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夢中になれるものを子供のうちから持っておくことの大切さ
子供時代に夢中になれるものを持っていましたか?
また、皆さんのお子さんは夢中になれるものを持っていますか?
私は小学校時代、ソフトボールのピッチャーをしていました。誰からも練習を強要されることはなく、休みの日には公園で壁に向かってひたすらボールを投げていたのを覚えています。
大きな成果を挙げることはありませんでした—
毎回1回戦負けの弱小チームでした—
それでも夢中になっていました。
今振り返ると、気持ちの弱さがピッチングにも現れていたように思います。もしメンタルのコントロールを学んでいたら、結果は違っていたのかもしれません。当時は誰もその方法を教えてくれる人はいませんでしたし、メンタルの弱い私がエースを務めるのは難しかったのかもしれません。それでも、夢中になって取り組んだ経験は、間違いなく今の私を形作っています。
当時のソフトボールの練習は、今では体罰と言えるほどの厳しいものでした。ボールを投げられたり、頭をボールで叩かれたり、試合でミスをすれば椅子が飛んでくることもありました。当時はそれが当たり前で、特に疑問を感じることもありませんでしたが、今思えばよく耐えたと自分を褒めてあげたいです(笑)。
その経験があったからこそ、今ではどんな困難にも耐えられるのです。
中学校時代には、試合でチャンスに打てなかったり、イップスのように送球が全くできなくなったこともありました。しかし、そのような試練も今では糧となっています。私は小学校の教員となり、ソフトボール部の監督を務めたり、社会人ソフトボール部に所属して試合に出たりしてきました。こうして再びソフトボールに関わることができたのも、子供時代の夢中になった経験が私を引き寄せたのだと思います。
ソフトボール部に入ったのは小学校2年生の時でした。学校で遊んでいるとき、当時の監督に誘われたのがきっかけです。親に相談することもなく、「ソフトボール部に入ってきた!」と家で報告したそうです(笑)。そんな偶然のきっかけから始まり、大人になっても続けることになるとは思いもしませんでした。
“夢中”になれるものは自分で見つけるものですが、そのきっかけを与えるのは大人の役目です。いつ、どこでどんなチャンスが訪れるかは分かりませんが、そのチャンスを逃してはいけません。
私自身、まだ娘に“夢中”になれるものを見つけてあげられていませんが、焦る必要がないことも分かっています。様々な経験を通じて、子供自身が“夢中”になれるものを見つけていくことが大切だと今では感じています。
注意すべき点は、ゲーム依存の問題です。ゲームに夢中になる子供たちは、まさにそれに執着しています。大人の介入が必要なのは、ゲームではなく、より適したものに夢中になれるよう導くためです。
教育を通じて、子供が健全に夢中になれるものを見つけられるように支えていきましょう。
ぜひ、子供たちが何に夢中になっているのか意識してみてはいかがでしょうか?
今日の記事は以上になります。
最後までお読みくださりありがとうございました。