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息ができる場所
結局、1年ぶりのnoteになってしまった。
書きたいこと、思うことはたくさんあったはずなのに、結局最後まで書けなくて、下書きばかりが溜まってしまった。
私にとって2022年は、耐える年だった。
大好きで心地よかった鎌倉を離れ、大学にも進学し、実りある年だった。
そう言いたかったけど、前半は心身ともにボロボロで、我ながらよく耐えたと思う。後半になって、ようやく心穏やかな日々を取り戻せた気がする。
苦しかったのが何、その正体はよくわかっていない。
ただ、なんとなく、肯定してくれる人たちと離れたことは、苦しかった理由の一つだと思う。
弱さを曝け出せる場所が、強がらなくていい場所が見つからなくて、辛かった。
「そのままでいいんだよ」と、無条件に私を抱きしめてくれる人がそばにいなくて、自分で選んだ道なのに不安になる瞬間が何度もあった。
夏が終わる頃、大切にしていたものを手放した。
手放すと決めた時、自分の力不足に失望した。
同時に、大好きだった人たちに迷惑をかけて最低だと思ったし、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「やり切りたかった」という気持ちを消化させるために、言い訳を探している自分がいて、それが気持ち悪かった。
でも、そうでもしないと潰れそうで、その時の私には手放すしか選択がなかった。
大切にしようと決意しても、守ろうと思っても、それを手放すことはある。
半年が過ぎて、結果的に手放してよかったと思う。
今もしがみついていたら、私は自分のことをもっと嫌いになっていた。
秋になる頃、やっと息のできる場所を見つけることができた。
私のことを受け止めてくれて、一緒に考えてくれる人たち。年齢や立場がなくて、対等に会話ができる。それだけのことなのに、涙が出るほど嬉しくて、やっと、生きていると思えた。
そんな尊敬する人たちと
3年前から抱いていた夢を叶えることができた。
環境問題やエシカルに携わる仕事がしたい。
ずっと諦めたくなかったこと、描きたかったものが、現実となって目の前に現れて、今までの人生が報われたような気分だった。
私ひとりの力では、絶対に掴めなかった夢。
叶えさせてもらった、という表現の方が正しいかもしれない。
夢を叶えさせてもらったことは
今年一番の救いだった。
息ができる場所があるというのは、すごく幸せだ。この人の前では頑張らなくて良い、自分をつくらなくて良い、私にとって息ができる場所は、そんな人たちがいる場所だ。
私も、そんな場所をつくれる人になりたい。
きっとこれからも、たくさん傷付いて、落ち込んで、生きることが嫌になる日は、無くならないと思う。
だけど、その痛みを受け止めて、やさしさに変えられる人になりたい。
たくさんの人から愛をもらったように、愛を返していきたい。