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チーバ君の鼻の先 〜野田市関宿を訪ねて〜

今日の会議が反故になったので有給をとって、おっさんのどうでもいいブログの中では割と読んでもらっている近郊ぶらり旅を挙行することにして、千葉県野田市関宿を訪ねてみることにしました。

関宿って千葉県のどこかと言いますと、千葉県を象ったキャラクター「チーバ君」の鼻の先端にある地域です。

チーバ君の鼻

昔、関宿藩があった場所です。ちなみに幕末好きな人ならおそらくは知っている「坂下門外の変」で襲撃された磐城平藩の安藤信正と一緒に老中をしていた久世広周の久世家の藩が関宿藩になります。若干長い因縁ですね。

ちなみに久世広周は、安政の大獄に反対して失脚したのち、安藤信正とともに再度登用され公武合体路線をとっていきます。私は安藤信正と久世広周の路線は穏当な保守路線だと思っているので、割と評価している人物ですが、どうも旗色が悪いですね。

ちょうど利根川と江戸川が別れるあたりにあった藩で、当然ながら要衝であり、それゆえに重職が与えられていたようです。

水運が盛んだった頃は、大変栄えていた地域なのですが、陸路が主になりますと、やはり活気は失せ、今では野田市の一部になり、のんびりとした空気を切り裂いて、大きな物流トラックが駆け抜けていきます。

江戸川付近は、菜の花が咲き誇っておりますので、この季節に訪ねるのは悪くないですね。

菜の花がいっぱい

さて、埼玉側から関宿に入ろうとすると幸手なる市から関宿橋を通っていくしかありません。

関宿橋

関宿橋を撮影して、駐車場に戻ったのですが、結構な距離でありまして。大河にかかる橋というのは悩ましいものでありますね。

いずれにいたしましても、北側から数えて江戸川に最初にかかる橋が関宿橋です。

ちなみに関宿は「せきじゅく」と読むのではなく「せきやど」と読むようです。「せきじゅく」だと私の予測変換で「関宿」は出てきません。

そんな渋いチルアウトなスポットでもある関宿ですが、観光スポットとして唯一の施設が関宿城博物館です。天守閣が模造された建物の中に、関宿の歴史、藩の歴史、水運治水の歴史が詰まっております。

模してるけど割といい

ただ、その前に、城の後ろには日本庭園なるものがあり、その周囲には公園が配置され、そしてチーバ君の鼻の先へと続く道が…?

県境表示

あれ、俺今どこにいるんでしたっけ?

あれ?鼻の先は…

私が立っていたのは関宿城博物館の裏手、そこに茨城県と千葉県の県境表示があって、そうかチーバ君の鼻の先は茨城県だったのか!と理解しました。というか、公園を斜めに県境が突っ切っているんですね。管理はどういう仕方なんだろう…?

そんな行政区域の事情なんかの詮索はやめて、風景を見ることにしましょう。

チーバ君の鼻先はこっち

この方向がチーバ君の鼻先が向いている方向です。いけるのか行けないのかよくわからなかったな。ちょっと微妙だったので、今日は様子を見るだけにとどめました。

関宿城博物館は入館料大人200円、ふところに優しいですね。

入り口、しっかりしてる

地上4階建で、4階が展望台になっており、晴れている日は四方に筑波山、加波山、男体山、赤城山、浅間山、富士山が見えるようです。

北東方面

あいにく今日は見られませんでした。筑波山、男体山方面です。

昔の暮らし、関宿藩の歴史、治水の歴史など、盛りだくさんで、200円でお腹いっぱいになりますが、あんまり興味ないかな?

喜ぶ子ども

写真は今の期間は撮ってもよく、SNSへの掲載もオッケーとありましたので、明治40年の水害の時の絵で、中央に抱かれている子どもが明日嬉しそうなのが、心に響きますね。なんというか、ZAZENBOYSの「自問自答」ですね。「ガキが笑う ガキが笑う この世の全てを何も知らず♫」。

明治43年が気になる

低水工事と高水工事の区別なんて知りませんでした。水運よりも治水への転換は、鉄道敷設の方針と密接に関わっているのでしょう。

水の都

水の都も悪くはなさそうですよね。誰かパラレル世界で作ってくれないかしらん。流山には、水木しげるの『近藤勇』と絡めて、近々に行ってみたいですし、我孫子の手賀沼には志賀直哉の「雪の日」と絡めて、これまた近々に行ってみたいですね。

唐箕

唐箕もありました。風を送って重さで、玄米、不良米、籾殻に分けてく文明の利器です。

テストで出てきたのに原理を知らない俺

資料館を堪能した私は、とりあえず城跡を目指しますが、結構狭くて人がいません。

文字が剥がれてる

うっそうとして、ちょっと怖めです。

有マス

帰りに、博物館のふもとにある食事処兼土産屋で、特産品である高菜漬を買いました。市販の感じでもいいや、と思っていたのですが、手作り風なのが好感度。いやすみません、手作りなんだと思います。550円。

さて、実は博物館だけではなく、関宿にはもう一人偉人がいます。

鈴木貫太郎翁

終戦内閣の海軍大将・鈴木貫太郎です。二・二六事件で「遭難」(「難に遭う」という意味で使ってます)したものの急死に一生を得て、ポツダム宣言を受諾するという汚名を着る役を果たします。幕引きが上手な人は私、評価してます。

鈴木邸跡

水沢市に行った時、三偉人として顕彰されている、高野長英、後藤新平、斎藤実のうち斎藤家に残されている血染めの服を見たのですが、鈴木貫太郎もまた難にあっていたことを思い出して、一度来てみたいと思っていたのでした。

1発は体に残ってた

博物館から少し戻ったところに記念館はあるのですが、月木休み!アイター、ということで別の日リベンジを誓いました。ちなみに無料です。駐車場も隣にあります。

ところで、鈴木貫太郎さんは、総理の出身地として大阪府にカウントされています。生まれは河内だったようなので。しかし、です。実はその出生地、関宿藩の飛地で、そこで鈴木貫太郎さんは生まれているという。これは、千葉県の出身ですか?大阪府の出身ですか?悩ましいところでもあります。そもそもなんでここに飛地があったのか、これは謎ですね。

えーっ、飛地!

今日得た気づきは二つあります。

一つは、チーバ君の鼻の先は茨城県だったこと。

もう一つは、大阪府出身の総理でカウントされている鈴木貫太郎は、関宿藩の飛地で生まれていること。それってある意味で千葉県出身…?

世の中には、結構悩ましいことが多くあるのですね。

帰りは、道の駅五霞によって、葉物野菜を買って帰りました。

道の駅五霞

やっぱ、高菜が名産なんですかね。

左が高菜漬け、右が子持ち高菜

さようなら菜の花。またいずれ関宿。

今の季節はいいですね

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