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あれ以上がんばれない自分とあのくらいがんばりたい自分
過去を振り返って、「あの時は頑張ってたなぁ」と思うけど、その渦中にいた自分は「自分今頑張ってる」とは思っていない。
「努力していると思っているうちは、それは努力に入らない」
という言葉をだいぶ前に本かネットのどこかで見かけたことがある。
自分今がんばってる、自分今努力してると思っていたことのだいたいは、記憶に残るほどのイベントにはなりにくい。そう言い聞かせたいだけなことが多々のよう。
振り返って「あの時頑張ってたな」というのは、全体像のほんの一部分の話であり、その大部分はどちらかというと「のめりこんでいた」「浸っていた」「夢中だった」という表現が的確のように思う。
やらなきゃいけないことではなく、やりたいと思ったこと。やらなきゃいけないことでも、楽しむ理由や自分がやる意味を紐付けられていたこと。そういったものがその体験そのものだった。
それにも関わらず人は(私は)、何かエネルギーを要するものに向かう時、「あの時頑張れた」と錯覚し、「あの時頑張れたからまたあのくらい頑張れるはず」と思い込み、目の前のことに対して「がんばらなきゃ」と言い聞かせる。
実は方向性が違うのに。
「がんばらなきゃ」と口に出すことはあっても、「のめりこまなきゃ」「浸らなきゃ」「夢中にならなきゃ」とはなかなか言わない。
つまり、何事も終わってから振り返らないと自分にとっての捉え方は見えてこない。結果論にしかならないのだ。
当時あのくらい没頭できたから、今も心がその方向を向けばそのくらい没頭するポテンシャルはあるのであり、同じような時間を過ごしたいと思うなら、「ある対象に知らぬ間に没頭している状態」を生み出すためのプロセスを理解する必要がある。
なにも、闇雲に頑張る術を身につけないといけないわけではない。
ここまで分解できたら、あとはやるだけである。
「それだけの心が惹かれない」というのは言い訳で、自分が対象を細分化して見えていないだけなのだ。
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