創作ノート 9

今さらながら、創作大賞の応募要項をみたら、色々なカテゴリに分かれていた。オールジャンルというところになると思った。ミステリ、や、お仕事、とも強弁できなくはないが、無理がある。あと二日で、間に合うのかしらん。

創作ノートとかつけてる暇があったら書き直しなさいよ、と言われそうだけれども、ノートは反省点の明確化なので、これをしないと書き直しと言っても字面だけになってしまう。それだとあまり意味がない。まあ、キチンと計画を立てて書き始めるべきだという意見は最もだ。今度からはそうします。

もともと、海人さんや渡邉有さんや潮田クロさんの作品を読みつつ、それに触発された側面が強かったので、応募自体を目ざしていたものではなかったけれど、率直に言うと経費もそれなりに使って関連文献を調べたりもした(倫理学関係の本とか)ので、その分の達成感は得たいと思った。

さて、7章については、大幅に書き改めた。まず、3章で、「私」が別居して、移住して、独居になるまでの経緯を書いたので、それらの情報についてはすべて消した。

また、前回はモチーフとしての「善」に関するメタテキストとして提示したパートだったけれども、話の全体が一度見えたので、その全体に向けて、「善」の議論を単に文献紹介に終わるだけじゃなくて、対話形式で入れてみた。

例の「徳倫理学」がどういうことを目ざしていて、どういう立場に対する批判として出て来たのかも、多少、関連文献を読んで理解したところを書いてみた。実は、サンデル先生の解説書が、それを理解する大きなヒントになった。小林正弥『サンデルの政治哲学 〈正義〉とは何か』(平凡社新書 2010)がそれだ。熱血教室も忘れられて、すっかり下火になったサンデル・ブームだけれども、非常にわかりやすい良い本だったと思う。

「善」の熱に浮かされる「私」に対して、息子が「おじさん問題」を提起して、客観化させることで、「善」を大上段に語ることの臭みをとってみたつもりだけれども、「善」(good、good thing、virtue)や「正義」(justice)、「正しさ」(right thing)のようなワードを出すのも、基本は臭みなんだろう。

自分は、言葉だけで臭みを感じない。それこそ、殺人とか狂気とか、そういうネガティブワードなら普通に小説内でワードとして追求されているのに、なぜ善とか正義とかそういう理念的なワードは忌避されるのだろう。どっちも怪しげにみられるワードなのだから、フラットに使えばいいのにと思う。というわけで、あんまり変な気をつかわずに「善」を出してみた次第。エシカルなら、カッコいいのかな。知らんけど。






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