我が闘争①初陣医療診断書を入手せよ!咀嚼する事で無事切り抜ける。
骨が固まるまで当分は寝たきりの生活。しかも、身体が拘束具のようなものでガッチガチに固めて生活をする。不慮の自爆とはいえ、しばらく歩行ができない上、着座することができないので私生活、トイレすらままならない、したがって働く事ができないのである。
これと下半身は骨盤を安定させるコルセットもつける。
尿管結石で早退してか鎮静化した後、自宅療養中は定期報告として病状経過の報告者を連絡を入れていたが、新たに判明した骨盤の骨折のことを相談した。一応、取り掛かっていたプロジェクトである急遽導入したRPAによる事務処理自動実行は問題なく稼働し運用に支障がない事も知って安堵もした。血尿垂れ流し激痛に耐えて取り組んで成果も無ければ悲しくなる。
既に有給休暇の日数は全て消化してる上、コロナ禍での変則勤務状態であり余計な仕事を総務人事には迷惑をかけていると認識してました。どこまで会社が給料を補償してくれるか心配でしかたなかった。
子供達の学費や生活費どうするか。。気分が重くなった。
数日してからレンタル業者から歩行補助の器具が届いた。さらに気分が重くなった。
プロジェクトマネージャーの経験を活かし交渉開始する
数日後、総務部から診断書各の病例を提出して欲しいと連絡が入った。IT後進国の日本、紙ベースで物事が進む。生活もままならないのに書類を入手するのが困難な極まる。診断書を入手するために二つの病院に連絡を入れる運びとなった。精密検査をした病院はく車イスである事を知っていたので簡単に郵送手続きまで進めた。総合病院ではないので複数を跨ぐ形になって難儀する、スマホとタブレットがなければ難儀したと実感した。調べ物尿管結石の治療した病院はコロナ禍緊急事態宣言下で郵送して欲しいと懇願するも歯切れが悪い。ますます、気分が悪くなった。
コロナ禍で病院も神経質、疲労困憊なのか医療関係者はヒステリー気味になってることはニュースで知っていた。でもここで食い下がってはいけない。
歩行補助器具をつけないと歩行ができなのじゃ!診断書を取りに来い!”って担当医じゃなければ病状を知る由もない。当然の帰結。例え心の中で『お前の血は何色だあああああ』と叫んでも埒がない。一旦、憤りと怒りを抑えて情を動かすトークで説き伏せることにした。病状をしっかり、丁寧に病状だけを伝えるだけだけでなく、相手のリズムに合わせて骨折至る経緯をリズムカルにテンポよくジョークを交えて明るく懇願した。とどめの締めに泣き落とす。このワンツーコンビネーションは概ねハマるはず。明暗の反転には必ず相手は心に油断が生じる。電話越しの呼吸や傾聴タイミングをよく把握するように努めた。
応答者『今回だけですよ、特別に郵送で速達でお送りします』
私の心の声→”『クソが!最初から言えや』”
応答者『診断書は送料込で5600円になります、お支払い方法は云々。。』
私の心の声→”勝負に勝って試合に負けるって。。。あんまりだ。。”
対応の方の同情を引くことに成功した。診断書を入手するだけでも一苦労する日本のIT後進国ぶりに霹靂し、辛いときはとことんネガティブな事態が畳みかけるように思えた。
車イス生活、生活もままならないのに医療診断書で四苦八苦した思い出をそのまま記載しました。IT浸透度が低いこの日本。切なさだけが募る想いでした。
憤り怒りを一旦受け入れる方法
世間ではアンガーマネージメントやら素人共を騙す本が売れているようですが、ほとんどの人はアンガーマネージメントなんてできません。熟読し理解できたようで実践習得はできない。救いようがない連中が自己啓発、自己研磨の魔法ワードに踊らせて終わる。人は感情の生き物。怒りや憤りを抑えることなどはできない。まずそこを理解しないといけない上、己を知る事から始まる。若い人が怒りや感情を制御できないのはそれなりの理由がある。
ではどのようにアンガーマネージメントをするのか。
憤りと怒りを抑える方法は人間を辞める=死と向き合う。
これを一度、確実に実体験を得ないといけないと私は考えています。この通貨儀礼を終えないと感情を制御できない。両親、祖父母、飼ってるペットの死を経験してる場合はすんなりと死と向き合い、感情の源泉を己で知る事になる。
私が感情を一旦、咀嚼する事ができるようになったのは愛猫の死を経験してからでした。愛猫の最後を看取った瞬間、いつでも好きな時に愛猫を思い出し、過ごした時間が脳裏と心で感じとれるようになりました。あらゆる事情でも心が揺さぶれる事なくこの間隔を呼び覚ます事ができるようになりました。
もう一度繰り返します。
『実在した家族の死と向き合う。』心の系譜を感じとることができて初めて感情を己で制御する事ができると思っています。感情を制御するという事=死と向き合う。己の感情の源泉に触れてから初めてコントロールができるようになると私は考えています。
勿論、受け入れがたい事や我慢できない事は山ほどあります。感情は人である限り無にすることはできません。仮に[怒り]が湧いてきた時は亡くなった家族を思い浮かべる。擬似的に亡くなった家族を思い出すことで繋がってた記憶が心として仮死状態になる事で何度も練習すれば可能となります。PMや役職者として役割仕事をこなしてこれたのもこの技術を知らず知らずのうちに会得できたからなのかなと今は思えています。
概ね、これで感情を自分の意思である程度は制御できるのでは。
それ貴方の意見ですよね?
と言われそうですが、情調に関する理論や研究はされておりますので参考までに。説明ができる論文は数々ございます。
有名な理論:abc理論や理性感情行動療法など。ご自身で勉強してください。ここでは割愛します。
※私の実例は発達段階プロセス部分的前借りのようなイメージでご理解して頂ければ感覚知ではイメージしやすいでしょうかね。。
50才前にして得た教訓として備忘録
ただのオッサンの備忘録ですが、応援コメントなど頂ければ励みになります。