残雪『黄泥街』
語学が苦手だった。
どうしてなのか、今でもわからない。
国語は決して苦手ではなかったのに、外国語となると、どうにもならなかった。
大学にずいぶん遅れて進学すると、第二外国語があった。
なんとなく中国語をとってみた。
第一外国語すらヨロヨロしているのに、第二外国語など、できるわけがなかった。いや、もちろん、やっていなかったことができない原因なのだが。
結果、一年次で履修を完了するはずの中国語を4年まで残した。1年、落第。2年、落第。3年での再履修も落第。4年でやっと、合格した。土屋文子先生には感謝しかない。
これは基礎の話である。
語学にはもう一つ読解関連の授業があった。当然ながら、読解の授業も落とした。
それで、3年次に再履修した。
そのとき、先生が指定したテキストが残雪の『黄泥街』だった。中国の近現代文学といえば、魯迅と老舎しか知らなかった自分は、残雪のアクチュアリティに当時は考えが及ばなかった。
中国語の原文を渡され、訳していく。
こうした作業しかしないから、語学が上達しないのだ、などと言ってはいけない。
面白い。
キチンと意味をとれているかは不安だけれども、伝わってくる何かがある。
その何かを言葉にすることは、できないけれども。
人に裏切られてばかりいた。裏切ってもきた。人と人とは、そうした関係を結ばざるを得ないのだ、と諦めてもいた。しかし、風景は、変わらずそこにある。残雪の描き出す風景の描写は、私の内面に残る風景に似ていた。夢中で、訳したことを覚えている。
しかし、前期のテストは8点だった。
100点満点で8点。
絶望的な気持ちになった。
『黄泥街』に魅了されていただけに、この点数には、自分も呆れた。
先生も、『黄泥街』を読もうとする私の姿を見てくれていたのか、どうした?と問いかけてくれたのを覚えている。
ちなみに、高校の物理の実力テストで6点、化学の実力テストで3点以来の、一けた台の得点だった。
後期には心を入れ替えた、わけではない。同じだった。面白いと思って、訳していった。
結果は、どうだったか。
先生は正確な数字を教えてくれなかった。
しかし、合格していた。
おそらく、得点がよかったとは思えない。
先生は、君が一番得点の伸び率がよかった、と言ってくれた。
当たり前だ。前期8点なのだから。
しかし、まあ、助かった、と帰った。
後から考えると、きっと先生が手心を加えてくれたんだと思う。
「面白い。この小説は面白いです。」と、事あるごとに言っていたから。
ヨイショのつもりはなかった。本心だった。
しかし、そのように理解される可能性が高いことはわかる。
それでも、『黄泥街』を面白いと思っていたことは事実だ。
そういうわけで、僕の第二外国語は、ほとんど『黄泥街』に学んだと言っていい。
久しぶりにTVで残雪の名を聞いて、学生時代のことを思い出した。
『黄泥街』のあらすじすら思い出せない。
けれども、その感触は今でも記憶にある。
原文から立ち上るあのメランコリーとノスタルジーがないまぜになった感覚だ。
東京の街を歩くと、僕は今、その感覚に襲われる。
もう一度、『黄泥街』が読みたい、と強く思った。
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