脱コルセットについて整理したい
脱コルセットとは
まず、この概念を知ったのは最近なので、自らの整理のため、ちょっと前の自分に向ける形で書いていく。
説明なんかより、Twitterで有名な韓国の方の漫画を読んだほうが早いかもしれない。それだけ、あの漫画をはじめて読んだときは端的に表現されたソレに脳天を直撃されたような心地だった。
脱コルセットを一言で表現すると、家父長制にまみれた男性社会に強制されている「女性」らしい装飾を取り除く運動のことだ。
「女性らしい装飾」とは、イメージでいうと、まさに中世ヨーロッパのコルセット、昔の中国の纏足。
つまり、男性自身の目を喜ばせるため、男性であればしないはずの装飾を強い、女性の身体を自然なものから遠ざけ抑圧するものだ。
(正確には、身体のみならず行動の脱コルセット概念もある。女性に強いている「女性らしい」行動とはつまりケア役割である。)
これの何が問題かって、女性の生殺与奪の権利を男性に握らせることで、家父長制を強化し、平等な立場には死ぬまでなれない点である。
そして、この理論のカウンターとして登場するのは、主にリベラルなフェミニズムの思考を持つ人間から発される「主体的装飾」だ。
「私は好きで装飾をしている、男性のためではない」
本当にそうだろうか?立ち止まって考えてほしい。
なぜあなたは装飾をしているのか。
あなたの言う「主体的装飾」で得をするのは誰か。
装飾をしないと、主に男性に批判されないか。
そして、あなたに装飾をしない選択肢はあるか。
選択肢がないなら、それは主体的ではない。首につけられた鎖を磨いているだけである。鎖を断ち切り、コルセットを脱ぎ、自分の足で立ててやっと家父長制から抜け出せる。肌を痛め、内臓を痛め、健康とお金を消費しながら男性が作った無理な美の基準に身体を当てはめたところで、男性は同じ土俵におらず、はるか上からそれを眺めているだけで、たとえ気に入られ守られていたとしても、手を離されればすべてなくなる。
脱コルセットは「自分が好きな格好、楽な格好をする」というものではなく、女性らしさの鎖を外すという社会運動であり、ボイコットだ。鎖を外したからといって、別に女性であることは変わらないし、男性から加害をされることもある。
もちろん、第三者から強制されるものではないが、鎖を外した別段美しくない状態の女性も男性と変わらず生きていけるということを次世代の少女たちに見せていくと考えれば、やるべきことはひとつである。
石田ゆり子も逃げ恥で言ってたじゃないか、そんな呪いからは逃げてしまいなさいと。逃げる手伝いはできないが、呪いを再生産しないようにすれば、呪いにかかる人も減る。
ただ、自分にもまだ隠れたミソジニー、家父長制、ルッキズムなどあると思うので、それは少しでも追い出せるよう引き続き勉強していきたい。
次回は脱コルセットをどのように実践しようかについて書きたいと思う。
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