創作ノート 7

小説の中に登場させた前々夜祭における6人の同級生の人生に対する聞き取りを、意味あるものにするために、分岐した一節をつくらないといけないと思った。

榊原さんという登場人物が、いじめを行ったとされる黒岩さんと友人であるという設定であり、弘海くんの妻がいじめをうけた神部さんということも、事前の聞き取りの中で明らかになっているわけだから、私がその関連についてその場にいる榊原さんに聞き取らないのは、不自然であると思ったからだ。

榊原さんに、あなたもいじめの関連者かと問い、そうではないという回答を受け、関連者でないとしても疚しさはないのかと問おうとして、お前も同じレベルのことをして人を傷つけただろ、と言われ、言葉に窮するという場面を書いた。

くしくも、日本の歴史的なアイドルインキュベーターと近しい有名なミュージシャンが、その会社に所属している他のミュージシャンが契約解除されることに賛同したことが話題となっており、それに対する声明をラジオを発表したことが話題となっていた。

その骨子として、①「知りえなかったので何も言えない」②「業績と人となりは別」③「やった悪行と、自分の感謝は別」という論点があった。

②、③は、彼の立場からすると多少理解はできるが、業績と感謝は私にはないので、悪行はキチンと明るみに出されて、それ相応の報いを関係者も受けた方がいいのではないかというふうに思った。ただ、②、③は私も作家についてはそのように考えるし、それで彼は責められない。彼が有名ミュージシャンなので、責められているのかなと思った。

問題は①で、今回、スケールが小さな事件ではあるが、同じ根の問題だと思う。スケールを大きくすれば、今のロシアでロシア人だったとして戦争反対を述べることができるか、という問題でもあるし、パワハラが横行して日常化していた部活で、パワハラをとめたり、異論を出したりすることはできるかという問題ともつながる。

意見を述べて事件の連鎖をとめる機会と力量と立場があったのに、何もしなかったことは、一般的な道徳に照らして善悪ではなく、潜在性としての徳Virtueの発現の問題としてどう考えるか、ということに関心が生まれた。

だから、その問題にスライドできるように、榊原さんの非関与、不作為をどう考えるかについて、自分の疚しさを踏まえながら問う場面を書き加えておいた。

過去の不作為に対する怨念の問題は、『二十世紀少年』や『オールドボーイ』で追及された問題でもある。大げさかもしれないが、過去における些細な出来事が、バタフライエフェクトとして未来に大きくのしかかる、という問題だろう。

些細なことを、もっと見つめていきたい。

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