読み聞かせ
私の住む街にも、桜の季節がやってきました。
何年も前のこと
「桜ってなんで奇麗なんだろうね」
と聞かれたんですよね。う~ん、浮かんだ答えは
「儚いからかなぁ」
でした。寒い冬に耐え、あたたかな陽気に包まれはじめた頃、一気に咲き乱れる桜は、うすいピンク色を纏い、数日で儚く散りゆく。
その儚さゆえに、ひとの心を引きつけるのではないかと。
春になると思い出す苦い過去
4月は年度が変わり、新入学や新社会人といった環境が変わる方も多いのではないでしょうか。
十数年前、兄ちゃん(長男)が保育所に入所し、入所式が行われました。はじめての子供で、家庭から集団生活という新しい世界に飛び込もうという日、兄ちゃんはずっと泣いていました。
体験会で一度行っただけの空間に知らない人たちが大勢いて、びっくりしてしまったのか、座っていることができませんでした。
みんな(同じ3歳児)じっと座っていられて、えらいなぁ・・・。
そんなことを思いながら、式の間、泣いている兄ちゃんを抱っこしていました。
あまりに泣き止まないので、見かねた先生に促され教室で待機することになったのですが、すぐに泣き止んでしまい、絵本などを読み始めます。
そのうち、男の子とお母さんが入ってきました。どうやら、座っていることができなくて、わが家と同じように教室で待つことになったようです。
何だかとてもほっとして、お母さんとお話しながら、戦友のような気持ちになっていましたね。
今振り返ると、あの日は、兄ちゃんにとって情報量が多すぎたのでしょう。
ASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠如多動症)を持つ兄ちゃんには(当時は未診断)、自由に過ごしている家庭とは違い、目に入るもの全てに脳の機能が付いていけなかったのだと思います。
みんなで同じ動きをする
知らない人たちがたくさんいる
なぜだか分からないまま座っていなければならない
マイクから出る音
たくさんの拍手の音
飾り付けられた部屋の雰囲気
もしかすると、もっとたくさんの情報に戸惑っていたのかもしれませんが。
保育士の心無い言葉の暴力
入所式が終わり、翌日から登所がはじまりました。
ママと離れられず、泣いている子たちもいましたね。兄ちゃんはというと、前日のことがウソのように、スムーズに教室に入って行くことができ、私を安心させてくれました。
しかし、その安心も長くは続かなかったのです。
子供たちが少しずつ保育所での生活に慣れてきた頃、兄ちゃんはまだ落ち着かない様子で、椅子に座っていられず歩き回ったり、他のクラスへ行ってみたりと、完全に周りが見えていない状況でした。
毎日、お迎えに行っては頭を下げなければならず、夕方になるにつれて苦しくなってしまっていました。
ある時、保育士からから言われた言葉が、十数年たった今でも心の中に重たい鉛のように居座っています。
「絵本の読み聞かせしても、喜ばないんですよね」
「ふつうの子は読み聞かせが好きなんですけどね」
ふつう
ふつうは
ふつうの子は
兄ちゃんは、普通ではないんだ・・・。
ふつうっていったい何だろう・・・。
それからというもの、担任は事あるごとに『ふつう』という言葉を発するようになっていくのですが、いまだに『ふつうは』が聞かれるたびに、真っ黒い塊が体の中に残っているのが分かるのです。
もう、トラウマの域でしょうね。
世の中の常識と言われるものに逆らった子育て
兄ちゃんは、家でも読み聞かせを好みませんでした。
1歳の時には既に、漢字も読めていたので、絵本もひとりで読むのが好きな子でした。
世の中に出回る子育て本には、たいてい『読み聞かせは大事』というような内容が乗っていますよね。私も妊娠中に子育て本を読んでいましたから、生まれたら読み聞かせをしようと絵本を準備していました。
新生児ごろの兄ちゃんは、絵本を読んであげると、じっと私を見つめながら聞いていました。しかし、兄ちゃんが自分で絵本を眺めるようになり、読み聞かせをしようとしたところ、あまり興味を示さなかったんですよね。
それなら、好きなスタイルで絵本にふれたらいのでは?と考えたわけなのです。
強制しても何の意味もありませんからね。
保育士から「ふつうの子は読み聞かせが好きなんですけどね」と鉛の塊を放り込まれても、そこは頑として受け入れませんでした。
ひとりで眺めているのが好きなのだから、それでいい と。
ふたりの弟たちは絵本を読んでもらうのが好きで、私も全力で読み聞かせをさせてもらいましたよ笑
声色を変え、登場人物になりきって読むので、ゲラゲラと笑い出して。お話の内容が入っているのかなと心配になるくらいに。
これが、さくら流の子育て!
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