恋愛コラム【彼氏彼女という言葉は洗脳】
結婚という制度は世界的に存在するので夫や妻といった言葉はあってもいいが、「彼氏彼女」という言葉は「皆同じだ」という洗脳である。以下、理由を説明する。
男Aと女Bは、何かしらの交際関係であったとする。この2人はどういう関係であれ、この2人が合意しているのであれば、他人がどうこう言える問題ではない。これが基本的な考え。
月に何回会うか、デートの時にどっちが奢るか、そもそも何をするか、何をしないかなど、このABがそれでいいと言っているなら他人が口出しする問題ではない。AがBをムチで叩く、BがAを殴るといった多数から見れば別れたほうがいいと思うような関係であっても同じ。
ところがだ。AはBをムチで叩きたい、Bもそれを望んでいる場合、叩けばいいのであるが、それが少数派であり、一般的に受け入れられないことであると、やろうとしないケースが多い。
原因は「彼氏彼女」といった言葉の洗脳である。AとB、CとDは、同じ「人間関係」ではない。しかし、同じ「彼氏彼女」という名前を付ける。これによってどうなるか?「自分は彼氏だからこうしよう」「彼氏彼女とは一般的にこういうものだからこれはああしよう」という洗脳が無意識にかかる。無意識レベルで一般論にすり込まれていく。
本来、簡単に世界に1つだけの特殊な関係になれたはずが、このすり込みによってそれが難しいものとなる。一般的な関係、多数派になる必要などなかったのに、無意識になろうとしてしまうからだ。
よって、人間関係に名前を付けるべきではない。どうしても名前を付けるのであれば、2人で作った言葉にすればよい。
たとえば「ホーントーンフリージャンマンターレン」という名を付ける。2人の人間関係の名前だ。何のことかは付けた2人もわからない。わからないから自由になれる。自由な発想が出てくる。人と違っていい。違っていて当たり前。むしろ違っていなければならない。だって、私たちはホーントーンフリージャンマンターレン。皆んなとは違うのだから。
いかに、彼氏彼女といった言葉が洗脳なのかがわかったかい?俺らは一般的な関係になどなる必要はない。つまり、君が俺に毎月お金を渡す関係は一般的ではないけど、君がそれでいいなら問題はないのさ。今月も金くれ!
と、Bのヒモになることを正当化するヒモ男A。
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