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被せてくる人、そこからの思考


最近の学びは、人の嫌いなところは、まさしく自分にも重なっているというところ。基本的なところかもしれないのだけど、目の前で繰り広げられる表裏一体の事象が面白かった。


被せてかぶらせて


ある人が「〇〇さんは人の話にかぶせてしゃべってくるんだよね」と眉間にしわを寄せながら話していた。けど、その人と話していると、かぶせてくることが多くて「ん?」と思う。めちゃくちゃかぶせてくるじゃん、しかも話聞いてる?と思わせるような質問してくるじゃん、って。自分変換の解釈が強すぎて話が進まない。2歩進みたいけど1.5みたいな、すごく惜しい。

かぶせられた人の表情もなんとも言えず、私は何となくおどけてみることしかできなくなる。ただただ面白おかしく空気を崩すに走る。(疲労!)

そして私は、ものすごく感化されやすいので最近かぶせ気味。本当に気を付けなくてはとシャンとする。

話を聞く


きちんと最後まで話を聞く姿勢でいたほうが、より理解も深まるし何より態度として誠実な気がする。ちゃんとかみ砕くのに必要なことだと思うし。
何より、私は人よりも理解するのに時間がかかるタイプなので、余計にきちんと聞かないといけないなって自覚はしていて。

結果に行きつくまでのプロセスもそうだけど、準備段階の理屈がわからないことには理解が深まらない。回転が速い人には、ものすごく申し訳ないと思いつつ・・・・この辺の理解力や物事の道を想像する力は、どうやったら育まれるのだろうかしら。

脳みそどうなってるの?


話をしていく中で「この人の頭の中の思考の会談はどうなっているんだろう」と思う人が結構いて。
日々、いろんなことをマルチタスクでこなしているからそういう思考になるのか、もともとの思考回路なのか。

考え方のワークショップとかあったらいいなってすごく思う。
脳みそ切り開いてみてみたい。

しばらくは対話と思考力を育むことにフォーカスしたほうがよさそう・・・。