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「思川」という小説の構想を練りにいく 〜栃木県小山市〜
川をタイトルにした小説、結構あります。
紀ノ川、四万十川、忍ぶ川、隅田川、泥の河…。
もちろん、川は景色の中では映えますが、災害とも切り離せません。
災害は差別ともつながり、橋のない川、なんていう小説も生まれます。
私は両義性があるものが好きですから、川については、並々ならぬ関心を抱いております。だからこそ、川にかかる橋、に注目する「渡良瀬橋」のプチ旅行などを企画したりもするのです。
本来、今日は退院の予定日。したがって、何にも入れてなかったわけで、上の子も学校は始まっています。下の子も今日はあれこれ予定がある。一日、とりあえず時間があるということで、栃木県小山市に行くことにしました。
なぜ、小山市かって?
あまりに近すぎて、行ったことがなかったから、では回答になりませんでしょうか。
また、行って、ある程度散策して帰ってくるにはちょうどいい距離、にあるから、ではダメでしょうか。
観光名所は?
そうなんです。名所がパッと思い浮かばなくても、観光に行く。
これなんです、コンセプト。
いいですか?
本を買いに本屋に私は本屋に行きますが、買いたい本を探しに行くわけではない。何かあるかとブラブラして、面白そうだなと思うモノを買う。なければ手ぶらで帰る。なんの後悔もない。これと同じなんです。
目的のない散歩。
これを純粋散歩と名付けておきましょう。
散歩なら近所でもいいじゃない。
そこです。旅情。微かな塩味くらいの旅情。これが欲しい。ガッツリ味のついている旅行は、フルコースみたいなモノ。定食でいいんです。薄味でいいんです。
だから、小山市。
我々埼玉県民は、その昔「おやまゆうえんち〜」というCMで育ちました。「伊東にゆくならハ・ト・ヤ」と同じレベルで、覚えています。
そんな小山ゆうえんちは閉園しました。けれども、跡地には、巨大なモールができているということ。
また東北新幹線がまだ開通していない時分、岩手に行くには、特急やまびこというのに乗っていかなければなりません。大宮から出発して、最初の停車駅は小山。そんな記憶もあります。
また、先日足利に行くのに小山駅周りでは行きませんでした。その接続をちょっと確認しに行きたい、そんな思いも募ります。
思い、思って、思川。
でも、この川、名称が思川になったのは戦後っぽいです。
作られた伝統。
作る気マンマンです。
栗橋まで来ました。次はもう埼玉県ではありません。次は、
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私の好きな古河。でも、ここは茨城です。栃木まで、もう少しです。
川を越えました。栗橋〜古河間は長いです。
筑波山がチラリと。
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古河を過ぎると、野木、間々田、そして小山です。
近いですね。
旅情なんてあるか?と言う人もいるでしょう。
どこから旅情か、問題です。
人生は旅。もう、どこにいてもこれじゃ我々旅情だらけです。
名所旧跡が旅。それはトロフィー旅情ですね。私としては作業に分類しちゃう。
全部が旅は極端。有名なもので遠くに行くのが旅は資本主義。
この間に旅情は存在するのではないでしょうか(当たり前じゃん)。
そうこうしているうちに間々田です。資料館に行くなら、ここで降りなきゃいけないですが、今日は月曜日。休肝日、もとい休館日です。これは後日に期しましょう。いつになるかはわからぬものの。
でも、目的が何もない、と言うのもやはり極端です。
だから私は、「思川」という小説を書くつもりで、その題材を探しに取材をしに来た。
これです。
もちろんただの言い訳です。
なんのはな市ですか、です。