田山花袋『温泉めぐり』
温泉が好きだが、実は温泉に行ったことは少ない。
これは、カフェも好きだが実はあまり経験がないことに似ている。
もちろん、これは自分の収集癖に鑑みての話であって、温泉があまり好きではない人からすると行ったことは多いのかもしれない。ただ、自分比で考えると、温泉にたくさん行ったことがあると自負できる気持ちはない。
こうした体験も、今やただ収集するだけではなく、それを他者へと開示することができる。コレクターはやはり、それを他人に見せびらかしてこそ、でもある。しかし、見せびらかすにも仁義ありで、うまい見せびらかし方が見当たらない。
特に文章でそれを表現して、読んでもらうにはどうしたらいいか。
新幹線に乗ってトランヴェールなどを開いては、学ぼうとしてみるが、これといった先達が見当たらない。しかし、あるとき、先達を見つけた。それがK,A,T,A,I,T,A,Y,A,M,A、田山花袋である。『温泉めぐり』と題された、温泉エッセイ集は、私のバイブルの一つである。ただ、バイブルが二つも三つもあっては、クリスチャンにたしなめられてしまうかもしれない。
田山花袋といえば、蒲団。蒲団といえば、田山花袋。しかし、田舎教師もまた花袋の代表作である。昔、予備校の先生が、「今日、電車に乗っていたら高校生が田舎教師を読んでいたんだよ。田舎教師だよ。俺はそんな世界を信用しない」と言っていた。
今、思えば、高校生で田舎教師を読んでいるというのは、当時としてもレアキャラであり、田山が好きで読んでいるというよりは、文学史を一つ一つ潰していたのだと思う。だとすれば、頼もしいことではないだろうか。今や、誰も電車の中で田舎教師どころか、本も読まないのだから。
そんな私も田舎教師は途中で読むのをやめた。なぜかはわからない。なんとなく田山花袋の文章は人を面倒な気持ちにさせるのではないだろうか。そして、「誰々を文豪に例えるなら誰〜?ゲーム」において、私は常に田山花袋、中上健次、そして西村賢太と言われる。ただ、太っているだけだろう。そのせいで、私が苦手にしている文学者は、吉行淳之介になっている。
そんな近親憎悪のせいで、田山花袋とは不幸なすれ違い方をしているが、『温泉めぐり』のおかげで花袋と邂逅した。そして、羽生イオンというよくわからない場所で、田山花袋フェアにめぐり会えたことで、再度私は田山と触れ合うことができたのである。
埼玉県の羽生市という町がある。羽生といえば、結弦。羽入といえば、『ひぐらしの鳴く頃に』だが、埼玉県の北東部にある市が羽生市だ。はぶ、ではない、はにゅう、である。利根川を挟んで北が花袋の生まれた群馬県館林市である。その館林から花袋が羽生市に、田舎教師のモデルとなった小林秀三の取材で逗留した縁で、なぜか花袋が羽生市でも祀られているのであった。
そんな花袋フェアに、幸運にも参加し得たというわけである。
そんな羽生がなぜ『温泉めぐり』と行き合うのかというと、羽生市を起点として、温泉に向かうシーンがあるからである。
この「O君」が太田玉茗であり、妻の兄であり、「野の寺」は羽生市に今もある建福寺の住職であった人物である。そこから群馬県の太田市にある藪塚温泉を目指すのであった。
でも羽生市から藪塚って結構遠くない?と思ったら、徒歩で7時間と出た。
えっ、何で行くの?と思ったら、すでにこの時期に東武線が「相生」(現在の相老?)まで伸びていて、その途中に藪塚の駅があって、人に知られるようになったと書かれている。藪塚駅の開業は1912年なんですね。
一時間ほどの旅のようです。
何が面白いのかわからないといえばわからないけど、かなり鄙びた温泉であった当時の藪塚温泉を、その野趣が面白いといってのける花袋先生の手つきは何とも面白いものである。でも、ちょっと花袋のコメントが引用できないくらい微妙。冷鉱泉で、沸かして入って、湯量もほとんどないみたいですが、薬効が強くて、湯量が少なく、風呂も小さい割に人がたくさん来ると花袋は言ってます。
とはいえ、今の藪塚温泉は、案外大きな規模のホテルなんかもあるんですね(よく調べたら閉業しているっぽい)。大丈夫だろうか。私のように、人の少ないところに行きたい向きにとっては、好都合だけれども、昨今、温泉場で社員旅行とかもないわけだから、やっていけているのか心配である。
太田は金山城にしか行ったことはないが、今度スネークを見に行くついでに温泉に行ってみようと思った。
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