管長日記「三つの言葉」解釈20241007

とてもいい話であった。言葉を「いうこと」について考えさせられる。
1年前くらいの管長日記「三つの言葉でいい」2023/9/24もちょっと振り返って、わかったこともあった。仏教的、禅的に「無になる」ということなのだが、日記記載は日常のこと、対話があるたびに起こる心のことについての話なのである。
日記「三つの言葉でいい」での結論は、「先代が強調してくれていたのは、悲しい話、辛い話を聴くときは、こちらも辛く悲しい気持ちになりきるのだということでした。こちらを無にして相手になりきる、そのために我々は坐禅をしているのだと教えてくださったのでした。」ということであった。
今回は「分からないからこそ、難しいからこそ、些細な気づきに感激するのであります。これは仏道を学ぶということにも大いに通じるものです。学ぶほどに分からなくなります、やればやるほど難しい事に気づかされます。それでも学ぶうちに、感激があるものです。」、また「なかなか三つの言葉だけで済ませるのは難しいことですが、長くならないように心しなければなりません。」と、気づくことと、おそらく、「べらべらしゃべらない」と「自分のことばを入れない」という態度、言語化における注意みたいなことだろう。

構成
1.「三語族」、先代管長足立老師のことば
2ー1.河合隼雄『こころの処方箋』(新潮文庫)の巻末に谷川俊太郎さんが「三つの言葉」
2-2.『こころの処方箋』第一章「人の心などわかるはずがない」
3.『こころの処方箋』「説教の効果はその長さと反比例する」章

■1.「三語族」、先代管長足立老師のことば
まず、お寺に檀家の方なり、地域の方なり、誰かが訪ねてきたら、とにかく、お茶でも出して、こちらは、今まで僧堂で修行してきた坐禅の要領で肩の力を抜いてゆったりと、丹田に気力を充たしてどっしりと落ち着いて坐る。余計な力を抜いて体を楽にして、向こうの言うことをとにかく聞きなさいというのが第一番。
そして話しかけられたら只ひたすら、「ああそう」、「ああそう」と聞き役に徹しなさいということです。
まずひとつめの言葉は「ああ、そう」、これだけでいくらでも話を聞ける。
うれしい話ならば、最後全部話し終わったときに、「よかったね」と言って喜んであげる。がつらい話、苦しい事ならば、話し終わった後に、「困ったね」と言ってあげる。
この「ああそう」と「こまったね」と「よかったね」の三つの言葉で済む。

老師「力の無い者がべらべらしゃべるとろくな事はないと付け加えるものですから、私などもいつもお話を聞くたびに冷や汗をかいていたものです。」

■2ー1.『こころの処方箋』巻末の谷川俊太郎「三つの言葉」
「自分ではどうあがいても分からない大事なことを、河合さんなら分かってるだろうと思って尋ねると、まず「難しいですなあ」という答えが返ってくる。
難しいことはこちらも先刻承知だから、どうしてももう一押ししたくなる。
すると「分かりませんなあ」ということになる。
それでがっくりくるかというと、それがそうでもないのだから妙だ。
むしろ安心すると言えばいいのだろうか。」

質問している方が安心しているのだから、問題は結構、解決しているのだろう。
この日記では、聞く側の話なので、これ以上のことはない。言う側でみると面白い。

■2-2.『こころの処方箋』第一章「人の心などわかるはずがない」
谷川俊太郎「三つの言葉」の解決がここで与えられる。

「臨床心理学などということを専門にしていると、他人の心がすぐわかるのではないか、とよく言われる。~しかし、実のところは、一般の予想とは反対に、私は人の心などわかるはずがないと思っているのである。」

谷川さん「安易に答えを出すよりも、まず「分からない」と思う方が答えに近づく近道だということを、私は納得する。~難しいですなあ」という言葉にも、「分かりませんなあ」と同じようなことが言えよう。~私たちはかえって励まされるのだ。~難しいからあきらめるのではなく、難しいからこそ難しさの密林にわけいって行く、そこに生きることの手応えがある、そんなふうに私たちは感じる」と、言う側の立場である。

「感激しました」という言葉
分からないからこそ、難しいからこそ、些細な気づきに感激する。
ここでは、聞く側のこととして書いているが、2つ目の段階で言う側、聞く側の感情は一致しており、この3つめに至っては双方で同じタイミング、機があるのではなかろうか。

■3.『こころの処方箋』「説教の効果はその長さと反比例する」章
「いわゆる「説教」というものは、もともとあまり効果のあがらぬものである。」
「それはまず、説教で語られる話が、何といっても「よい」話には違いないので、話をしている本人が自己陶酔するので長くなるようである。平素の自分の行為の方は棚上げしておいて、「よいこと」を話していると、いかにも自分が素晴らしい人間であるかのような錯覚も起こってくるので、なかなか止められない。」

なるほど、「分からないからこそ、難しいからこそ、些細な気づきに感激する」ということが成立しなくなる。

■河合隼雄(wikipediaより)
日本の心理学者。教育学博士。京都大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授。文化功労者。元文化庁長官。国行政改革会議委員。専門は分析心理学、臨床心理学、日本文化。 兵庫県多紀郡篠山町出身。日本人として初めてユング研究所にてユング派分析家の資格を取得し、日本における分析心理学の普及・実践に貢献した。

■「三つの言葉でいい」2023/9/24で出てきた観音様
老師はこの日記で「相手の話を親身になって聴いてあげることができたら、その人は、観音様だと言って良いでしょう」という。
今日の日記も、聞くことの話なのだが、これで以前、「北の菩薩」という坪崎美佐雄さんの話があった。2回あって、関連する大阪の市役所の人の話もあった。この聞くことについての、菩薩観ということだろう。

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