乱歩の歩み
江戸川乱歩は
1894(明治27)年、三重県名張町に生まれ
1912(明治45)年、愛知県立第五中学を卒業
同年8月、早稲田大学予科に中途入学
1916(大正5)年、政治経済学部を卒業
各種職業を転々
1923(大正12)年4月、「二銭銅貨」を『新青年』に発表
簡単に言うと、このような形でデビューを飾った。
*
「各種職業を転々」の部分を拡大すると、
1916(大正5)年8月 大阪市の貿易会社加藤洋行に勤務
1917(大正6)年5月 放浪の旅に出る
1917(大正6)年7月 失業
タイプライター販売員
1917(大正6)年11月 三重県にて鳥羽造船所電機部社員
辞職、上京
1919(大正8)年2月 弟二人と本郷駒込林町に古本屋「三人書房」
1919(大正8)年7月 「東京パック」の編集人
1919(大正8)年11月 中華そば屋開業
1920(大正9)年2月 東京市役所社会局吏員
1920(大正9)年10月 古本屋を廃業 → 大阪時事新報記者
上京
1921(大正10)年4月 日本工人倶楽部書記長
1922(大正11)年2月 工人倶楽部勤務の傍ら郊北化学研究所支配人
1922(大正11)年8月 辞職
1922(大正11)年12月 大橋弁護士事務所勤務
となる。
大変な時期である。
*
29歳で『新青年』に発表した「二銭銅貨」だけれども、すぐに職業作家になれたわけではない。
1923(大正12)年7月 大橋弁護士事務所、辞職
大阪毎日新聞社広告部 入社
1924(大正13)年11月 大阪毎日新聞社広告部 辞職
1926(大正15/昭和元)1月 東京へ居を移す → 作家一本で行くことを決意
この時期、短編小説を多産する
1927(昭和2)年3月 休筆を決断 → 下宿屋を営む → 二度目の放浪の旅
1928(昭和3)年3月 下宿屋の権利を売却
*
「短編小説を多産」の部分を拡大すると
1923(大正12)年4月 「二銭銅貨」(『新青年』4月号)
1923(大正12)年7月 「一枚の切符」(『新青年』7月号)
9月 関東大震災
1923(大正12)年10月 「恐ろしき錯誤」(『新青年』10月号)
1924(大正13)年6月 「二癈人」(『新青年』6月号)
1924(大正13)年10月 「双生児」(『新青年』10月号)
1925(大正14)年1月 「D坂の殺人事件」(『新青年』1月号)
1925(大正14)年2月 「心理試験」(『新青年』2月号)
1925(大正14)年3月 「黒手組」(『新青年』3月号)
1925(大正14)年3月 「日記帳」(『写真報知』3月15日号)
1925(大正14)年4月 「赤い部屋」(『新青年』4月号)
1925(大正14)年4月 「算盤が恋を語る話」(『写真報知』4月号)
1925(大正14)年5月 「幽霊」(『新青年』5月号)
1925(大正14)年5月「盗難」(『写真報知』5月号)
1925(大正14)年7月 「白昼夢」「指環」(『新青年』7月号)
「夢遊病者の死」
1925(大正14)年7月 『心理試験』(春陽堂)刊行
1925(大正14)年7月 「百面相役者」(『写真報知』7月15日号)
1925(大正14)年8月 「屋根裏の散歩者」(『新青年』夏期増刊号)
「一人二役」「疑惑」
1925(大正14)年10月 「人間椅子」(『苦楽』10月号)
1925(大正14)年12月 「接吻」(『映画と探偵』創刊号)
1926(大正15)1月 『屋根裏の散歩者』(春陽堂)刊行
1926(大正15)1月 「毒草」(『探偵文芸』1月号)
「湖畔邸事件」(『サンデー毎日』)連載開始
「闇に蠢く」(『苦楽』)連載開始
「二人の探偵作家」(『写真報知』未完 →のちに「空気男」)連載開始
1926(大正15)年1月 「踊る一寸法師」(『新青年』1月号)
1926(大正15)4月 「火星の運河」(『新青年』4月号)
1926(大正15)7月 「お勢登場」(『大衆文藝』7月号)
1926(大正15)9月 『湖畔亭事件』(春陽堂)刊行
1926(大正15)10月 「鏡地獄」(『大衆文藝』10月号)
1926(大正15)10月 「木馬は廻る」(『探偵趣味』10月号)
1926(大正15)10月 「人でなしの恋」(『サンデー毎日』10月号)
1926(大正15)年10月 「パノラマ島奇譚」連載開始(『新青年』10月号〜翌年4月)
1926(昭和元)年12月 「一寸法師」連載開始(『朝日新聞』~翌2月)
1927(昭和2)年3月 金融恐慌
1927(昭和2)年3月 「一寸法師」映画化 → 原作に嫌気がさし、休筆
『江戸川乱歩集』(平凡社)刊行
こんな感じ。
微妙に、歯抜けの部分があるけれど。
*
『新青年』『苦楽』『大衆文藝』『探偵趣味』、そして『朝日新聞』という媒体に掲載される。
雑誌の創刊年もまとめていく。新興雑誌が、乱歩らの作品を受け入れていった、という経緯がわかる。
1920(大正9)年 『新青年』創刊(森下雨村)
1922(大正11)年 『サンデー毎日』創刊
1923(大正12)年 『苦楽』創刊(直木三十五)
1923(大正12)年 『週刊写真報知』創刊
1925(大正14)年 『探偵趣味』創刊(春日野緑・江戸川乱歩・横溝正史ら)
1925(大正14)年 『映画と探偵』創刊
1926(大正15)年 『大衆文藝』創刊(江戸川乱歩・白井喬二らの同人誌)
小説の分野においても、分化が進み、ジャンル的多様性が生まれつつあった。
どうでもいいけれど、『苦楽』は、山名文夫の挿絵で、私は触れたことがはじめ。
山名はのちに資生堂のイラストを描く。
*
ただの整理。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?