【創作】大野修理奇譚 5
駿府では、動きが慌ただしかった。
軍議の中で誰かが言った。
「大野主馬がふたたび天下を狙おうとしているようです。ここで完全に息の根を止めましょう。それにしても、身の程を知らない奴ですな。」
家康は、答えた。
「主馬(治房)ならばな。上方では、治長が殺されたともっぱらの噂になっている。これが修理(治長)ならば、話は違うぞ。彼が天下を望むというのも、一概に僭上とはいえぬ。凡そ天下を取るというものは、その武勇ばかりに由るものではない。おのずから定まった生れ合いに由るものだ。」
修理は生きているのか…?
家康は遠くを見た。
*
治長は、治療の甲斐あって、一命を取り留めた。その間、治房を中心に戦闘準備は進められ、徳川方を迎え撃つ算段が整えられていた。
怪我を押して、治長は登城した。そこには治房、信繁以下、大和、紀伊方面から迫る軍勢をどのように破るかを議論していた。
自分が除け者になっていることを理解した治長は、淀殿のところへ行った。
「おお、修理、無事だったか。」
「無事というにはいささか傷は深く、歩くのも手間だ。」
「もはや、これまでだろう。充分だ。修理、いままでありがとう。」
「弱音を吐かれますな。」
「小谷城落城から40年余。ずいぶん、永らえた。」
「一緒に行きましょうか」
「そうしよう」
*
戦端が開かれた。
後藤基次は討死、明石全登も行方知れず。
真田は、敵陣に切り込み、家康の首級だけを狙う。
治房、勝永は、必死で持ちこたえている。
木村も討死。盛親は行方知れず。
あとは、秀頼を戦場へ駆り出して、見事な討死をしてみせようか。
「秀頼様、ご出陣を」
怪我の具合が思わしくない。
けれど、我々が行くことで、千姫と淀殿は助かるかもしれない。
秀頼は動かない。
「秀頼様。先に行きますぞ。」
治長は、久々に戦場へ出た。すでに50歳。昔のようには動けない。怪我もしている。だが、秀頼様が動けば、徳川方の中にも動揺が走ろう。
「先に行ってますぞ」
治長は出陣した。しばらく行くと、すでに徳川方の軍勢がそこまで迫っていた。勝永隊と治房隊を援護して、治長は奮戦した。しかし、他勢に無勢であった。投石を、古傷に受けた。治房が城内へと退却を果たすのを見届けて、治長も後退した。傷からは血が滲み出ている。
「前田彦右衛門はいるか!」
「はっ、ここに」
治長は、耳打ちした。
「千姫と天秀尼、そして、もう一人を城から出して、家康のもとに届けてほしい。すでに手筈は整えてある。」
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家康は、文を受け取り、顔を曇らせた。
「律儀なやつではあるが、それならどうして、応じなかったか。」
家康は常に生き延びようとしてきた。もう生きるのにも疲れた、という淀殿とそれに殉じた治長の気持ちはわからない。しかし、秀頼に嫁いだ孫娘が帰ってくるのは、歓迎すべきことであった。
「この戦役で、忠義者と不忠義者が判明した。治長、そなたは、わしの味方だったのか、敵だったのか。最後までわからなかったな。」
家康は、千姫が二人の女児を連れていたことに気づく。一人は秀吉の女児であるのちの天秀尼。だが、もう一人は…?
「治長の隠し子か。多くは問うまい。このものを連れて帰ったものを呼べ!」
前田彦右衛門は、家康に詰問され、正直に答えた。そして、家康は理解した。その上で、彦右衛門に耳打ちした。
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彦右衛門は家康に赦免され、その女児をめとることになった。そして、江戸のはずれで所帯を持ち、監視下とはいえ、家族をつくることを許された。二代将軍の秀忠、三代将軍の家光には、そのことを知らせず、千姫の嫁ぎ先である桑名の本多忠刻だけがその事実を知ってしまったということで、ひそかに始末されたということらしい。確かに、忠刻の死には不思議なことが多い。千姫はその後、沈黙して、1666(寛文6)年に生涯を閉じる。
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すると、前田氏は、治長と淀殿の血を引いているということになるな。千姫の血が、徳川慶喜にまで及んでいることを考えると、前田氏の血がそこまでさかのぼれないこともないわけではない。
しかし、本多忠刻といい、前田氏といい、この事実に関連して、すぐに亡くなっているいるのも事実だ。
思えば、前田氏が私に本を見せたことを知っているのは、あの住み込みの女性しかいない。
そういえば、あの女性、郷里は福井と言っていた。『奇譚』における治長の出生地も福井…となると、妙につじつまがあってくるように思える。
*
インターホンが鳴った。
(了)