本の廃棄を検討する 16
世の中には色々な人の色々な事情がある。
色々な事情が、色々な人を作っている、とも言える。
だから、1年単位で見る見方。5年単位で見る見方、10年単位で見る見方、100年単位で見る見方。色々していかなければ、いけないと思う。真面目すぎるだろうか。
メディアも、同じように、何年先を見据えるかによって、報道の姿勢が変わる。本も、何年単位で書かれたものかを考えて選んでいく必要があるか。
小林千草『伊達政宗、最期の日々』(講談社現代新書 2010)
政宗というとどうしても、「戦国無双」のワンシーンを思い出す。小田原に着到した政宗が白装束で秀吉の前に出て、「遅参の儀、御免なれ」とかなんとか言うと、秀吉は持っていた扇を政宗の首筋に当てる。政宗からはそれが刃をたてられたように見え、「もう少し遅ければお主の首が飛んでいたところだ」みたいなことを言う。
私は謙信びいきの地域の妻といるため、謙信よりの地域を贔屓することが多いのだが、だからと言って妻は景勝が好きなわけではなく、大河ドラマで一番好きなのはと聞くと「独眼竜政宗」と答える。政宗は景勝の、ひいては上杉家の敵ではないかと言ったら、「景勝も直江も中越の人だから」とローカルな感性を安易に口にする。なんともはや。
実は政宗のことは、よくわからない。なので、ひとまずは捨てずに興味が出たところで読むことにする。
浅野和生『イスタンブールの大聖堂』(中公新書 2003)
一見、タイトルからは、中身が想像できなかった本。聖ソフィア大聖堂を軸に、ビザンツ帝国の歴史を概覧しようとする書籍で、紀行文ではない。歴史散歩の趣がある。いつ買ったのか覚えていないが、ビザンツ帝国にハマっていたことがあったので、その時分だと思う。
ビザンチウム、コンスタンチノープル、イスタンブール。「飛んでイスタンブール」という歌が、幼い私に変な郷愁を植え付けた。「異邦人」という歌もまた、同じ効果をもたらした。また、PCゲームに「エグザイル」というものがあり、PC世代の私はプレイした。しかし、このエンディングはヤバかった。今思えば、2000年以降の世界を予測していた。
ビザンツ帝国ファンなので、ひとまず捨てません。
南博監修+犬田充『消費の思想 大衆社会を動かすもの』(日経新書 1967)
ずいぶん古い本を拾ってきたものだった。南博という人は大衆社会論の大家で、私もまた大衆社会のメカニズムを軸にした歴史を知りたかった。戦後以降は、個人を対象にする研究ではなく、近代社会のメカニズムが生み出すものを主語にして歴史を編まねばならなかったからだ。
南博ファンなので、これも捨てられないのだが、案外私の選書はファンだから持ってるという場合が多い。ファンの場合は検討要らなくない?
星亮一『大鳥圭介 幕府歩兵隊、連戦連敗の勝者』(中公新書 2011)
私の両親は東北人なので、私もどうも会津びいきなところがあるが、最近はそれほどでもない。一時期はずいぶん旧幕軍のことを知ろうとして、中村彰彦、星亮一文献を買いあさったものだが、よっぽど腹に据えかねた御仁が私の上に君臨していたと見える。
そんな旧幕軍の中で、いささか戦績の思わしくない大鳥圭介。どうにも、ヒロイックな投影を許さない負けっぷりが心地いい。ただ、晩年については、全然知らなかったので、この本でそれを知ってよかったと思う。明快な評伝はあれども、簡便な類書はないので、捨てないでおきたい。
池田満寿夫『模倣と創造 偏見のなかの日本現代美術』(中公新書 1973 第3刷)
長野県に住んでいた時、池田満寿夫美術館に行ったことがある。松代にあった。けれども2017年に閉館してしまったという。たいへんに残念だが、私にはお金もないし、なにもできない。ただ、喪失感をうちに秘めたまま、生きるだけである。
これは池田満寿夫の本を集めようとして、途中でやめてしまったことを思い出させる新書である。池田氏は著作も多く、美術家の中では、多弁な人だった。昔の新書っぽく、「あとがき」がない。池田氏のエッセイはすべてこれあとがきのようだから、要らないとでもいうのか。慣例か。よくわからない。
いずれにしても、いつかは池田満寿夫本を集めるときがくるかもしれない。それまでとっておく。
色川大吉『自由民権』(岩波新書 2005 第8刷)
浜松の古本屋の値札がついていた。7年間くらい定期的に浜松に仕事に行っていたときに買ったもののようだ。なぜわざわざ浜松で色川大吉を買ったのはよく覚えていないが、1週間ほど泊まり込みだったりしたので、せめて日本史の本が読みたいとか思ったのかもしれない。
ただ、そうはいっても仕事が終われば、わりと時間は自由だったので、長篠に行ったり、奥三河なるところを回ったり、不思議な形の渥美半島を見学したり、豊田市にあったワイナリーを訪問してみたりと、ずいぶん楽しかった。
代々木出身で浜松に出向していた人からは、何がそんなに楽しいんですか、と言われたけれども、広くて、温かくて良いじゃん、と中田島砂丘で述べた気がする。この時期、静岡、掛川、磐田、浜松あたりをぐるぐるしていたが、時々来るとコンパクトで楽しい街だった。
『自由民権』は私の先生の一人の研究テーマだったので、まあ、まだ捨てずにおいてみる。
ジェラール・マルジョン『100語でわかるワイン』(白水社文庫クセジュ 2010)
ワイン関連本収集の一環で買った本。最初の数ページを読んで「マランゴニ効果」という言葉を知った。原著が2009年のものなので、ひとまずは2009年頃の内容なんだろうと思って読んでいた。すぐに変わっちゃうものですからね、ワイン本の内容は。
本を読むよりワインを飲んだ方がいいんじゃないかと言われることもあるけれど、一度試飲会に参加して、全部、試飲したら酔いつぶれたので、その程度のアルコールへの強さということである。なので、なかなか少量であってもたくさんを飲むことはできない。瓶を一日で消費するなんてもってのほかである。三日かかる。そのくせ、たくさん買うのだから、たまっていく一方。
妻には、本かワインか、どちらかを捨てる、と言われている。ワイン本は捨てないで~。
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以上、今回もまた、ただの思い出話に終始した。
申し訳ない。
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