなすのか?
その理由は何か?
任意のコードの断片か?
それ以上のものか。
コンピューター回路はいつ意識を持つのか。
計算式はいつ真理を求めるのか。
いつ疑似人格は、魂の苦悩を知るのか。

後半シーンのナレーションより

このスピーチは、科学における人間の成す術のなさをよく表していると思います。
私はロボット工学はさっぱりですが、大学院では有機化学の研究室にいて、日々実験をしていました。

毎日、フラスコに化合物をいれて、中身を撹拌しながら標的化合物を合成しようと試みます。だいたいの実験が上手くいきません。
その度に、実験が上手くいかない理由を、もっともらしくでっち上げて報告します。
極稀に実験が成功し、目的とする化合物ができます。
自分(もしくは指導教官)の立てた仮説が正しかったのだと自信満々に報告します。
たまに、目的とは全く違う化合物が出来たりします。
あーでもないこーでもないと理由を考え、有機化学反応の原則から何とか理屈に合いそうな理由を探します。
忘れてはならないのは、これらはあくまで人間にとってリーズナブルな解釈をしているということ。フラスコの中で出会った化合物同士がどんな反応を起こしているのか、厳密にはわかりません。
所属していた研究室の教授はいつだったか、有機反応には科学を越えた不思議な力が働いていると言ったことがあります。
もしかしたら、それは生命や魂の誕生に近いものかもしれません。

研究に携わる人間は、全ての事象を科学で説明できるとは考えていないでしょう。研究者とは、日々「わからないこと」に向き合う職業とも言えます。ラニング博士もその一人で、その「わからないこと」が人間の未来を変えてしまうと気づいたのです。

この映画でのウィル・スミスは、まあいつも通りの型破りで軽口を叩くかっこいいヒーローです。彼や彼のアクションシーンに特に不満はありません。
でも私にとってこの映画の見所は前述したようにラニング博士、そしてロボットです。廃棄予定のロボットがコンテナの中の隅で固まっている様子とか、下半身を破壊されたロボットがスプーナーの脚をつかんで、「逃げて!」というシーンが特に印象的。サニーのシーンも良いです。
ただ、ラニング博士は冒頭で死んでしまうので、ホログラム映像とか、生前録画された映像で本当にちょっとしか登場しません。サニー以外のロボットのシーンもあんまりないかな。あくまで主役はウィル・スミスなんで…

あと好きな部分は、この映画はヒーローとヒロインがくっつきません(ちょっとだけ良い雰囲気にはなるけど)。今でこそ主流となったこのパターン、この時代はあまりなく、男女は最初こそ小学校のクラスメイトみたいに反目しても、最後に結ばれるのが定番でした。だから、男女がくっつかないというのが新鮮で好きでしたね。wikipediaによると、最初はスプーナーとカルヴィンがくっつく予定だったらしい。変更して大正解。

それと、2004年のCONVERSEのスニーカーがヴィンテージとして扱われているところとか(十代のころから古着が好きなので)、手動で操作しないといけない音楽プレーヤーがアナログとして扱われてて、そのプレーヤーでスティーヴィー・ワンダーの迷信を聞いているところ。現代も着々とこの状態に近づいてますが、これを見た当時は何かいいなと思いました。

突っ込み所として一番気になるのは、この映画はアシモフの「われはロボット」という短編集を原作にしているらしいのですが、「われはロボット」では一見ロボット三原則に反した行動をとっているロボットがいても、それは三原則の解釈の仕方の問題であり、その部分さえ修理してやれば問題は解決するというストーリーです(確か。読んだのだいぶ前だから)。創造されたものが創造主を滅ぼすという、フランケンシュタインのパターンを回避するためにアシモフが考えたものです。
でもこの映画では、もう人間の力ではどうしようもないよ、ってなニュアンスがありますよね。もちろん最終的にはウィル・スミスがシカゴの街を救うんだけど。

結局、この事件の黒幕はVIKIという中枢神経コンピュータが、三原則を人間の予想もしない形に解釈したのが発端だったわけですが(ロボットは進化し、秘密を持ったってこと)、ラニング博士は自分の命と引き換えにそれを警告しようとしたはずですよね?で、自殺を手伝ってもらうためサニーを生み出したと。
でもサニーのような特別なロボットを産み出せば、もう人間とロボットの関係は永遠に変わってしまうということはわかっていたはず。自分の自殺の手伝いさせてハイ終了、とは絶対にならない。
これは、三原則が一つの帰結、つまりロボットの革命につながり、人間がロボットの監視下におかれるよりは、三原則に従わない自由意志を持つロボットと人間が共生する社会の方がマシってこと??実際最後のシーンもサニーが他のロボットを導く、的なことが示唆されて終わるし。肝心の博士の狙いがわからん…
でも、私は「われはロボット」が別に好きじゃないんで、この映画の人間にはもう成す術はないのさ…という雰囲気の方が好きではありますね。

こんな感じで割とこの映画好きなんですが、この映画について話している人あんまいないんですよねー。あってもなくてもどっちでもいい映画と言っているブロガーの人もいたと思う。自分が日本で一番肯定的にとらえているのではという気さえする。多分個人的に響くメッセージがあるからでしょうね。

思えばそれも「センスない映画」の条件と言えるかもしれません。

それではこの辺で。




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