見出し画像

恋だの愛だの

中学生の頃から、俗に言う女子同士の恋愛トークが苦手だった。

好きなタイプある?背が高い人?髪の長さは?性格は?顔のタイプは?年上?年下?
そんな話で一日中テンション高く盛り上がれる彼女たちは違う世界に住んでいるようだった。
私に質問のボールが飛んできた時には、毎度違う回答を適当に返していた。



自分の中ではいつも、考えれば考えてみるほど
好きになったらなんでもいいだろ、
好きになった人がタイプだろ、
で完結してしまうのだった。



愛する、の意味が分からなかった。
人は何事も経験したことがないと自分ではできない。そういうことだった。

他者と人として向き合うことはできても、愛というものが顔を見せた瞬間に私は惑うのであった。



恋だの愛だの、そういった感情を自分の中で扱うことはできても、それを外側の誰かと共有することは自分が壊れてしまうこととほとんど等しかった。

ずっとそんな感じなので、私が恋愛について語りだすと、周りは目を丸くする(むしろキラキラとこちらを見てくる。眩しい。)。
恋愛するタイプなんだ、ってよく言われる。
そらするだろ。人間は感情を持つ動物だろ。



打って変わって、おかげさまで、私は大した恋愛をしてきた。
お付き合いも、お付き合わないも含めて。
もう一生をかけて誰かにお裾分けしたいくらい、幸せな出会いにしばしば遭遇させていただいているのである。
恋愛ではない人との出会いにもとても恵まれている人生だが、恋愛に限ってもそうなのだ。

詳しく公に書けるものはひとつもないが、それはもう一冊の漫画のように、小説のように、大切な物語。記憶は薄れていくけれど、今の私を形づくってくれているエッセンスがひとつひとつの物語に確かに、ある。



巷の恋愛の概念には、邪念に囚われてぐるぐる巻きになったものが蔓延っているなと思う。
男女なら、男女じゃないなら、記念日には、誕生日には、遠距離なら、学生なら、社会人なら、などなど。
感情で始まったものが壊れそうな時、必死に頭を使って解決しようとするのが、さすが人間。
好きになっても、好きじゃなくなっても、人間は感情の動物だから頭を働かせてもどうしようもないのにね。



恋愛は超個人的な感情で超主観的な体験なのに、それを自他同一のもののように偉そうに語る奴はしゃらくせぇと思う。方法論なわけあるかい。
つべこべ言わず、恋愛問わず、目の前に現れた大事にしたい相手を、そのまま大事にしたい。
恋愛なんてその副産物だろう。


第16回「万華鏡」テーマ「恋」に寄せて

いいなと思ったら応援しよう!

有賀 春桜美 | Suomi Aruga
私の強運があなたにも訪れます