「おしゃれ」と感じるのは、ムダな情報がない時だ
先日、ボイシ―で「ソウタ」さんの「インスタのおしゃれを言語化した」を聞き、普段の生活に生かせるものが多くありましたので、ぜひ、皆さんにも共有したいなと思い、記事にまとめます。
皆さんは、「おしゃれ」と感じるのはどんな時ですか?
例えば、家で考えると、デザイナーズ家具を置いている時とか、ホテルライクの部屋のようであったりだとか、北欧家具で統一されている時とかでしょうか。
ソウタさんの考える、おしゃれの定義は
ということです。家に関しては、ムダなものがおいていない時に、洗練されていておしゃれと感じます。その視点で自分の家を見渡してみました。
私が現在住んでいる家は、亡くなった祖母の家です。祖母が使っていた家具・家電を使わせてもらっています。棚も、そのまま使わせてもらっています。なくても十分暮らしていけるのに、「あるから」と使っていました。
「これって、ムダだよな。なくても、十分生活できるよな…」
「これって、とりあえず置いているけど、いらないよな…」
というものが出てきました。私自身、生活していて、洗練されていない、ごちゃついていると感じながら暮らしていました。「無駄なものがないか?」という視点を持つだけで、改善点が多く見えてきました。
すっきりしたリビングを見て、すっきりとして気持ちのよい状態で寝ることができました。
では、学校に関してはどうでしょうか?
・職員室の自分の机
・教室
・黒板の板書
・連絡帳の書き方
・学級通信
・校務分掌の起案文書
・パソコンのフォルダとその中身
・廊下
・学級園
様々な場所に関して、ムダがなく、洗練されている状態になっているかという支援で見直してみると、改善点が多く出てきそうです。
「学校におしゃれが必要か?」という声が聞こえてきそうですが、おしゃれということは、ムダがなく、洗練された状態であることです。
・おしゃれな机では、仕事ははかどるでしょう。
・おしゃれな教室では、子ども達も気持ちよくて過ごしやすいでしょう。何がどこにあるのか明確ですので、誰もが使いやすく、過ごしやすいユニバーサルデザインでしょう。
・おしゃれな黒板の板書では、学習効率は上がるでしょうし、内容の理解向上にもつながるでしょう。
ムダがなく、洗練されているとは、ただ単におしゃれという概念では片付けられないなと考えるようになってきました。
誰もが気持ちよく生活できる・学習に気持ちよく取り組むことができるまさに学びのユニバーサルデザイン化がなされたものが、おしゃれという表現で表されるのではないのでしょうか。
本校では、特別支援教育の推進に向けて、教室環境のUD化を進めています。掲示の統一、机上の筆記用具の置き方等、できる所から始めています。ムダがなく、洗練された教育環境を整えていけるように、先生方と連携・協働してやっていこうと考えています。
noteの記事もおしゃれにしたいのですが…
ムダがなく、洗練されているでしょうか?
まだまだですね。ムダな文章や表現をそぎ落とし、おしゃれな記事を書くことができた時、スキの数やフォロー数がうなぎ登りでしょう…❕毎日投稿をできるだけ続けながら、ムダがなく、洗練された文章を日々追求していこうと思います。
今日の記事は以上になります。
最後までお読みくださりありがとうございました。