エスカルゴ

「おとうさん、これなあに?」
6歳のユウヤは、エスカルゴを前にして目を丸くしていた。
「かたつむりだよ」
「へー。一個食べてみていい?」
「熱いから気をつけてな」
「美味しい!」

ユウヤは最近、私と一緒に食事をすることを避ける。
時折、一緒に座ることはあるが、いつもスマホを片手にもち、私と眼を合わせることは少なくなった。
「なあ、食卓に座ったときは、お話しながら食べようよ」と言っても黙ってスマホを裏返すだけ。

ユウヤは転ぶとよく頭を打った。
ベッドから転がって、窓枠の角に頭をぶつけ、7針縫う大けがを負ったとき、私は目黒のホテルで映画の解説をしていた。
慌てて深夜に高速を飛ばして帰宅すると、手術の終わったユウヤはスヤスヤと就寝中だった。

「ユウヤ、久しぶりにサイゼリヤに行かないか」

ユウヤは偏食で、麺しか食べられない時期があった。
なぜか、えずいて吐いてしまう。
なぜ吐いてしまうのだろう。
妻は仕事で何日も家を空けることがあった。
二人で何度もサイゼリヤに行った。

「おかあさん、いつ帰ってくるの?」
「たぶん一週間後かな」
「おかあさん、あんまり家にいないね」
「そうだね」

ユウヤが私に対して距離を置き始めたのは、中学校に入ってすぐだった。
なぜかはわからない。
思春期によくある反抗期だと思った。
反抗自体が目的ではなく、何かを耐えるために沈黙しているように見えた。
破裂してしまうのを抑えてじっと我慢しているかのようだった。

ユウヤは承諾した。
意外だった。
最寄りのサイゼリヤには歩いていけた。

「エスカルゴ食べようか」
「うん」
「どうして、おとうさんと話をしてくれないんだ?」
「昔、お父さんと一緒にエスカルゴを食べた時、僕は虫を食べているの?と聞いたよね。でも、お父さんは、これは貝だ、陸上の貝だと言った。貝なんだ。それから僕は貝が好きになった。」
「そんなことあったかな」
「僕は全部食べてしまった。お父さんは、いつもピザをくれて、その耳だけもらって、残り汁をつけて食べていた。それで満足なの?本当に。」
「ああ、お父さんは、それで十分だ」

「お母さんが長く家を空けている時、おとうさんと一緒にサイゼリヤに行って、最初から順番に頼んでみようってなったときがあったよね。それで、お前が食べられるものをカウントして行こうって。僕はそれで、ほうれんそうも食べられるようになったし、小エビも好きだということがわかった。タラコはアレルギーが出ちゃうけど、カルボナーラはよかった。そして何より、玉ねぎがパスタに入っていないレシピが多いことに気づいた。僕は、玉ねぎの匂いが苦手だったんだ。ほんの少しでも。でもオイルで隠されてると食べられる。それがエスカルゴだったんだ。」
「うん」

ユウヤが六年生のころに、妻は家を出て行った。
理由はわからない。
私にとっては、それまでもそれからも、さほど変わりのない時間が流れている。
変ったのは、ユウヤが私と話さなくなったことだ。
けれど、今日のユウヤは少しだけ違う。
話してくれる。

妻がいなくなって、目に見えて生活が苦しくなった。
だからユウヤは私立中学を諦め、公立一貫校に志望を変え、合格した。
喜ばしいことなのに、ユウヤの顔は浮かなかった。

「ほら、エスカルゴが来たぞ」
「おとうさんもエスカルゴたまには食べてみない?」
「いや、おとうさんは耳でいいよ。ピザ、頼まないか?」
「ダメ、今回は一個だけ食べてみて!」
「わかった」
「熱いから、気をつけて」

実はかたつむりの形が苦手なのだ。
意を決して、口に入れた。
思ったよりも、甘い。
そして、旨味がじんわりと広がって、オイルの熱が口腔内を満たした。

「熱!」
「だから、言ったじゃない。おとうさんがいつも熱いから気をつけろっていってたよ。」

ユウヤは笑顔を浮かべた。

「ユウヤごめんな、お父さんは自分が我慢してれば、皆が幸せになるのだと思い込んでいたかもしれない」

ユウヤは、カルボナーラをもくもくと食べていた。

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