【創作】大野修理奇譚 1
筆者がかつて前田という会社役員と懇意にしていたころの話である。
前田氏は、戦国の世について、並々ならぬ関心を抱いていた。どうやら、彼の家系には先祖代々伝わる伝承のようなものがあって、それをみだりに人に言ってはいけないということを幼いころから言い含められているらしかった。
「前田、というわけですから、金沢百万石と何らかの関係があるということでしょうか。」
筆者もまた新田家を先祖に持つと言い聞かされてきた。独自にたどったところによると1770年代までさかのぼれるものの、それ以上はどうにも創作の域を出ない系図を持っている。そんなことを前田氏に言うと、声を潜めて、「今度、家に来てください」と言われた。
前田氏とは歴史の話が出来たので、秘蔵のウィスキーでも持って、伺いますよと答えておいた。私も、少し楽しみだった。
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その日は比較的早くやってきた。
前田氏と待ち合わせて、墨田区八広の彼の家に向かった。墨田区の北側にはあまり立ち寄ったことがなかったので、物珍しく風景を眺めた。どことなく、ぼんやりと下町が残っている空気感が、心地よかった。
前田氏の家は広かった。お屋敷と言うほどではなかったが、やや低い平坦な土地に、庭付きの邸宅があった。周囲は、小さな家ばかりだったので、彼が会社役員であるということを差し引いても、ある種の家柄があることを感じさせた。
前田氏と筆者が応接に入り、ビールで乾杯したあと、お手伝いさんのような女性がとある日記を持ってきた。その日記には『修理奇譚』と書かれていた。かなりの年代もので、くずし字がそれなりに読める筆者といえども、微妙にわからないところがあった。江戸末期から明治初期にかけての写本のように見えた。
前田氏は、とつとつと話しはじめた。
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私の姓の前田は、利家の前田家ではないのです。前田は前田でも、彦右衛門です。知っていますか?前田彦右衛門を。そうでしょう。実は彦右衛門、大野修理、一般的には大野治長で通っておりますが、その修理の命によって、千姫を大阪城から逃した人物なのです。私は、その彦右衛門の家系の18代目にあたります。
戦国から続く家系のご子孫は、ときどきお会いします。仁科さん、結城さんなど、もちろん血脈は養子をとったりなんだりで途絶えているのでしょうが、案外現代でも続いておられるのだな、とびっくりしたことも多いです。私も、彦右衛門の家系ということで、そうしたお話をしたりしますが、千姫を大阪城から逃した人物というのは、まだ歴史上確定してないそうなのですね。一笑に付されて終わってしまうことも多々ありました。
彦右衛門は、千姫をとにかく命からがら逃したあと、家康から赦免令を出され、功ということで、余生を送れるほどの禄をいただき、それを元手に細々と家を存続させてきたらしいんです。
この『修理奇譚』と題された日記には、彦右衛門が記した冬の陣、夏の陣の全容が書かれているようです。「修理奇譚」というのは、語り継がれた伝承にタイトルを幕末につけた先祖がいるようなんですね。内容は、大野修理、すなわち治長に関する物語のようなんです。
私も祖母から、徳川の治世の中でつけられた悪評が、今の今まで残っており、あまりにも『奇譚』の中に書かれている史実と違い過ぎる、と聞かされてきました。ただ、私は素養がなくて、この文字がわかりません。もし、よければ、読んではいただけないでしょうか。
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私は、少し躊躇したが、意を決してうなずいた。どの程度の見解の相違があるのだろうか、と興味がわいたからである。思えば、武田家にも、勝頼の最期に際して、御坂の方から山越えをして、武蔵まで落ち延びた女子どもたちがいるという話もあったりして、何がどう現代に続いているのかわからない。これも、その類なのだとすると、興味深いではないか。
「少し、お時間をください。仕事の関係で、日曜日くらいしか、読解に時間をかけられませんが、ざっとでも読み通して差し上げます。ただ、みだりに人に言っていけないという戒めについては、大丈夫なのでしょうか。」
「もう、そういう時代ではないと、私は思います。せっかくですので、私も、それを知りたい。子どももない身ですからね。前田彦右衛門の伝承も、ここで絶えるわけです。絶えるならば、いっそ、知って絶えたい、そう思ったのです。家訓を破って、誰かに叱られるということも、母が亡くなって、ないわけですからね。」
「それであれば、わかりました。少しずつではありますが、現代語訳して、お持ちします。その時は、それを肴にして、飲みましょう。」
「いいですね、約束ですよ」
前田氏と笑って別れたが、それが前田氏との最後の会話となった。私が書籍を預かって二週間もたたないころに、前田氏は急に調子を崩し、アレよアレよと言う間に亡くなってしまったからである。
前田氏の訃報を伝えてくれたのは、あの時に家にいたお手伝いさんであった。彼女は、福井に実家があり、前田氏の最期をみとって、実家に帰ったそうだ。住所が書かれていなかったので、彼女とは連絡がとれない。
前田氏の形見として、私の手元には『修理奇譚』が残った。前田氏が病気になったのは、この手記の存在をみだりに人に言ったからなのだろうか。ただ、彼も妻も子もいなかったら、毎晩不摂生をしていたことは確かである。肝臓か膵臓かの癌の進行が早く、気づいたときには入院をして、そのまま亡くなってしまったわけだから、誰かが作為をもたらした痕跡もなさそうだ。
それにしても前田氏の家系が沈黙していた理由はなんだろう。それはこの『奇譚』に書かれているのだろうが、読んでしまったときに、何か起こるとでもいうのだろうか。
いずれにしても、私は前田氏の供養のつもりで、この『奇譚』を読んでいくことに決めた。
(続く)