「智子、そして昭和 (5)」/種村大将の遺志を受け止め、未来へ
(5)
昭和三十五年(1960)、桜のつぼみが膨らみかけた三月の初め、新聞紙上に旧帝国陸軍大将種村氏逝く、との記事が目に止まった。その後、種村には年始の賀状で近況を知らせてはいたものの会っていなかった。
智子には以前に、戦争中のラバウルでの戦犯裁判のときのこと、そして結婚前に智子とのことまでも相談に行ったという種村との行きがかりを話して聞かせていたので、新聞記事を見せると、大きな目を一杯に見開いて、
「なんでいままで御礼に伺わなかったのでしょう。私にとっても大切な恩人だったのに、、、、、。」
こういう時の智子はものごとを決めるのが早く、
「告別式に参りましょう。」
と言って子供たちの支度を素早く片付けると自分たちの支度をてきぱきとし始めた。
種村の葬儀に向かう新司ら四人が世田谷の葬儀会場に着くと、午後の日差しの中で人込みがごった返していた。終戦後軍人の影は限りなく薄くなったがさすがに陸軍大将だった人の葬儀で、受付で霊前を渡して家族並んで会場に着席すると、祭壇には岸信介首相の名前の花飾りまであり、悲しみを覆いつくすような大きな祭壇の前で僧侶の読経の声が響いていた。
その声を聴きながら、ラバウルの戦犯裁判の時のこと、結婚を前に自宅に相談に行ったときのことなどが走馬灯のように新司の頭の中を経めぐった。
~~
「ここの裁判は正当な裁判ではないのだ、我々はこれに打ち勝つ必要がある、
決して負けてはいけない、この裁判を戦うことは戦争を戦うことを同義だ、お国のためなんだ、
そして祖国を思って亡くなった戦友たちのためにも、この裁判を勝ち抜いて復員を果たし、日本の復興のために頑張ってくれ、それこそが我々のいま一番重要な目的だ、いいかい、、、、。」
「何を逡巡しているのかね。
もう三十九歳といったが私のような老人から見ればまだ三十九歳だ。
私には南太平洋から、戦友たちの、君を祝う声が聞こえるようだよ。
是非結婚しなさい。
そして仕合せになることが戦友たちへの何よりの弔いであり、恩返しだ。
君は良い仕事を続け、その人と良い家庭を築き給え。そのことが取りも直さず、日本の復興を果たしていくことだ。
いいかい、、、、、。」
~~
種村の慈愛のこもった声が聞こえてきた。新司は覚えず胸へなにかが込み上げ、熱いものが溢れるのを止めることができなかった。
かたわらで智子は何かに取りすがるように手を合わせ祈り続けていた。五歳と三歳になる二人の子供たちも何かしら厳粛な雰囲気を感じて姿勢を正して座っていた。
と、そのとき新司の背後で、
「古岳さんですね?」
新司が少し驚いて振り向くと、
「はい、古岳です。ご無沙汰しておりました。」
「まあ、可愛らしい子供さんたちだこと、ご家族でいらして下さったのね、ありがとう、、、。少し皆さんでこちらに来ていただいていいかしら、、、。」
新司がお悔やみを述べる間もなく奥の控えのほうへ導かれた。
座敷に四人で正座すると種村夫人から手紙を手渡された。
「種村は、あなたのことを気にしておりましてねえ。戦友の方々のために、と戦中や終戦後のことについて文筆活動を続けていたのですが、その一部にあなたのことを書き残しております。これはその部分に主人が手紙を付け加えたものですのでどうか受け取っていただけるかしら。」
「、、、、、ありがとうございます、、、、。閣下にそんなにご厚情をいただいていましたこと、、、知りませんでした、、、、、。
なんともお礼の申しようがありません。是非家族を連れて生前に御礼に来なければなりませんでした。申し訳ありません。」
「いいえ、こうしてご家族でそろって来ていただけたことで種村もきっと喜んでおりますよ。本当にありがとう。
私にもあなたのことをよく話してくれましてねえ。
――――頭が良くとても人柄の良い腕の立つ職人なのでしっかりと日本の復興のためにやってくれると信じておりました。でもご両親と妹さんを亡くして寂しい境遇にある男だから、難しいことがあるかもしれない、そういう時は家に来てくれるといいのだが、と申しておったのですよ。」
新司は何も言えなくなった。智子が、
「奥様、わたくしたちが子供たちにも恵まれ曲がりなりにも平穏に暮らせておりますのは、主人が種村さんにご相談に伺った縁(えにし)と聞いております。
御恩を忘れずに過ごしてまいったつもりですが、、、、わたくし、、、、
おこころをそんなに向けていただいてたなんて知らなかったもので、、、、
すみません、、、、。」
「そんなことないのよ、、、、、、、。」
夫人は新司に向かい、
「あなた、いいお嫁さんをもらって仕合せね。」
と言い、智子に向き直って
「実はね、種村は、戦争で責任を果たせなかったことをお国のために本当に申し訳ないって重く受け止めておりましてねえ。巣鴨から家に戻ってきてからはほとんど笑顔を見せることがなくなっていたんです、、、、。
――――でも、古岳さんのことを話すときは私から見ても目の力が違っていました。あなたのご主人は種村がそのように心から信頼していた部下だったのよ、、、。
でも、その眼鏡に狂いはなかった、ってことがわかりました。あなたのような優しい素敵な奥様をもって、この坊やたちも本当に素直でかわいらしい、、、。
坊やたち、お父さん、お母さんのような、立派な日本人になって頂戴ね。」
種村夫人が二人の男の子の頭をなでるようにしてそう言うと上の子が「はい」と言い、三
歳の下の子はこっくりをした。
帰宅して開封した手紙には、ラバウル時代の戦犯裁判の不正を告発した記録と、結婚前にした、新司の「このままこの仕事を続けることで、日本の復興に尽くせましょうか?」との質問に対する答えが、経済学を勉強したのだろう、新司の仕事の経済的意味、日本経済への貢献の意味が分かりやすく説明されていた。そして子供を持ち、育てることの仕合せとそのことが日本の復興への寄与そのものであることが優しく諭すような慈愛の言葉で書き記されていた。
新司は智子にその手紙を手渡した。
しばらく読むのを待ってから、
「仕事をもっともっとお客様に喜んでもらえる立派なものにしようと改めて思ったよ。」
「本当ね、、、。
ここに書いてくださったことで思ったんだけど、あの時、新しい機械を買ってこうやってお客様に新しいものを少しづつでもご提供できているのはもしかしたら日本の復興のためになっているんじゃないかしら。そういうふうに思ったんですけど、違うかしら?」
「うん、僕もそう思った。きっとそうに違いないと思う。だからそういう意味でも頑張らなきゃ。そして何より子供たちを立派に育てよう。智子が頼りだよ、協力してくれよ。」
「はい、子供たちをしっかり育てて、あの奥様にご報告に行けるようにしましょう。」
「うん。
――――種村さんや亡くなった矢沢のためにも、、、、、、。」
智子は大きな目をしてうなづき、疲れて寝てしまった子供たちの寝顔を眺めた後、笑顔で新司と目を合わせた。
次の年の夏は例年に増して残暑が厳しかった。ようやく涼しくなった九月彼岸の日の朝は天気が良く晴れ渡っていた。新司と智子は、子供たちを連れてピクニック代わりのお墓参りに行く支度をしていた。
「智子、今日はお昼に久しぶりに蕎麦を食べないかい?揚げたての天ぷらにつるつるっと冷たい蕎麦が食べたいんだけど、、、」
「あら、あなた、お蕎麦が好きだったの?あたし、あなたはてっきりおうどんが好きだと思っていたわ。」
「いや、今日はお彼岸でなんだか蕎麦が食べたくなったんだよ。」
「あら、あなた今日はお彼岸ですから、お蕎麦はだめよ、お蕎麦は年越しとか、引っ越しとか“越し”にちなむ日に食べるものだから、、、。
だから、今日のお昼には合わないのじゃないかしら?お蕎麦は喉越しっていうふうにも言うじゃない?
あら、これって、取り“越し”苦労かしら?ふ、ふ、ふ、、、」
「言うねえ、智子は。は、は、は、、、、、、」
新司は、これまでもいつもこんな調子でやってきたな、これからもこの感じを大事にしてやっていくか、と思った。ふと、復員このかた、復興に対する責任から感じていた胸のつかえも、智子のおかげですっかり腹に落ちて、力まず素直に前に進む力に変わっていたことに気が付いた。
新司は智子に、ありがとう、君のおかげで、、、、、、
と言いかけたが、やめた。智子に、また女房を口説こうとしているの?と言われそうな気がしたので、、、、。
そして、
「もう少しちゃんと口説けるように考えてから言うよ。」
「え?、お蕎麦を止めてくれたの?良かったあー。
あたし、おうどんが食べたかったの、、、ふ、ふ、ふ、、、、。」
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