創作ノート 4
第3章は、かなり書き直した。
僻地への移住理由である、医局での政争で心を病んだという内容の重さを、軽くした。医局での政争はきっかけに過ぎず、そもそも別居の形態を合理的だと「私」が考えたので、という理由付けに変更した。
これによって思わせぶりだった「ある事件」が軽くなり、伏線のような効果を消去することができたと思う。
そのため、妻との関係がよりフラットになり、物語の中に妻との関係からくる問題は現れないというメッセージが構築できた。それが面白さを失わせた、ことも間違いではない。
初稿では『テンペスト』を意識するあまり、クーデタからナポリ王たちが孤島に流されてくるまでの「12年間」に時間を合わせようとしてつじつまがあわなくなっていたが、娘の成長をフラットにして、それに合わせて「私」の退屈をクローズアップしていった。多少は無理のない設定になったと思う。
また、医者から物書きへとなりつつある中で、創作への意志を強め、そのための素材集めとして同窓会への出席を意志する、という表向きの理由も描けた。同時に、それは自分のなかの「探し物」であるということも明示しておいた。
娘との会話において、探し物が「欠如の補填」ではなく「過剰の処理」であることも明示した。この「過剰」が、「人間にとって善とは何か」の探究にあたるわけだが、物語内の「私」はまだそれを表出できていない。
そして、その「私」が「合理的」であると考える別居に、重大な「私」の欠落があり、その欠落が、宗教2世の中で家族が信仰によってズレてしまった中で育った経験からくるものだということに気づいていない/見ないようにしている、ことを示せているかどうかはわからない。娘が、親の欠落に気付きつつ、理解し、諦めているという描写を入れた方がいいのか迷う。
同窓会への参加と、他人の人生を聞きたがる性質は、「私」本人は「過剰」だと考えているが、それは欠落を埋めようとしている、という語り手と読み手のズレが喚起できたかどうか。ここにはまだ、改良の余地があるように思う。
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